第九話
ぱたりとベッドに倒れ込む。さっきあんなに寝たのに、まだ疲れが取れない。ぐったりシーツに沈みこんで、夕飯も食べずにもう寝ちまおうか、なんて考える。
目を閉じるとさっきの、がっちり腕を組んだ二人の姿が瞼の裏に貼り付いていて、なかなか消えてくれない。
…というか、セデュのやつ、無防備すぎだろ! 男の子相手だとどーしてああ防御力ゼロなんだ!? もうゲイ確定だろあいつ!! ちくしょー、あんな子供相手にムキになってる自分がくやしい。セデュが僕を裏切るわけなんてないってわかってるけど。わかってるんだけど…。
あの子もあの子だ。セデュとの歳の差、11歳だぞ。君が生まれたばっかのとき、セデュはコレージュの学生だぞ。もっとさ、こう、同世代とかと恋しろよなア! 僕が言うのもなんだけど!!
張りのあるピチピチの皮膚とかきらきらの瞳とか、元気が有り余ってる感じとか、なんか、向き合ってるとひどくしんどい。若さのパワー? に押されちゃう感じだ。勝ってるとか負けてるとか、そういうことは、考えたくないんだけど…。
…。
……。
もういい、今日はもう寝よ。明日のことは明日考える。それでもういいや。
…明日もあの子はあんな感じで、セデュにベタベタひっついてんだろうなア。
翌朝、僕を起こしてくれたのはマネージャーのマチウだ。彼は昨夜こっちに着いたらしい。
「ムッシュ・レヴォネと何かあったのですか…?」
開口一番そうくるから、僕は目を擦りながら「なんで」と聞いたのだ。
「早朝に、ムッシュ・リーヴェの部屋の前で会いまして。ムッシュ・リーヴェは疲れているようだから、時間が許すまで休ませてやってほしいと言っておられましたが…」
「…セデュはもう出たの?」
「はい。監督に呼び出されているとかで、忙しそうにしておられましたよ。午後はこちらで取材があるとかで、同行できないので、くれぐれもムッシュ・リーヴェから目を離さないようにと仰せで…あまり貴方に負担をかけたくない、というようなことも仰っておりましたね…」
「いつものセデュじゃないか。どこか違うところあった?」
「…まあ、何もないならよいのですが…」
「もしかして、ピーターパンにひっついてるティンカーベルみたいな子が一緒だったとか?」
「ティンカー…?」
「…や、いいや、なんでもない」
「はあ…」
いまいち釈然としない様子のマチウはぱらぱらとスケジュール蝶を捲って、
「ムッシュ・リーヴェは本日11時に現場入りです。まだ時間がございますので、まずは朝食に行きましょう」
とてきぱき指示した。
朝ごはんはまだだと言うマチウと同じテーブルで朝食を食べる。ホテルのレストランの、バイキング形式の朝ごはんだ。クロワッサンをもそもそやってる僕の前ではマチウがベーコンエッグに齧り付いている。大口開けて食べてるのが物珍しい。そういえばマチウと一緒にごはんって、初めてだったかも。意外と食べ方は野性的なんだな、こいつ。セデュはいっつもお行儀がいいので、こんなふうな食べ方をする人を前に食事するの、なんか新鮮だ。
「マチウ、口にケチャップついてるよ」
「ああ失礼。こっちです?」
「ちがうちがう、こっちこっち」
「どこです? ここ?」
「もーちがうって。ちょっとナプキン貸して!」
思わず笑いながら頬を拭いてやっていたら、かたんと音がして、僕の隣に来た男の人が面白そうに僕らを覗き込みながら、椅子を引いていた。
「ここ、構わないかな?」
「…ああ、うん、どーぞ」
「ムッシュ・ヴィオレ! おはようございます!!」
がたんと椅子を倒して立ち上がったマチウが直立不動の姿勢で挨拶する。もしかして同業者、だったのかな?
鮮やかなブロンドの短い髪に薄水色の目、甘いマスクと、乙女が想像するお伽話の王子様そのものみたいな男の人だ。年の頃は、30から35の間くらい? セデュと同世代か、もしかしたらもっと上、かな。あまり映画に詳しくないので、僕は初めて見る顔だ。
僕も立ち上がって挨拶した方がよさそうかな、と考えていると男の人は鷹揚に笑ってマチウに応え、僕の隣に腰かけた。
「マルセル・ヴィオレだ。よろしく。キミは――」
「ルーシュミネ・リーヴェ、です。ハジメマシテ」
「――キミがあの、監督のお気に入りか! なるほどねえ」
「……」
カップを持ち上げてコーヒーを飲むふりで、回答を避ける。昨日からこっち、この役をやるって決めた時には思いもしなかった方向から飛んでくる矢に晒されてる感じだ。なんだろう、なんて答えるのが正解なんだこれ。何も言わないのがいいのかな。
「ああ、悪いね、何もキミを貶めるつもりじゃなかったんだ。ただ、あの監督は好き嫌いで役者を選ぶきらいがあるから――キミは監督の好みのタイプそのままって感じだから、ついね…気を悪くしたなら謝るよ、ごめん」
「…別にへーきです。他の人にも言われてるんで」
「そう? 平気そうには見えないけどな。キミ、結構繊細だろ、俺の目は確かなんだぜ」
「…ソウデスカ」
「敬語は嫌だなあ、他人行儀な感じがする。普通に話してくれていいよ。俺たちは仲間なんだから。戦友と言ってもいい」
「せんゆう…」
「キミは音楽家なんだろう? 孤独な仕事だ。仲間をもった経験はない?」
「コンサートで共演したひとたちは、仲間といえるとおもうけど…」
「それは確かにそうだね。楽器のアンサンブルも映画の撮影と似たところがある。それぞれの個性を持ち寄って監督の指揮のもとでハーモニーを奏でるんだ。素敵じゃないか?」
初対面の相手に対して随分と饒舌なひとだ。人懐っこいっていうのかな、こちらをにこにこ見つめて気遣いながら言葉を並べてる感じがある。警戒心を相手に抱かせない雰囲気の人だ。
「僕、役者はほんとに初めてで。迷惑かけると思うけど、よろしくお願いします」
「大丈夫。誰しも初めてのことってのはある。遠慮なく頼ってくれていいよ。俺もキミを応援してる」
ぴかぴかの太陽みたいな笑顔で言う。黙ってると耽美な印象も持てそうな人だけど、話すと大型犬みたいだ。役者の世界ってすごいな。美人が一杯いて、魅力的な人もたくさんいて。この人だってこのギャップで、女性人気が凄そうだ。…まあ顔は、セデュのほうが僕の好みだけども。
「キミの入りは何時? 11時か。じゃあ俺と一緒に行かないか? 現場はここからちょっと行ったところでさ…」
「はい、ぜひぜひ! よろしいですよねムッシュ・リーヴェ! 共演者と仲良くするのも、撮影を円満にすすめる秘訣ですよ!」
最後の言葉は小声になって僕の耳元に囁くマチウである。僕も特に否やはない。どうせセデュはいないんだし、ひとりで現場に向かうよりは道連れがいたほうが楽しそうだし。
「…うん、いいよ。お芝居のこととか、いろいろ質問してもいい?」
最初の緊張が解けて笑顔で伝える。マルセルは一瞬呆けたようになってから、こくこく頷いて捲し立てる。
「もちろん! 何でも聞いてくれ、俺は結構芸歴長いからな! セデュイールよりも先輩なんだぞ! あいつのデビューのときも一緒だったんだからなあ!」
「そうなんだ! へええ…」
セデュの話題が出ると俄然前のめりになるゲンキンな僕である。これで道中、退屈しないで済みそうだ。




