第十話
ロケの場所は、ウィーンの西側を数十分進んだ、ドナウ川沿いの断崖に立つ修道院だった。
図書館だとか博物館も併設している歴史的な建物で、映画の撮影に使うのは、初めてだとか。
移動中は後部座席で隣り合ったマルセルにずっと本読みにつきあってもらった。マルセルはカラマーゾフ家の次男イワンの役らしい。長男ドミートリー(愛称ミーチャ)とは正反対の、知的で冷静でクールなカリスマ男の役だ。ちなみに僕の役三男アレクセイ(愛称アリョーシャ)は純真無垢な天使ちゃんって感じで、物語の中ではわりと影が薄い。だからあんまり出番もないかなーと思って、オファーを受けた、わけなんだけど。
もうひとり割り当てられたグルーシェニカ(本名アグラフェーナ)の方は、長男ドミートリーとその父親とを手玉に取る、奔放な娼婦の役。で、ロレンツォが演じるのが、ドミートリーの婚約者のカテリーナ(愛称カーチャ)。誇り高い美貌の令嬢の役。
カラマーゾフはサスペンスあり、ラブあり、深刻な宗教問答ありの傑作エンターテインメントで、面白いんだけど原作がめちゃくちゃ長いから、ドミートリーが父親を殺したのかどうか!? ってのを物語の焦点に据えて再構築した脚本は文句なしの出来栄えだと思う。さすがは国際映画祭ナントカ賞の巨匠の作、ってな感じだ。
ただそれを実際演じるとなると…もう、頭の中がしっちゃかめっちゃかでして…。
噛んだりどもったりする僕の芝居にマルセルは根気強く付き合ってくれて、それこそセデュがしたみたいに発音の癖とかも指摘してくれたりして、とても心強かった。
ワヤワヤやってるうちに現場に着いて、スタッフさんに案内されて別室で衣装替えとメイクを済ませ、ブルネットの肩までのウィッグを被り焦げ茶の僧服を纏い、カメラの前に進み出る。
礼拝堂に持ち込んだごつい照明器具が射すライトが眩しくて、目を開けていられない。四方八方にカメラがあって、そいつらがじーっと僕を見てる。
舞台の上に上がった時みたいだ。皆息を詰めて、沈黙の中で、僕の一挙手一投足に注視する。でもここにピアノはないから、僕は自分の得意なことに没頭するわけにもいかなくて。
合計25回のNGの後、監督は「アリョーシャのセリフはカットしよう」と宣言した。
共演した神父様役のおじいさんも、何とも言えない顔で苦笑していた。慰めるような、諦めた様な、やれやれって感じの顔で。
カメラの前から捌けて隅っこで落ち込む僕に、監督が声をかける。
「ホテルに戻ったら、私の部屋に来なさい」
監督直々の演技指導でもされるのだろうか。もしくは、準備期間を置いてのあんまりな仕上がりに対する叱責とか? すっかり思考停止した、くたくたの僕は、その言葉に疑問をもつこともなく、ただ頷いていた。
メイクを落として私服に着替えて、ホテルに帰りついたのはもう夕暮れ時だ。ロケ場所の修道院は現在も使用している建物らしく、修道士さんたちが使う時間には撮影もストップする。時間が決められているから分刻みのスケジュールで昼食もサンドイッチを搔っ込んだきり。役者の仕事って、思っていたよりずっとハードだ。
いつもの襟元の緩いサマーセーターとジーンズ姿で監督の部屋に向かう。5階の角部屋だ。一回行ったからさすがに覚えている。道中誰ともすれ違うことはなく、がらんとした廊下はデルヴォーの絵みたいで、異界に迷い込んだようだ。
チャイムを押すと、監督自らが僕を出迎え、部屋に招き入れる。
真っ先に寝室に通され、ベッドに腰かけさせられ、監督はその面前の肘掛け椅子に座る。
…撮影の時に見かけたカメラマンさんがひとり、監督の背後でカメラを回している。これは、なんだろう。オフショットの撮影中とか、なのかな?
「あのう、今日は、NG出しまくって、すみませんでした…」
とりあえず謝る僕である。先に謝っておけば叱責もちょっとはマシになるんじゃないかっていう、小細工だ。父さんに叱られる前にもよくやった手だ。ゼン監督にどの程度通用するかは、わからないけども。
「――君は、カメラが怖いのかな?」
唐突に切り出されて言葉に詰まる。そんなことはない、とおもう。注目されることにも慣れてる、はずだ。
「ちがう、と、おもいます…」
「そうかな。君の芝居は、何かに怯えているように、私には見えたが」
「……」
「芝居が拙いのは仕方がない。初めからうまくやれるなんて誰も思っていない。だが…カメラが怖いというのは、困るね」
「…はい、」
「君は慣れる必要がある」
「はい」
「じゃあ、ちょっと脱いでみてくれるかな」
「…はい?」
ぽかんと見返したゼン監督は真面目な表情をしてる。とても、急に、ポルノ映画でも撮りだしたのかと不審に思うような発言をしたばかりとは思えない。カメラマンさんも尋常の表情だ。…え、僕がおかしいのか? これって従わないといけないやつなの?
「なんでですか…?」
「恐怖心克服のためだよ。君はカメラの前で裸になって魂を晒すんだ。ここで脱げないようでは君のこれ以上の成長は望めない。役者ならば皆やっていることだよ、リーヴェ君」
「えええ…???」
「ほら、早くしなさい。私の時間も有限だ」
「いや、あの、えっと…」
僕の戸惑いを嘲笑うみたいに、カメラが僕を追いかける。きょろきょろあたりを見回すけど、どこにも僕の味方はいなくて、早くしろ、早くしろって急き立てる。
プレッシャーが物凄い。頭が混乱してきた。なんでこんなことになってるんだ? 皆やってることって本当? セデュも監督の前で裸になったことあるのかな? 聞きたいけどここには役者さんはひとりもいない。監督と、なんでもない顔してるカメラマンさんがいるだけだ。
セデュの言っていた、「役者に人権はない」とか「汚いこともさせられる」とかって言葉が僕の脳裏に反響する。こういう世界なのか。全然知らなかった。セデュが僕を引き込むのを嫌がるわけだな、納得…。
疲れ切っていた僕はもうそれ以上何も考えたくなくて、がばりと上を脱ぎ捨てた。ジーンズのバックルに手を掛けてぴったりとしたそれも引き摺り下ろす。情けない下着姿だ。骨の浮いた貧弱な上半身と、痩せぎすの両脚、とてもじゃないけど、人前に出せるようなしろものじゃない。思わず足元に視線を落とす僕を、監督が咎める。
「カメラを向きなさい、それから下着も外すんだ」
「………」
シャンデリアが煌々と照るホテルの一室で、まっぱだかになった僕はぼんやりカメラを見上げる。ぱちぱちと瞬くたびに視界が滲んでくる。…だめだ、こんなところで泣き出したら、ほんとに子供と同じだ。
僕はもう成人しているし、男同士で裸を見られたって何も恥ずかしいことはないじゃないか。
「…こちらに来なさい、リーヴェ君、私の膝に座って」
手招きされて言われるがままに僕は従う。操り人形みたいに従順にしていればすぐにこの時間も終わる。何も考えないままでいたい。監督が満足するようにすれば、すぐに僕は解放されるはずだ。たぶん…。
「カメラを見るんだ、私を見ないで…そう、カメラを意識して、脚はもっと開いて、そう…」
「……」
考えない、僕は何も考えない。めちゃくちゃ硬くなった監督のアレが僕のケツにあたってるのも、セックスの真似事みたいに監督が下でごそごそやってるのも、みんな茶番だ。お芝居だ。カメラの前の悪ふざけだ! まさか世界的な監督が、新人俳優をレイプするところをカメラで撮ったりはしない、よな? しないよね? どういう性癖なんだ。というかカメラマンさんはどういう心境なんだ!? 何もかもがおかしい。狂ってる。もうわけがわからない!
「リーヴェ君、君はこれからグルーシェニカを演じるね、グルーシェニカの職業は?」
「娼婦、です…」
「そう、正解だ。君に経験はあるのかな?」
「な、何が…」
「男を弄んだ経験が…男を嬲って、めちゃくちゃにした経験が」
「…監督、あの、僕もうこれ以上は…」
「カメラを見るんだ、戸惑う顔はいけない。蠱惑的に微笑んで…君にはできる、できるはずだ、なあ、リーヴェ君」
「ちょ、ちょっと、待って…」
完全に屹立させてる監督はもう頭の中がバカになっちゃってるんだと思う。これはもう吐き出させないと止まらないやつだ。カメラの前でこんなになるなんて正気の沙汰じゃない。みんなみんな頭がおかしい。
でも、やっぱり、どうしたって、監督と寝るのだけは嫌だ。
僕はそんなことをするために、ここに来たんじゃないんだから。
「手で、してあげる、から、…ね?」
精一杯、蠱惑的? な表情を作ってへらへら笑う。たぶん笑顔は引き攣っていただろうけど。
このポルノ映像が市場に出回ることはさすがにないだろうから、監督の自己満足? 趣味? につきあわされたってだけなんだろう。
顔色一つ変えないカメラマンさんに見られながら、僕はベッドの上で監督に奉仕してやった。監督のあれは膨張しても朝食で食べたウインナーくらいのサイズで、…しばらくウインナーを見たら監督のこいつを思い出しそうで、吐き気がした。




