第六話
パリからウィーンまで、直行便で約2時間。昨夜の記憶を反芻しながらうつらうつらしているうちに呆気なく着いた。
ホテルはウィーンの繁華街にある。王侯貴族の宮殿みたいなゴージャスな5ツ星ホテルだ。僕の部屋はセデュの部屋より2ランクくらい落ちたジュニアスイートで、それでも十分な広さがある。壁にはエリザベート皇后の肖像画なんかも掛かってて、キングサイズのベッドにシックな革張りの応接セット、シャンデリアがあって、大きくとられた幾つもの窓から陽光溢れる快適な部屋だ。
とりあえず部屋に荷物を放っておいて、セデュと一緒にこのホテルのスウィートに宿泊中の監督に挨拶に向かう。
べつべつに行った方がいいような気もするんだけど、まあ一応、友人同士ってことで。たまたま飛行機が一緒になって、同行してるって体で胡麻化す腹積もりだ。通用するかは、わかんないけども。
ダマスク模様の絨毯が敷き詰められた廊下をてくてく進んで、華奢なアイアン扉のエレベーターで5階を目指す。
ざっくりと胸元の空いたサマーセーターにジーンズの僕と、襟元までかっちりボタンを留めた白シャツにノーネクタイのグレースーツのセデュとは、完全に住む世界が違う人たちみたいでおかしい。友人同士なんて言っても、10人中8人くらいは信じてもらえなそうだ。…まあそのほうが今は、都合がいいんだけど。
チーン、とトライアングルを鳴らすような音が到着を知らせ、セデュに扉を開けてもらった僕が先に下りる。
そのまま5階に数部屋しかないスウィートを目指そうと顔を上げて、――僕は、こちらをじっと見つめる黒い瞳に気が付いた。
エレベーターを待っていたのだろうか、小柄な(たぶんだけど、170cmくらいの)、黒目勝ちな瞳がひどく可愛らしい少年が、そこにいた。髪の毛はいくぶん癖っ毛で、肌の色はつやつやしていて健康的で、目鼻立ちがとても整っていて――カラヴァッチオの描く美少年に無邪気な天使っぽさを足した、ような感じの男の子だ。
「セデュイール様お久しぶりです! また共演、できましたね!」
「…ああ、ロレンツォ、5年ぶりだな。元気そうでなにより」
「ふへへぇ、覚えててくれたんですね! うれしいなあ」
ことりと首を傾げた美少年は可愛らしく頬を染め、セデュを憧れのこもった目で見つめる。
…セデュと共演した女優さんたちがほとんどもれなくセデュに向ける眼差しに、酷似している。これはあれか。もしかしなくても、所謂その、好意を超えた熱視線てやつか。
「ルー、こちらはロレンツォ・クローチェ、今回の映画でカテリーナ役を演じる。ロレンツォ、彼は私の、…友人の、ルーシュミネ・リーヴェだ。アリョーシャとグルーシェニカの役に抜擢されたが、本来は音楽家だ。慣れないことが多いだろうから、君にも助けてやってほしい」
「わー。音楽家さんなんですかあ、すごいなあ! よろしくお願いしますね、ルーシュお兄様!」
にこにこ邪気のない顔で笑って、美少年――ロレンツォは、僕に手を差し出してくれる。僕も笑顔を貼り付けてその手を握り返す。…よかった、なんだかいい子そうだ。撮影現場で人間関係が拗れてギスッたりしたらどうしようかと思ってたけど、そんな心配もなさそう、かな。少なくともこの子に関しては…。
「監督にご挨拶に行かれるんですかあ? セデュイール様はまだ着いたばかりなんです? 終わったらご一緒にセリフ合わせしません? ボクの部屋は3階でえ…」
ポケットに入れていた部屋の鍵をじゃらじゃらいわせながらセデュに差し出し、甘ったれた口調でセデュに懐く。
…うん、あからさますぎるぞロレンツォ君! セデュは簡単に靡いたりはしないだろうけど!
「セリフ合わせは昼食の後にでもしよう、三人で。ここで失礼するよ、行こうルー」
「えあ、うん」
「お昼の後ですね! 絶対ですよお、セデュイール様!」
よく撓る若枝みたいな両手をぶんぶん振って、ロレンツォ君が見送る。若さが弾けてる感じでちょっと、いやかなり眩しい…。あの子はいくつくらいなんだろう。
「おそらく今年で21だろうな」
「ああそうなんだ。どおりで…」
「素直でいい子だよ。現場経験は長いから、…私がいないときには、彼に頼るといい」
「年下に頼るのも、気が引けるけど…」
「そんなことを気にするような子ではないさ」
父親みたいな顔でセデュが微笑む。…なんだろう、なんか、僕にはわからない、役者同士の信頼関係? みたいなものが、出来上がっているのかな。5年前っていうと、セデュが27歳くらいのとき? …僕と再会する前のセデュを、あの子は知ってるのか…。なんかモヤモヤしてきた。いかんいかん、ここではセデュと僕とは友人同士、友人同士…。
最高級のスウィートで僕らを迎えた監督は大げさに喜びを表現し、2.3回、僕とセデュとを交互にハグして頬にキスまでして歓待した。ここまで喜ばれるのは悪い気持ちはしなかったんだけど、だんだんセデュの目が死んでいくのがなぜなのか、その時の僕にはわからなかった。
「いやー、あんなに喜んでもらえるとは思わなかったなア。ハリウッド以来だけど、ゼン監督、あんまり巨匠ぶってる感じもしないし、いい人だねえ」
「………」
「共演者もいい子そうだし、怖がる必要なかったなー。僕がNG連発しても怒られなそうでヨカッター。もし万が一セリフ度忘れしたら、マチウがカンペ持ってくれるって話してたんだけどさあ」
「ルー、ゼン監督に呼び出されても、ひとりで部屋には行かないように」
「え? なんで?」
「…監督は手癖が悪いので有名だから」
「ええ? なんだよー、心配することないってー! ロレンツォ君なら兎も角、僕みたいなのをどうこうしたがる男なんてそうそういないからマジで!」
「………」
「今回、女優さんがいないのだけが残念だなア。スタッフさんにも少なそうだし、目の保養ができないのがなあ! 男ばっかりだとむさくるしくって嫌になっちゃう」
「ゼン監督はゲイだからな」
「………それって僕が聞いていい話?」
「知っておいた方がいい話だ」
「……そっかー。いろいろあるなア、芸能界…」
マチウはまだ到着しておらず、他に知り合いもいない僕は仕方なくセデュと一緒のテーブルで昼食をとった。ホテル付属のレストランで、ポークカツレツとフライドポテトのシンプルな食事だ。味はまあまあ美味しい。あまり凝った感じはしないけど。素材の味で勝負してるって感じだ。食後のデザートに供されたザッハトルテは絶品で、目を輝かせるセデュに僕は笑った。




