第五話
それから数か月が経って、明後日からいよいよ撮影がスタートする。僕はセデュに買ってもらったオークバックのスーツケースに衣服その他を詰め込んで、ぎゅうぎゅうと押しつぶす。
映画の撮影は大体ひと月から二月程度ってセデュは言っていたから、そのぶんの下着とか、私服とか、脚本とか、あとスコアとか…。他に何か必要なものあったかな? オーストリアを訪ねるのは10年以上ぶりだから、時間の余裕があったらいろいろ見て回りたいなあ。静かで、清潔で、きちんとしてる上品なお嬢さんみたいな街だから、あんまり暴れまわったりは、できにくいんだけど。…そのほうがいいいのかな。セックス中毒みたいになってる僕にとっては、すこし、冷却期間というか。頭を冷やす時間ってのが、必要なのかも。
なんとかかんとかスーツケースの鍵を締め、僕はセデュの寝室に向かう。いちおう、個人用の寝室も用意されているのだ。ほとんど使用していないけど。脚本を覚えるのに必死になるまでは毎晩、セックスするための寝室のほうを、使ってたから…。
ひょっこり顔を出すとセデュはもうスーツケースは片隅に片付け、肘掛け椅子に足を組んで掛けて台本をぱらぱらしてた。僕に気付いたセデュが眼鏡を外してテーブルに載せる。…いつか、眼鏡したままのセデュにも抱いてもらいたいな、なんか、大人っぽくて、理知的で、控えめな色気があって、いつもとはちょっと違う雰囲気で、どきどきするから。なんて、ヨコシマなことを考えつつ、向かい合った肘掛け椅子に腰かける。
「いよいよ、明日、出発だねえ」
「ああ。…準備はできたか」
「まあたぶん、だいじょーぶ、だとおもう?」
「なぜ疑問形なんだ」
「スイス以来の遠出だろ、色々ありすぎて頭ごちゃごちゃになっちゃってさあ。…まあ下着とスコアがあれば、じゅうぶんかなって」
「台本も忘れるなよ」
「わーかってるって。今回の僕は、音楽家じゃなくて、えいがはいゆう、だもんね。…大根だけど」
「この数か月で、見違えるように上達しているよ、お前は」
「お世辞はいいって。…まーでも、こんな僕を指名したのは監督なんだから、ゼン監督に責任取ってもらうつもりではいるけどね! 映画がコケようが、僕の責任じゃないし!」
「…そうだな、そのくらいの気持ちでいるといい」
セデュは台本もテーブルに置いて、長い指を組み、優しい瞳で僕を見つめる。
世界に僕しかいないみたいに、じっと見つめられると、どんどん頬に熱が上がってきて、こまる。僕は意味もなくぱたぱた足を揺らしながら、――このオファーを受けたときから、ずっと考えていたことを、セデュに切り出す。…。
「撮影現場ではさ、僕たち、恋人同士ってこと、伏せておきたいんだけど、どうかな?」
「…どうして?」
「いや、どのくらい、僕たちの関係が知られてるかわかんないし…やりづらいだろ? そういう目で見られるのはさ…」
「私は別に気にしないが」
「僕は気にするの! だからなるべく、離れてた方がいい、とおもう」
「…共演者として関わるのだ、離れてなどはいられないぞ」
「それでもさ、努力はできるだろ?」
「努力…」
「そ。…他人同士っていうか、そういう感じで…もちろん、共演者として助けては欲しいんだけど…べたべたしたり、キスしたり、…セックスしたり、そういうのはナシで」
「撮影中にする気は、なかったのだが…」
「それは勿論そうだろうけど! 念のためにね!?」
「…友人として関わるのも嫌か?」
「…えーと、んん…まあ、それくらいなら…?」
「そうか。わかった。ならそうしよう」
僕の意図を、理解してくれたのかどうなのか、わからないけどセデュはそう言って満足そうに頷く。…これでひとまず、懸念の一つは解消だ。撮影現場でいちゃいちゃしちゃったら、もう止められなくなっちゃうからなー。僕らのこと知らない人だっているだろうし、そういう人らにまで宣伝する必要はないわけだし。…やっぱり、大っぴらにするのは、抵抗があるし。僕のせいでセデュが悪く思われるのも嫌だし。
「じゃあ、そういうことで…」
「うん」
「…」
「…」
「…明日からは友人同士になるんだから、今晩のうちに、二月分、抱いてくれない、かな…」
「………」
さりげなーく誘ってみた、つもりなんだけど、セデュは呆気にとられたような顔でこっちを見た。なんだよう、なんか僕おかしいこと言った!? 言ったかな! セデュは全然その気じゃなかったみたいだ! しばらくしてなかったから、セックス中毒になっちゃってる僕は身体が疼いて仕方がないんだけど!? もう二月もガマンなんて、自分で言いだしておいてなんだけど、できそうにないんだけども!!
「…明日は出発だろう。お前の身体が心配だ。今夜はやめておこう」
「…」
「ルー、セックスしなくても、私のお前への気持ちは変わらないよ」
「…そんなの、わかってるけどさ…」
「抱きしめあって一緒に眠ろう。それではだめか?」
「…」
俯いた僕を覗き込んで、ひたすらに優しい声が落ちる。僕のこの、どうしようもない渇望も、飢えのことも、セデュはたぶん、気づいていないんだ。こんなの異常だって思いながら、僕が中毒になっちゃってることも。君に抱いてもらえないと、僕が死にたくなるってことも。伝えてないんだから、あたりまえだけど。
プレッシャーとか、緊張とかで、有耶無耶になってた欲望が、ぽかんと空いた時間にまた蘇ってきて僕をひどく苦しませる。
僕は結局、まだ不安定なんだ。どっちつかずで、ダメダメの、ろくでなしなんだ。セデュに縋りつかないと、息する仕方もわかんない。
「…抱いてよ、おねがいだから…そしたらしばらく、がんばれるから…」
「ルー、…」
「きみに奥まで、ふれられないと、ぼく、ぼくは…」
腰を浮かせたセデュが僕の手を握る。あたたかな掌だ。大きくて長い指が、僕の震える手を包み込む。
そのまま僕の前に跪いたセデュの掌が僕の背中を慈しむように撫でて、抱き寄せる。あたたかな身体に温められて、それでも、僕の乾きは癒えない。
「だめなんだ、たりないんだよ、抱いて、セデュ、おねがい、なんでもするから、…」
「何でもなんて、軽々しく言うものじゃない」
「…」
「1回だけだ。それでいいな」
「…うん、」
「――待っているから、準備しておいで」
耳元に、掠れたセクシーな声で囁かれて、腰が抜けそうになっちゃった僕はへにゃへにゃになりながらシャワー室に向かった。彼を受け入れるための準備は、最初のうちはセデュも手伝いたがっていたんだけど、あまりに恥ずかしいから、自分でするって言い張って、ひとりでできるようになったんだ。
ひとりでシャワー室に籠って準備するのは、ひどく空しくなるときもあるけど、今日は違う。早くしなくちゃって気が急いてたまらない。
それでその晩は、僕は初めてのときみたいに、セデュにたっぷり愛してもらった。いれたのは1回だけだったけど、セデュは僕の身体中にキスの雨を降らせて、美味しくってたまらないみたいに嘗め回して。僕の身体はもうどこにも、セデュのふれない場所はないくらいになっちゃって。
気持ちよさに目を閉じると僕は飛んでるみたいで、喘ぎながら必死に彼にしがみついた。セデュはたぶん、撮影のことも考えて、僕にキスマークの類はつけなかったのに、僕はセデュの背中を引っ搔いて、翼を捥がれたみたいな、爪痕を残してしまった。




