第五十話
入院から数週間で逆戻りしてきたセデュに、看護師さんたちはビックリするだろうな、きっと。…あのときも僕のせいだった。今度も。考えれば考えるほど気持ちが落ち込む。セデュに申し訳ない。僕はもう恋人でも何でもないのに。ロレンツォ君にも申し訳ないな…。
「ロレンツォ君、どこ行っちゃったのかな。一緒に病院にきてもらったほうがよかったんじゃない?」
「…どうして」
「だって、つきあってるんだろう? 君たち…」
「誰と誰が」
「君とロレンツォ君のことだけど…」
「…」
僕の隣に掛けたセデュは思いがけないことを言われたみたいにぱちぱちと瞬いて、僕を見る。気づかれてないと思ってたのかな、さすがに僕だってそこまで鈍感じゃないぞ。きちんと覚悟もしてるから、どんな爆弾発言が飛び出しても大丈夫だ。ヒステリー起こしてもう君を困らせたりしない。
「気づかれてないと思ってたの? 毎晩監督と三人でお出かけしてたんでしょう? さすがの僕でも気づくってそれはー! ロレンツォ君はカワイイし、仕方ないよね! 明るくて、元気が良くて、健康的で、僕とはまるで真逆だなー! もうセックスはしたのお? 君って女の子相手だと奥手だけど、男の子だと積極的だもんなあ! キスはさすがにしたでしょう? どうだった? 弾力ありそうな唇だよねえ…」
「…」
セデュが何も言わないのでどんどん無駄口がヒートアップしていく。あ、ダメだこれ。セデュにドン引きされてるのがわかる。僕のために喧嘩までしてくれた相手にたいして、この話題はちょっと、いやかなり、不釣り合いだよね。もうちょっと殊勝にしなきゃ。空気読めなすぎだろ僕…。
「ごめんごめん、べつに嫌なら言わなくていいよ! ぼくだって知りたいわけじゃないし…うん…ごめん、ほんとに…」
「つきあってはいない」
「…うん?」
「彼は私の恋人ではない。なんなら二度と会いたくないと思っている…」
「なんで!?」
「やつがお前にしてきたことの報いだ」
「え、あ…でも、あれくらい、ぼくは気にしないよ? なれてるし…」
「痛めつけられることに、慣れてほしくないんだ、私は…」
「…」
赤く腫れた掌が僕の掌を探り当てて、ぎゅっと強く、握りしめる。あたたかな体温に、引き締めたはずの胸の裡が解けそうになる。彼が恋人じゃないなら、監督となにかあったってこと、なの、かな。それって、ロレンツォ君と何かあるより、最悪なんだけど…。
「じゃあ、監督に、なにかされた?」
「されていないよ。口説かれはしたが」
「ほんとに? 毎晩一緒にいたのに? 朝まで、ただ飲み会につきあってただけなの? 君はお酒も飲めないのに…」
「本当だ。バロットが証人だ」
「あ、ほんとっすよ。俺がついてましたんで、セデュイールには指一本触れさせませんでした。安心してください」
助手席から何気ない調子の声が言う。彼がボディガードとして同行してくれてたなら、たしかに信じられるけど…でもそもそも、一体、何でそんなことを?
「お前が監督に呼び出された日に…お前とのことを監督に話したんだ。お前にこれ以上手出ししないようにと頼み込み、監督は了承した。条件付きで」
「え、話しちゃったの!? …じゃあその条件って、」
「撮影中毎晩付き合えってことっすよ。そいつもこれで終わりっすけどね! あー清々した!」
「…」
へなへなと力が抜けていく。僕はぐったりタクシーの座席に沈み込む。なんだろう、また僕は一人合点して、勝手に振られたって思いこんで、落ち込んだり騒いだりしてたってこと? わあ、恥ずかしすぎる。いい歳して何やってるんだ、まるっきりバカじゃないか。セデュは僕のために、僕のことを考えて、いつでも守ってくれていたのに…。
「…ごめんね、また勘違いしてた。僕がバカだった…あああ、マジでバカだ…」
「話す機会もなかったのだから、仕方がない。…お前はもう、私とは話す気もないのだと思っていたよ」
「どうして?」
「来なかっただろう、待ち合わせに…」
「待ち合わせ? なんのこと?」
「…」
黙り込んだ君は深く眉間に皺を刻んで、「マルセルか」と呟いた。
「そっすね多分。あの優男のやりそうなことっす」
「なに? マルセルがどうしたって?」
「お前は、…」
セデュは勢い込んで口にしてから、少し躊躇い、僕の目をじっと見つめて、一言一言、ゆっくり発音する。僕の心に、きちんと沁み込ませるみたいにして。
「…お前は、マルセルに恋をしているのか?」
僕の真意が見えないのは、きっと君も同じだったんだろう。幾重ものヴェールに覆われて、互いの形もよく見えないみたいになってしまってた。傍にいても、どこか相手がまるで別のひとみたいに見えて、戸惑ってた。疑いと憂鬱と、現実逃避したいって思いのヴェールのせいだ。それを取り除いたら、こんなにくっきりと君の心が見えるのに。
「恋じゃない、恋じゃないよ。マルセルは親切で、優しくしてくれて…迷ったこともあったけど。ちゃんと断ったよ。ぼくの心はセデュで一杯で、ほかのひとは入れないって…」
車窓を滑る街灯の光が君の頬を照らし出す。腫れあがった頬が歪んで、君は切れた唇を噛んで、不器用な笑顔を見せる。戸惑いと、安堵と、喜びが混ざり合ったような笑顔だ。スクリーンの中では完璧に笑う君なのに、今はこんなに、脆くて儚げでかわいそうで、かわいい。
「まもなく病院に着きます。ラブシーンはホテルに帰ってからにしてくださいよ」
指を絡ませ、傷ついた拳に頬擦りする僕に、バロットの淡々とした声が掛かる。上の空でそのままそこに口づける僕を、きみは強く抱き寄せた。




