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≪第七部≫ウンディーネは深更に満ちる ーカラマーゾフ編ー  作者: 咲佐きさ


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第三十七話

 あいつに初めて会ったとき、ふてぶてしいやつだと思った。

 今作がデビューの新人で、礼儀はしっかりしているし受け答えも優等生で、特筆するような難点はない。道行く人が残らず振り返るような美貌の持ち主ながら、驕り高ぶったところもなく謙虚で目上の者を立てる気遣いもある。

 それでいながら、どこか冷めた目で周囲を見ているように感じる。やつのために熱くなる周囲を淡々と眺めて距離を置いているような。やつのために身を滅ぼす人間が現れても、鼻で哂って通り過ぎていくような。

 面白いやつだと思った。あまり俺の身近にはいなかったタイプだ。

 芸能人なんて、利己主義でガツガツしていて上昇志向や自己顕示欲の強い輩がほとんどだ。人前に顔と名前を晒して賞賛を得ようと藻掻かにゃならん職業だ、そういうやつが集まってくるのは自明の理ではある。

 そんな中でやつのある種の欲のなさというか、別の層から物事を見ているような在り様はひどく異質に映った。

 当時、ゼン監督と別れて数年経っていた俺は共演者の男も女も食い散らかして、誰でもなんでも手に入ると調子に乗っていた。性欲も旺盛だった。目新しい獲物には喜び勇んで飛びつくような、そういう時期だった。

 とはいえこいつは直截に誘うだけじゃあ堕ちそうもないと踏んで、先輩風を吹かせて演技論をふっかけたり、役作りの助言をしてやったりして、次第に距離を縮める作戦をとった。

 セデュイールはそんな俺の魂胆に気付いているのかいないのか、相変わらず一定の距離を保ったままで「ええ」「はい」「ありがとうございます」などと他人行儀な受け答えをしていた。

 やつの目の色が変わったと思ったのは、監督の豪遊につきあって共演者仲間で街に繰り出した時だ。薄暗いバーの一角でピアノを弾くブロンドの青年を、やつはじっと見つめていた。酒を酌み交わし盛り上がる一同から距離を置いたまま、何かを渇望するような、砂粒の中から何か特別な一粒を探そうとでもするような、そういう横顔で。

「音楽が好きなの?」

 俺の問いにセデュイールは我に返ったようになって、「ええ」と少しはにかみなら微笑んだ。初めて見るやつの笑顔は、蕾が綻んだように可憐で、俺は目を奪われたのだった。

 もう10年も前の話だ。


 セデュイールを誘い出すのにはこの手が使えると確信した俺は知人の伝手で(ようは元カレの伝手だ)入手困難なコンサートのチケットを手に入れ、撮影のオフの日にホテルのやつの部屋を訪ねた。

 ショパンだかリストだか忘れたが、何か有名な曲の、著名なピアニストのコンサートだ。セデュイールは俺の来訪に驚いたような顔をしていたが、チケットを見せると目を輝かせ、まんまと俺についてきた。道中、主にゼン監督から聞きかじった作曲家のエピソードなんかを喋り散らして、穏やかに微笑みながら耳を傾けるやつに好感触を感じ、会場では俺には目もくれず一心に耳を傾けるやつの横顔を堪能した。

「もっと話そうじゃないか、君の感想も聞きたいし。俺の部屋においでよ」

 今まで難攻不落に見えていたやつだが、終演後にそう誘うと文句も言わずについてくる。今までやつの前ではあからさまな誘い方をしていなかったのが功を奏した。おそらくやつは俺が同性をも食い散らかしてる色魔ってことも知らないし、ゼン監督の愛人だったって過去も知らないのだろう。なにしろこの業界に入って来たばかりの新人だ。立場の違いもある。まあまあ売れてる俺に手を出されたって、こいつはどこに訴え出ることもできずに泣き寝入りするしかない。条件は整った。

 俺は内心舌なめずりしながら酒を買い込みやつを伴って部屋に帰った。

 

 シャンパングラスに注ぎ入れた酒は琥珀色に澄んで泡を浮かべる。オレンジの間接照明に照らされたやつの瞳の色に似ている。グラスを持ちあげ今夜の演奏とピアニストに乾杯し、杯を傾ける。

 やつは少し口をつけただけでグラスを置いてしまった。どうも、酒は苦手らしい。

 演奏についての談義を交わし、やつの酔ったような声がピアニストの技量を褒めるのを聞く。いつになく饒舌だ。こいつは本当に音楽が好きなんだろう。

 相槌を打ちながらツマミを勧め、やつに酒を飲ませる。俺はザルだが、こいつはおそらくそう飲めない口なのだろう。酔わせてしまえば押し倒すのは容易い。それこそ簡単に手折れてしまう。案の定、何度目かにグラスを置いたやつはぼんやりとした視線を彷徨わせ、チェリーのように染まった赤い頬で力なくソファに寄りかかる。それまでピンと背筋を伸ばした姿ばかり見てきたので、だらしなく脱力したセデュイールは新鮮だ。

「ここで寝るなよ、ベッドを貸してやるから…」

 聞こえているのかいないのか、茫洋とした視線を寄越すだけのやつに手を貸して立ちあがらせ、寝室へと運ぶ。ベッドに下ろすとやつは「すまない」とか「ありがとう」とかもごもご言って、そのまま目を閉じる。脱力した身体は無防備にも投げ出され、女のように長いまつ毛が伏せられたと思うと熱っぽい吐息がその唇から漏れる。

 頬を赤く染めて横たわるやつはとてつもなく可憐で、美味しそうだ。

 俺はベッドに乗り上げ、やつの吐息が一定の間隔を置いて漏れるようになってから、シャツのボタンに手を伸ばす。ネクタイはしていない。清潔な白いシャツは隠しボタンになっていてひどく外しにくいが、それも獲物を美味しく頂くための前準備のひとつと考えよう。

 あらわにした肌は健康的な肌色で、鍛えているのか、しっかり筋肉もついている。盛り上がった胸筋に反して腰は細い。着衣の上からでもわかっていたが、脚はすらりと長く尻は小さい。体毛も体臭も薄く、艶やかな顔貌のわりにストイックな体躯だ。

 ベルトを引き抜いてスラックスを引き摺り下ろし、下着も脱がせてしまう。初めて見るやつのあれは、…なんというか、思っていたよりご立派だ。こいつは咥えると顎が疲れそうだな…。

 まあいい、一度吐き出させてやれば、途中で起きたところであいつもギャアギャア言わないだろう。俺はガキの頃からゼン監督に仕込まれていたんだ。男を悦ばせるコツは心得てる。気持ちよくさせてやればあとはなし崩しに俺のところまで堕ちてくる。今までずっとそうやってきた、そうやって、俺は自分の空虚を精液で一杯に満たしてきたんだ。愛なんてものは知らないが、身体の満足があれば人は簡単に虜になる。

 俺は顔を伏せてやつに奉仕してやって、解放を待ち侘びるように膨らんでいくそれを味わう。唸るような声が頭上で上がる。やつの性感を刺激してやっているんだ、意識はなくとも感じるだろう。いいぞ、いい兆候だ。そのまま底まで堕ちてこい。お綺麗なお前を虜にしてやる。この業界の洗礼を浴びせてやる。飽きるまではお前の身体で遊んでやるよ。お前も俺も、気持ちよくなってウィンウィンだ。何の文句もないだろう?

 いつしか夢中になっていた俺は、やつが目を覚ましたことに気付かなかった。

 ぼんやりしたままベッドサイドを探ったやつが、力の入らない腕を振り上げたことに気付かなかった。

 

 かくして、俺の後頭部に振り下ろされたワインの瓶によって俺は意識を失い、やつは鳥のように俺の手元から飛び去った。

 こいつが俺と、セデュイールとの間に起ったことの全貌だ。

 俺は全治2週間の怪我を負わされ、やつを訴えることもできたのだが、まあレイプ未遂の事実もあって、喧嘩両成敗という形で矛を収めた。やつのバックに有名な映画プロデューサーがついていたということもデカかった。…反則だろう、新人にそんな後ろ盾があるなんてこっちは知りゃあしねえんだよ。

 ともあれ、それ以来俺はやつにちょっかいをかけることをやめ、すっかり反省し更生した好青年として振舞ってきた。やつの目の前で男や女に手を出すこともやめた。まあ陰ではやりまくっていたわけだが、表向きは、やつが共演NGを唱えられる立場になっても、まあもう大丈夫かと許されるくらいの関係性を築いてきた。

 そういう訳なので、潔癖症らしきあいつが堂々と二股かけてなおかつ男を抱いていると知って、俺は心底驚いたのだ。

 



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