第三十一話
今日は、カテリーナがドミートリーに会うために忍んでいくシーンの撮影だ。抱かれに行くシーンと言ってもいいかな。ボクの演じるカテリーナは、粗暴でドエスなドミートリーに翻弄されながら、クールで知的なイワンにも惹かれてるっていう役なんだ。どう、ヒロインにぴったりじゃない?
ルーシュお兄様にメロメロの監督はボクの真剣な相談には応えてくれなかったけど、ボクは挫けない。誰が見たってこの作品のヒロインはボクなんだって思われるように、熱演してみせるんだ!
連日の撮影にも疲れた顔を見せない紳士のセデュイール様は今日も素敵だ。しゃんと伸びた背筋、愁いのある横顔、監督の指示に頷く、従順なその一途さ。
監督の号令が掛かり拍子木が鳴ると、ボクたちのお芝居が始まる。衣装を脱ぎ捨て全裸になってドミートリーの前に立つボクを、後ろからカメラが捉える。ボクはお尻には自信があるから、カメラの前に晒すのだってへっちゃらだ。この役者魂! ルーシュお兄様にはないものだよね!
ドミートリーを演じるセデュイール様はボクの裸を嘗め回すように見て、鼻で哂い、ボクがカラダと引き換えに要求したお金を渡し扉を開けて、恭しくお辞儀しボクを追い返す。…。
「カット!」
マネージャーにバスローブを着せ掛けられながらボクはドキドキしてる。セデュイール様の冷たい眼差しの前で、何もかも曝け出したこと。前張りはつけてるけど、そのほかは楽園の園のアダムみたいな真っ裸で、嘲るような視線を一身に浴びて、…はあ、思い出すたび下半身がウズウズしてくる。たまらない。もう我慢できない。今夜のボクは本気で彼に迫って、堕としてやるんだ。もう決めた!
ひとまずその前準備として、ボクはセデュイール様のおっかないマネージャーに擦り寄る。腕組みして咥え煙草で現場に来るこのひとは図体ばかりでかくてムキムキで、スタッフさんの間でも浮いてる。腕まくりした袖口から見える腕には無数の傷があって、なんか、喧嘩上等って雰囲気だ。こわいこわい。暴力反対! このひと裏社会の人間じゃないのかな。前身がマフィアですって言われても信じちゃいそうだ。
「あのー、マネージャーさん、ちょっとお話があるんですけどお」
「なんすかクソガキ」
「くつ…、口が悪いですねええ! セデュイール様に言いつけますよお!」
「どーぞご自由に」
「そんなことより、知ってますう? 今日ルーシュお兄様とマルセル様、ふたりともオフでえ、デートに行ったらしいですよお?」
「…そうなんすか」
「マネージャーさん、ルーシュお兄様のこと気になってるんですよねえ? どこに行ったかーとか、何してるかーとか、気になりません?」
「…」
「教えてあげてもいいですけどお、条件があってえ…」
「…なんすか」
マネージャーさんには珍しくも、弱々し気に食いついてくる。当てずっぽうだったけど、図星だったみたいだ。ふーん、ルーシュお兄様ったら、セデュイール様のマネージャーにまで毒牙を伸ばしてたのかー。ふーん。
「今晩はあ、ボクとセデュイール様とのことを、邪魔しないでほしいんですよねえ。お願いできます?」
「邪魔ってなんすか」
「もう、しらばっくれないでくださいよお。いつものあの、ボディーガード業のことですよお。一晩だけならいいでしょお? セデュイール様だってもういい大人なんですからあ、保護者がひっついてるなんておかしいですよお」
「…まあてめえみてえなクソガキにセデュイールがどうこうされるとは思ってねえっすけど」
「じゃあいいですよねえ! 約束!」
「…で、ルーシュミネさんはどこに」
「ブルク劇場で、ウィーンフィルのコンサート聴きに行くんですってえ。いいですよねえ、こっちはお仕事でへとへとだっていうのに、優雅でえ」
「…そすか」
「その後はア、ホテルで仲良くするんでしょうけどお。それとも、夜の街に繰り出すのかな? おふたり、明日も確かオフだったから、一晩中遊び歩くなんてこともあるかもー」
「…」
マネージャーさんは眉を顰めて煙草を放り、苛立たし気に踏み躙る。ボクと交わした約束通り、その晩の監督の豪遊に、マネージャーさんの姿はなかった。案外あのひと、義理堅いところもあるみたいだ。
三軒目のクラブで、ボクはセデュイール様にしな垂れかかり、その腕を引く。
煌びやかなシャンデリアのある室内にはムードのあるジャズ音楽――何の曲かは知らない――が鳴り響き、監督やスタッフさんたちは杯を酌み交わして呵々大笑してる。
給仕するウエイターもマスターも演奏家も客も、みんな男性だ。ある一定の趣向のある大人の男の人の、秘密の社交場だ。
グレーのスーツにノーネクタイのセデュイール様は、浮かれた男たちの間で一羽の白鳥みたいに楚々として綺麗だ。組んだ長い足に無造作に絡めた指を置き、黙ってスタッフさんの話に耳を傾けている。こういう場ではあまり話さないセデュイール様が、ボクは好きだ。ぞんぶんにその整った顔を、鑑賞できるから。
「ね、ちょっと、気分が悪くなっちゃったから、抜け出しません?」
演者の大笑いに掻き消されないように、耳元で囁く。ボクの策略によってマネージャーさんはいないし、絶好のチャンスだ。今夜こそボクはセデュイール様に抱いてもらうんだ。考えてるとじゅわりと口の中に唾液が湧いて、ボクは興奮を沈めながらそれを飲み込む。
「…医者を呼ぼうか」
「いいんです、ちょっと休めばなおるから…」
ボクはセデュイール様の手を引いて、大騒ぎのソファから立ち上がる。クラブにはこの大広間の奥にいくつも個室があって、そこで休憩できるようになってる。ちなみに壁には覗き穴があって、中でのお愉しみを鑑賞できるっていうおまけつきだ。
扉を開くと派手な赤のベッドカバーが目に入る。部屋のほとんどをベッドが占領していて、他には申し訳程度に椅子があるだけ。いわゆるヤリ部屋というやつだ。あからさますぎて下品だったかな? ちらりと背後のセデュイール様の様子を窺う。…特に眉を顰めたり、苛立っているような様子もなく、淡々としてる。ここがどんな目的の部屋かってことにも、気づいてないみたいな。
まあ、それならそれで好都合だ。ボクはベッドに倒れ込み、涙目でセデュイール様を見上げる。
「そばにきてくださいよお、ひとりだと寂しいんですう…」
「大丈夫か、悪酔いしたのか」
「そうかも…ボクあんまりお酒強くないんですよお、ほんとは…」
「無理をしてまでこの集まりに参加することはない、明日からはホテルで休んでいるといい」
優しいセデュイール様はそう言ってボクの傍らに腰かけ、ボクが差し出す手を握ってくれる。汗ばむことのないような、乾いた大きな掌だ。指が長くて綺麗。セデュイール様は、どこもかしこも整っていて綺麗…。
「もっとそばにきてくれません? ボクを温めてくださいよお」
「…いや、それは…」
さすがにちょっとがっつきすぎたのか、セデュイール様が躊躇う気配がある。いけない、いけない。早まらないで、もうちょっとゆーっくり、巣穴に誘い込むみたいにしなきゃ。
「セデュイール様って、お父さんみたいで、安心するんですう。優しくて、包容力があって…」
「…」
「だからあ、つい甘えちゃって。いやだったら、言ってください、ね…?」
「…嫌ということはないが…」
ふと何かを考え込んだ様子のセデュイール様はそう呟く。なんだか上の空の感じだ。ボクはちょっとむっとして、子供がじゃれつく風を装い、起き上がり様にセデュイール様に飛びつき、ベッドに引きずり込む。
「ふへへ、つーかまーえたっ」
ぱちぱちと瞬く彼は呆気にとられたような顔をしてる。何が起こったのかわかってないみたいな。わあ、可愛くって嗜虐心が疼くぞお。ボクより11歳も年上なのに!
「セデュイール様、抱きしめてくださいよお、お父さんみたいに…」
肩に手を掛け、若干性的な意味を込めてなでおろすと、彼の掌が留めるようにボクの手を掴む。
「…やめなさい、そういうことは…」
「どうしてですう? ボク、セデュイール様がだいすきだから、何されてもいいですよお?」
「年上を揶揄うものじゃない」
「揶揄ってなんてないです。本気ですよお。ボクは本気で…」
「監督に話して、車を呼んでもらおう。君はホテルに帰りなさい」
「どうしてボクを子供扱いするんです? ボクはもう21ですよ、もう、あなたに憧れてただけの男の子じゃない!」
がばりと起き上がって、セデュイール様に乗り上げる。彼が逃げられないように足を挟み込んで、深紅のベッドカバーに両手を突いて見下ろす。
「ボクはあなたが好きなんだ、あなたに抱いてもらいたいんだ。だから毎日監督につきあってたんです、あなたに、あなたと離れたくなくて…」
「…退いてくれないか、ロレンツォ」
「どうして応えてくれないんです? どうしてボクじゃダメなんですか? ルーシュお兄様は今頃マルセル様と抱き合ってますよ。汗みずくで、キスしながら、朝まで繋がったまんまで、何回も何回も…」
「やめなさい、」
「ルーシュお兄様はあなたのこと、もう好きじゃないんだ、ほかの人に心変わりしたんだよ、なんでそれがわかんないの!?」
「…」
ぽたりとセデュイール様の頬に、水滴が落ちる。
ボクの両目から溢れ出す涙だ。ボクは自分で驚く。お芝居でならいくらでも泣けるけど、意図してないときに溢れ出す涙なんて、初めてだったから。
「…ロレンツォ、私は君に応えられない」
ボクの瞳を真摯に見上げて、残酷な言葉を、あなたは告げる。
「私はルーを愛している、あいつが心変わりしたとしても、それは変わらない」
「あのひとが、だれにでも、脚を開く淫売でも? 簡単に、ひとのものになる、尻軽でも?」
あなたは苦い笑いを零して首を振り、肘をついて起き上がる。
「ルーの魂は、誰のものにもならないさ」
何もなかったみたいに立ち上がったあなたはそう呟いて部屋を出ていく。ひとり残されたボクはベッドに突っ伏して、思う存分声を上げ、ベッドカバーに涙を吸わせた。




