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≪第七部≫ウンディーネは深更に満ちる ーカラマーゾフ編ー  作者: 咲佐きさ


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第二十二話

 紫煙に煙る店内にはメロディアスなピアノ演奏と、銀色のドレスを纏った男性歌手の『スピーク・ロウ』が流れている。私の隣に坐したセデュイールの滑らかな頬にミラーボールの光が斑な影を作り、その美しい相貌を時折鮮やかに浮かび上がらせる。

 彼の手を取って撫でながら、私はブランデーを舐める。芝居をしている時には驚くほど表情豊かな彼だが、オフの彼は表情をあまり露にせず淡々としている。昔から変わらない、精巧につくられた人形のような美貌を鑑賞しながら飲む酒は殊更に旨い。

「君の恋するあの子は、今頃マルセルといるのかな」

 握りしめた手がぴくりと反応し、彼は眉を顰める。愁いを帯びた表情は精悍さを増し、彼の苦悩を伝える。とてもいい。絵になる。今の彼はミーチャそのものだ。嫉妬に狂って、恋敵を殺そうと思い詰めている。

「昨日の現場でも、マルセルと熱烈なベーゼを交わしていたそうだね。かたく抱き合って…君が思うよりも、あの子はずいぶん多情なようだ」

「………」

 濁った瞳が私を捉える。何か言おうと口を開いて、またそれを噤む。

 リーヴェ君を部屋に呼び出したその日に私のもとに駆け付け、彼に対する恋心を打ち明け、今後一切彼を弄ばぬようにと念を押したセデュイールは、降板覚悟で直談判に来た彼は、私の要求を呑んだのだ。撮影中毎晩、私の放蕩に付き合うという、要求を。

 10年前、可憐にも私を拒んだセデュイールが男の子に恋をするとは驚愕だったが、相手があの儚げな美青年ならば頷ける。あの子は魔性の魅力がある、だから目を付けたのだ。演技の方は少々お粗末だが、それもこちらの手腕でどうとでもなる。

 セデュイールを我々のコミュニティに引き入れることができたというのも僥倖だ。彼ほどの美貌の持ち主はそういない、歳を重ねるにつれ色気が増して、凛とした佇まいに華が加わったようだ。彼は幾つになっても麗しい、食べてしまいたくなるくらいに…。

「――私の部屋に呼び出した時もそうだ。最初は戸惑っていたようだが、最後は自分から私をベッドに誘っていたよ。あの子は生粋の娼婦だ。まさにグルーシェニカだよ。男を翻弄して、楽しんでいるんだね…」

「………」

「君があの子に操を立てる必要はあるのかな? 君の片思いは叶わないのじゃないか? 彼らはきっと今晩もお愉しみだ、ならば我々も愉しもうじゃないか…」

 凌辱に耐える乙女のように、無言で私を睨むセデュイールがひどく可愛らしい。ベッドで彼が乱れるさまを想像させる。もう一押しだ、彼が実際、男を知っているのかどうかは知らないが、男の子に恋をした彼にやり方を教えてやるのも一興だ。知っているならば、よりやりやすい。枝を撓らせた花のように、落ちるのは一瞬だろう。

「階上に部屋をとってあるんだ、今夜はそこに…」

「あーツマミ頼んでもいいっすか? いいっすよね。セデュイールは何頼みます?」

「…私はいい」

「そっすか。あ、こっちこっち」

 無粋な声が我々の会話を遮り、はち切れんばかりのジーンズの脚を組んで、無精髭の男が指を挙げウエイターを呼ぶ。

 熱い胸板に盛り上がった二の腕と、野性味の塊のような男だ。全く私のタイプではないが、ある一定の需要はあるのか、先ほどからチラチラと我々のテーブルを覗き見る視線が少なくない。まあほとんどは、私の隣のセデュイールに注がれている熱視線だろうが…。

 全く私のタイプではないが、この男がセデュイールと並んだところは、確かに、絵になると言えなくもない。

「彼は君の何かな。愛人かな?」

「いえただのマネージャーです」

「ふうん。こんなところまで同伴するとは、過保護なものだ」

「あー、ピザとかないっすかね。ない? じゃあ何があるんすか。フルーツの盛り合わせ? んー、じゃあそいつで」

「…それで、セデュイール、君は男同士のやり方を知っているのかな? もし知らないなら、あの子とそういうことになった時に、不便じゃないか? 私が教えてあげようじゃないか…」

「監督、煙草吸っていいっすか? ライター持ってます?」

「さっきからなんなんだね君は。我々の会話に横入りするのはやめたまえ」

「俺はセデュイールのボディガードも兼ねてますんで。あんまりしつこいようだと腕の二、三本は覚悟してもらわにゃいけなくなりますよ」

「腕は二本しかないが…」

「緊張感ねえなあ、セデュイールはちょっと黙ってな」

「やはり彼の愛人じゃないのか、君…」

「いえただのマネージャーです」

「まあガキの頃からの付き合いなんで、弟分みたいなモンっすね」

 無精髭の男は咥え煙草で笑ってセデュイールと肩を組む。うんざりしたようなセデュイールの表情が珍しい。荒々しい男に強引に服を剥がれる彼のさまを想像すると、なかなかに淫靡だ。うむ、これはこれで酒の肴になるな…。

「ちょっと二人でベーゼをしてみてくれないか、舌を絡めるようなやつを」

「お断りします」

「無理っすね」

 息もぴったりの二人は目を見合わせて顔を顰める。やはりずいぶん仲がいいようだ。



「マルセルは演技中ってどんなこと考えているの?」

 買い出しに行ってくれたマルセルが持ち込んだ食料――ホットドッグと、白アスパラのお惣菜と、カリーブルスト――にフォークを突き刺しながら尋ねる。

「どうしたんだい? 役者としての心づもりができてきたのかな?」

「…まあ、大根は大根なりに、他の役者さんの話も参考にできるかなーって…」

 もごもごアスパラを噛みながら言う僕に笑って、マルセルは「そうだなあ」と空を仰ぐ。

「何も考えず役になりきるような憑依型の役者もごくまれにいるけど、そんなのは実際一握りでね。俺の場合は、演技プランにのっとって、映り方とか魅せ方を気にしつつ…って感じかな」

「演技プラン?」

「そう。撮影に入る前に、この役はどんな奴なんだろーなーって、自分なりに分析して、どうしたらそれらしく見えるかって計算して、監督と擦り合わせしながら作ってく、みたいな」

「分析と計算かア。なんだかイワンみたいだね」

「自分の理論で頭でっかちになって、最後は足元掬われるのかい?」

「そんなつもりで言ったんじゃないけど…」

「君はどんなふうに役作りする? 明日はグルーシェニカとしての初撮影だろう」

「それなんだよね…」

 ぴりっと辛いカリーブルストを飲み込んで、グラスに入れたトカイワインを呷る。こいつはルームサービスでもってきてもらったものだ。マスカットの香りがして、甘さがとろりと舌に残って、なかなか美味しい。セデュが好きそうな味だ。…あいつは下戸だから、全然飲めないんだけど。

「女装して撮影ってだけでもプレッシャーなのに、結構台詞も多いだろう? アリョーシャと違って…」

「女装に関しては、問題ないと思うけどねえ。君、結構華奢だし」

「このデカさで女はないだろー。ロレンツォ君みたいな、小柄な子ならともかく…」

「それはまあ、なんとかなるんじゃない? 撮影でどうにかできると思うよ。髪も地毛でできそうだし」

「だいじょうぶかなあ。現場が失笑の嵐だったらどうしよ…」

「悩んでいても仕方がないよ。やるしかないんだからね。で、どうやるかだけど…君はもともと音楽家なんだろう? コンサートのときとか、どういう気持ちでいたの?」

 肘掛け椅子に足を組んだマルセルが尋ねる。コンサート、コンサートか。僕がピアノのコンサートを演っていたのはもうずいぶん昔の話だ。10年前くらい? あのときの気持ちは…そうだな、わりと何も考えてなかったかも…。

「音楽って、即興芝居みたいなものだろ? あんまり考えなかったなあ。テンポとか強弱とか…音と一体になってるあいだは、何も考えなくても指が動いて、たのしくて…」

「…君はあれか。天才肌のタイプか」

「指揮しているときは多少考えたかな? どうかな…あんまり頭は働いてないかも。音の洪水を操るのに夢中で、冷静になれてなかったかも…僕はね。他の音楽家の人たちは、そんなこともないんだろうけど…」

「じゃあ君は、役を演じるときにも何も考えない方がいいかもね」

「…音楽とお芝居は、ちがうんじゃない?」

「さっき君も、即興芝居みたいなものって言っていただろう? 君は音楽を奏でるんだ、カメラの前で。そういう気持ちで挑めば、恐怖心も緊張もなくなるんじゃないか?」

 素人の僕に、何日撮影しても一向に上達しない僕に付き合って、親切なマルセルは助言をくれる。食事に行く気力もない僕を気遣って、こうして差し入れしてくれる。

 彼に甘えるのは、悪いなーって気持ちもあるけど、結局僕は差し伸べられる温もりに寄りかかってしまう。寄生虫みたいに。



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