第二十一話
今日もセデュとの撮影がある。移動する車の中で、
「君が辛いなら監督に話して、撮影の順番を変えてもらおうか」
とか、マルセルが言ってくれたけど、僕はそれに頷かなかった。
仕事は仕事だ、切り替えなくちゃいけない。これ以上皆に迷惑も、かけられないし。
セデュとの距離が開いてしまっても、現場に行けば彼と会えるし、役としてなら、触れ合うこともできる。
未練たらしい僕はそうして、ほんの少しの機会でも、逃せないで、しがみ付くしかないんだ。
毎日毎日執念深く、押し付けられた靴裏の画鋲を抜いて、屑箱に放り棄て、すっきりした靴を履き、スタッフさんの好奇の目の中を現場に向かう。
次のシーンはセデュと二人きりの場面で、トネリコの垣根を囲むようにカメラさんたちが待機している。
セデュ演じるミーチャが腹違いの弟への愛情、グルーシェニカへの渇望、父親への憎しみを吐露するシーンだ。乱暴者のミーチャの弱さというか、繊細さを表す大切な場面だ。
僕は指定された場所に立って、監督の号令を待つ。
声がかかり、カメラのフィルムが回り始める。僕がぱっと顔を上げるシーンをまず撮影して、それからセデュが現場入りする。つかつかとブーツの靴音も高く、進み出たセデュは垣根の向こうで、監督と軽く打ち合わせして、視線を足元に落とし、それから僕を見る。
何か言いたいけれど声にならない僕を置いて、監督の号令が響き、またフィルムが回る。
「そこから上がるんだ、早く、…お前が来てくれて本当によかった。ちょうどお前のことを考えていたところだったんだ…」
セデュが、ミーチャが、腕を伸ばして、僕の肘を掴み、垣根を超える僕に手を貸す。ぱっと飛び上がるようにして僕は生垣を超えて、彼の腕の中に抱き寄せられる。どんと胸と胸が重なって、あたたかい彼の体温を感じる。
撮影中なのに、カメラが回ってるのに、僕はどきどきしてしまって、何も言葉が出てこない。セデュは台本どおりの台詞を、僕の耳元に囁く。音声を収めるためのマイクが、頭の上に翳されている。
「さあおいで、お前は本当にかわいいやつだ」
何も言えない僕の台詞は全部すっ飛ばして、愛おしむみたいな声で言って、僕の手を引いてセデュは歩き出す。菩提樹の茂みの間の東屋まで。その間もセデュの台詞は止まらない。まるで彼の独壇場だ。僕は手を引かれるまま彼についていく。きらきら光る瞳で、慈しむみたいに見てくるセデュの眼差しを、ひどく懐かしく感じる。
「俺はな、アリョーシャ、お前を掴んでこの胸に抱きしめてやりたいんだ。潰れるくらいに。だってこの世で、俺が…本当に…本当に、愛しているのは、お前ひとりなんだから」
そう言ってまた、きつく抱き寄せられて、僕は、勝手に涙が滲んで、止められなくなってしまって。
監督がカットをかける。僕がNGを出したせいだ。
ぱっと僕から離れたセデュは、泣き出した僕をじっと透明な、感情の乗らない目で眺めて、おそるおそる、初めてのときみたいに、僕の頬に触れる。添えられた指が優しく、僕の涙を拭って、離れていく。
その指を、捕まえて、握りしめたかったけど、今の僕にはそれはできない。
監督の指示を聞いて頷くセデュの横顔を見つめる。役から離れてもまだ僕に優しくしてくれる、君の情の深さに、また涙が湧いてくる。
僕のところに道具をもって駆けつけて、パフを叩いてくれるメイクさんの足元に視線を落として僕は、何も感じないようにならないとって、心で何度も呟いた。
その日、僕は何度もセデュに愛を囁かれて、手の甲にキスされて、彼が渇望している女性の話を聞かされて、――腹違いの兄に恋焦がれているこの作品のアリョーシャの気持ちが、初めて理解できた気がした。
「ちょっとあざとすぎません? お兄様、わざと何度もNG出したんじゃないですか? セデュイール様に抱きしめられたくって。いるんですよねー、たいして巧くもないのに、そういう欲だけ一人前って女優さん」
次のシーンの撮影時、ロレンツォ君に耳元で囁かれてぎくりとする。半分くらいは事実だから反論のしようがない。わざとじゃないけど、セデュにずっと抱きしめられていたいって、思ってしまったのは、ほんとうだから。
どうしたって役者になれない僕がマトモな俳優の皆さんや、スタッフさんをイラつかせてることもわかるし、そもそもこの役に配されたのだって、監督の私情ありきのキャスティングだし。一生懸命やってるつもりだけど、それだけじゃあ足りないんだ。
新しいことを始めたら人間が変われるかもなんて、私的な理由でここにきてしまったのがそもそもの間違いだった。でも受けたからにはやり通さなけりゃいけなくて、僕は、自分ひとりでなんとかしなけりゃいけない。セデュにはもう頼れないし。
…切り替えろ。撮影中は、全部忘れて、お芝居に集中しないと。
セデュとのことを考えるのは、撮影が終わった後でいい。そうやって、先延ばしにして、見ないふりして、現実から逃げる、相変わらず卑怯な僕だった。




