第二十話
リーヴェの部屋のベッドにぼんやりしたままの彼を下ろして、ルームサービスで酒とツマミを頼む。ほんの数分で訪れた客室係はシャンパンと白ワイン、生ハムとチーズとトマトの盛り合わせをベッドに寄せたテーブルにサーブし、すぐに出て行った。
花模様の浮彫りのある二組のグラスにシャンパンを注ぎ、立ち上る泡の向こうに見えるリーヴェの当惑する瞳を見つめる。
「昨夜のこと、セデュイールは何て言っていた?」
何気ないふうで聞き出すとベッドに腰かけたままの彼は重い口を開く。素直な子だ。簡単に付け込むこともできてしまえそうな。
「…共演者も、スタッフも、一緒だったから、変なことはされなかったって…」
「そうかア。よかったじゃないか」
「…うん」
「でもあれだけ探しても見つからなかったってことは、あれかな、監督のゲイ・コミュニティに参加させられてたとか、そういうことかな? 今回の映画、スタッフも共演者も、そういう趣向のあるヤツばかりだって噂も聞いたし…」
「…そうなの?」
「そうそう、俺も含めてね。だからセデュイールが参加するってのが驚きだったんだよ。まあ、あいつは監督のお気に入りだからなア」
「…昔からの付き合いなの?」
「やつの出世作、というか、やつがでかい役を演った初めての作品が、あの監督の『知と愛』だからね。その前の年ぐらいに、モブ役で出ていたあいつを見出したのがそもそもゼン監督だったってわけ。それ以来の付き合いだから、もう10年近いんじゃないかな。当時は愛人じゃないかなんて噂もあったよ。監督の性的趣向は周知の事実だったし」
「…でも、セデュは、そんなこと一言も…」
「そりゃあ異性愛者のあいつからしたら、屈辱的だったんじゃないか? 女みたいに扱われるのはさ…」
「…セデュと監督の間は、何もなかったとおもう。キスされるくらいは、あったかもだけど…」
「どうしてそう思う? あいつの同性愛嫌悪は相当なものだ。監督とのことがトラウマになってるってことはないかな?」
「セデュの同性愛嫌悪なんて、感じたことないけど…」
「君を受け入れないのがその証拠じゃないか。自分は他の女に夢中なくせに、身勝手に君を振り回して、独占欲めいたものまで見せてさ。君が自分から離れられないようにしておいて、君に応える気は一切ないんだ。残酷だと思わない? 君は平気なの?」
「応えてくれたことはあるから、残酷だなんて、そんなこと…」
躊躇いがちにシャンパンに口を付けながらぽつりぽつりと言うリーヴェは、驚愕に目を見開いた俺に気付かない。衝撃的な事実を今言葉にしたってことに、気づいていない。それくらい、君にとっては、当たり前のことだったってことか?
「――君は、セデュイールに抱かれてるの?」
「………」
リーヴェはぎゅうと唇を噛んで、涙目で俯き、みるみる血が上った頬がほの赤く染まって、俺の質問を肯定する。
「…はああ、そういうことか。なるほど…」
「………」
動揺して、グラスを取り落としそうになって、俺はテーブルから逸れたところに置かれかけたそいつを慌てて捕まえる。少し酒が掌を濡らして零れる。グラスを改めて置いた俺は煙草を取りだしライターで火をつけ、ゆっくり一服するうちに、腹の底から熱いものがこみあげてくる。
「本命の女がいるのに、君にも手を出してるってわけか。あいつも隅に置けないねえ…」
「………」
「あいつの独占欲にも納得がいった。君の身体を獲られたくないんだな、あいつは。都合のいい相手として、独占しておきたいんだ、君のことを…」
「…セデュはそんなひとじゃない」
「でも実際、そういうことが起こってるわけだろう? 君が信じたくないのはわかるけどさ」
「…僕が望んで、強請って、セデュは僕に応えてくれたんだ。だから、セデュを悪く言わないで」
ひとりで夜道を歩く年端のいかない子供みたいな、心細いような、震える声で、君は言う。
君が今までどれだけセデュイールに傷つけられてきたのか、考えるだけで俺は頭が沸騰しそうだ。
「セデュイールが誠実な男だって言うんなら、どうして君はそんなに辛そうなの? 見捨てられたみたいに蹲っていたんだい? セデュイールが君のことを実際どんなふうに扱ってるのか俺は知らないけど、とても、大切にされているようには見えないよ」
「僕がいけないんだ。僕がダメだから、頭がおかしいから、全部全部僕のせいだから、だからセデュはひとつも悪くないんだ、悪くないんだよ…」
ダムが決壊するみたいに、みるみる瞳の裡に盛り上がった雫をぼろぼろ零しながら君は吐き出す。グラスを置いてテーブルに突っ伏した君はそのまま子供のように泣いた。
俺は君の隣に腰かけてしゃくりあげるたびに揺れるその背を撫でる。
君が本当に吐き出したいものは、たぶんそんな綺麗事じゃないのだろうに、深くまでは踏み入れられない自分に気が滅入る。
俺はその晩、ひたすら君の傍にいて、ふとしたきっかけで突発的に泣き出す君を慰めていた。
悪酔いしてへとへとになった君は今トイレに突っ伏して吐いている。饐えたにおいの籠る洗面所で君の背を撫でながら、シャワーのノズルを捻って湯を溜める。じゅうぶん湯が溜まるころ、君はようやく落ち着いて、ぐしゃぐしゃに汚れた顔を上げた。
「ごめん、ほんとに、こんなことにまで、つきあわせて…」
「いいよ、大丈夫。準備できたから、風呂に入りな。温まって、顔を洗って、そうしたら気分もよくなるさ」
君は涙の痕の残る頬でこくりと頷いて、立ち上がる。吐瀉物を流して、服に手を掛け、ばさりと無造作に脱ぎ捨てる。そのままベルトのバックルに手を掛ける君を見ていられなくなって、俺は洗面所から撤退した。
…あまりに無防備すぎる。俺を友人として受け入れてくれているということなのはわかるが。君は人を疑うってことを知らないのか?
…うまく言い包めたら一緒に風呂に入ることもできそうだったな、早まった。どうにも、君を相手にしていると調子が狂う。いつものようにちょいと遊んで、飽きたらすぐ他の子に乗り換えるみたいな、そういう軽妙さが、俺の特性だったのに。
君がシャワーを浴びている間に、部屋のチャイムが鳴らされる。扉を開けるとホテルのポーターが、にこやかな笑顔で俺を迎える。
「ムッシュ・リーヴェにご伝言です。ムッシュ・レヴォネから…」
「ああ、渡しておくよ、ありがとう」
一枚の紙片には君を呼び出すためのセデュイールの悪あがきが書かれている。待ち合わせ場所と時間が、ご丁寧かつ流麗な文字で。
俺は鼻で笑ってそいつを引き裂き窓を開け、風に浚われるに任せる。
あいつにリーヴェは渡さない。どんな手を使っても、俺がリーヴェをモノにする。
煙草に火をつけ紫煙を燻らせる。ヒュウと吹き込んだ風が、重いカーテンを揺らして通り過ぎた。




