第十六話
アングラのロックバンドが即興演奏するクラブや、ダンスホールと順々に見て回り、そのたび酒を呷って歩き回って、何時間経ったろうか。監督の行方は(リーヴェにとっては)杳として知れず、彼はくたりとテーブルに突っ伏した。
「まじかよー、夜の街での人探しってこんなにタイヘンなの? ていうか何軒あるのさ夜の店! まさかもうホテルにしけこんでるとかそういうことなのかなあ!?」
「監督は手が早いからなー。そういうこともあるかもねえ」
「………」
煙草を吸いながらにやにや笑って言ってやると、リーヴェは泣きそうな顔で黙り込む。子供のように素直で、感情がすぐ顔に出る。これで隠してるつもりだなんて、どれだけ浅はかなんだろう。
「――キミはセデュイールがよっぽど好きなんだね」
「…そんなんじゃない」
「隠さなくてもいいよ。俺にはさ」
「…僕はセデュに、傷ついてほしくないんだ。それだけ」
「君はおかしなひとだなあ」
青や紫のライトに照らされた白皙がぼんやりこちらを見る。普段は宝石のようにキラキラしている緑の瞳が、薄暗い照明に濁され汚されて彼の煩悶を伝えているかのようだ。
君は、何にも縛られない鳥のように、自由で奔放そうに見えるのに、こんなにも雁字搦めなんだ。
「自分のことはちっとも大事にしないのに、セデュイールが傷つくのは我慢がならないんだね」
「…ぼくは、セデュが、大切だから」
澄んだテノールは歌うようにいつでも心地よく耳に残る。君はどんなふうに泣くのだろう。どんなふうに、怒るのだろう。
「セデュイールが、君をいちばんにしてくれなくても?」
煽るように言う俺に君は濁ったままの瞳で頷く。踊る人の影がその頬に映り君のつくりものみたいな無表情を隠し、通り過ぎてまたそれが露になる。
揺れている君の心の底を表わしているかのように。
ガラスの灰皿に煙草を揉み消し、握りしめる俺の手を君は振り解かず、ただ夢を追うひとのように上の空だった。
夜明けまで歩き回って、疲れた果てたリーヴェは気を失うように車の中で眠り込み、くたりと華奢な身体が俺に寄りかかる。どこもかしこも、繊細に造られた人形じみていて、病的なほどに白いきめ細やかな肌が朝焼けの光に染まり、天国の到来を知らせる天使のようにも、破滅へと導くリリスのようにも見える。
不思議な男の子だ。ふとした瞬間に、人ではないもののように感じる。
薄く頼りない肩を抱き寄せれば、ことりと首が傾いて俺の胸に添う。半開きの薄い唇から寝息が微かに漏れて、隙間風のようなその音がとても愛らしい。
ホテルに着いた際には少し悩んだが、寝込んだままの君を背負って俺はタクシーを降りた。
抱きしめたまま降りてもよかったんだが、他人に見られると起きた後の君は困惑するだろうから。
――こんなふうに、相手の気持ちを考えるなんて、俺にとってはいつぶりだろう。もしかしたら初めてかもしれない。
鍵をまわして、扉を開く。背負ってきた君をベッドに下ろして、ぐったりと投げ出された無防備な身体を見つめる。
君は俺を信じていて、疑いもしないんだ。
まるで赤ずきんちゃんみたいだな、狼に簡単に食べられてしまう。
ベッドに乗り上げた俺は彼のTシャツを引っ張って脱がす。ベルトのバックルに手を掛けてそいつも外し、ジッパーを下ろす。普段は滅多に晒されないのであろう肌は一段と白く瑞々しい。ふわりと香るのは彼の体臭だろうか。花のような、新鮮な果実のような、甘い香りがする。蜜に誘われた俺は身体を伏せて、君の肌に吸い付く。ぴくりと震える君の唇から微かに声が落ちる。甘いその調べに酔わされ、俺は君の肌をまさぐりながら膝を君の脚の間に押し付ける。
おそらくはゼン監督につけられたのであろうキスマークのすぐ下に、新しく痕を残す。その印象に反して柔らかい肌はきつく吸うだけですぐに痕が残る。君の身体のあちこちに、痕を残してやりたい。君は俺のものなんだって、世間に知らしめたい。セデュイールに君は勿体ない。あいつは君の魅力に気づいていて、それで無視しているんだ、まるで関心のないようなふりをして、とっくに囚われているくせに、それを認めようともしないで、他の女を追いかけて。
君は俺の恋人にする。セデュイールには渡さない。俺はもう決めた。君がたとえあいつを好きでも――
「あ、う、…ふ、」
吐息を漏らす唇に惹かれ、そこに口づけようとして、俺は君に近づき、
「…セ、デュ、…」
意識が混濁したままで、切ないように、やつの名を呼ぶ君に、俺はだらりと手を下ろす。
ピチュピチュ、チチ、と窓辺で鳥が鳴いている。
それ以上、俺が君に深く触れることは、どうしてもできなかった。
君にもとどおり服を着せ、俺はひとりでシャワーを浴びる。頭を冷やしたかったのもあるし、凝り固まった欲望を吐き出したかったのもある。
君を落とすのはもう少し先でいい。もっとじっくり、時間を掛けて、君の中に侵食するんだ。俺が迫って落ちなかった相手なんて、それこそセデュイールくらいのもんだ。いずれ君は俺のものになる。自ら俺の胸に飛び込んでくるように仕向ければいい。得意だろう、そういう手練手管は…。
タオルで頭をがしがし拭いていたら、控えめなノックの音がした。時間は8時半。もうとっくに朝食の時間になっているが、眠り込んだリーヴェは起きそうにない。俺は腰にタオルを巻いただけの恰好で、とりあえず応答し、ドアを開ける。
廊下に立っていたのは、一晩君が探し回った、セデュイールその人だった。




