第十五話
僕が監督の部屋に行ったことをセデュは知っていた。あいつに行くなって言われてたのに、むざむざと罠にかかった僕のことを。もしかしたらあの日訪ねてきたのは、監督との間にあったことを、問い詰める…というか、確認するつもり、だったのかもだ。
僕がヒステリー起こしたせいで、結局、あいつは本当のことを何も知らないまま、今日まで来たってことで…。…。
――やっぱり、きちんと話さなきゃ駄目だ。監督との間にはなんにもなかった…と言うとちょっと語弊があるけど、まあ最後まではしてないわけだし、マルセルとのことだって、ただ話してただけなんだって、言わなくちゃ。
ちゃんと話せばセデュはわかってくれる。僕を信じてくれる。はず。…たぶん。
ここでうじうじ考えていたって仕方ない。僕は顔を洗ってメイクを落として、いつものサンダルに履き替えて、楽屋を飛び出す。セデュの撮影は今日はないから、ホテルにきっといるはずだ。…気まずいとか、恥ずかしいとか、そういう思いはまだあるけど、そんなこと言ってる場合じゃないんだ。セデュと離れないでいるために、僕はできることはしないと。ちゃんと話して、誤解を解いて、それで、僕にはセデュだけなんだって、伝えないと。
ウィーンまでの道中、車の中で僕は気が急いて仕方がなかった。
ホテルのセデュの部屋のベルを鳴らすも、応答がない。
もしかして一足遅かったのかな? もうどこかに出かけちゃったとか?
窓の外はもう暗くなってる。日没が8時くらいだったから、今は夜の9時頃ってところだろうか。あんまり遊び歩いたりとかしないセデュは、普段なら、部屋で寛いでるはずの時間、なんだけど…。
もう一度、念押しのようにベルを押す。…やっぱり応答なしだ。出かけてるんだ。でもどこへ?
廊下で途方に暮れていると、エレベーターホールの方からこちらに向かう人影がある。顔を上げると、マルセルがいた。彼の部屋も、セデュと同じフロアだったらしい。
「どうしたんだい? セデュイールに何か用?」
「ああ、うん、ちょっと話したいことがあって…」
「あいつならいないよ。今夜は監督と飲みに行くって言っていたなア」
「――」
思わずマルセルの目を凝視してしまう。
監督と? セデュが? こんな夜遅くに? ふたりっきりで?
「ダメだ、止めないと! セデュの身がキケンだ!」
「大丈夫だろー、あいつももういい年だし、自分の身は自分で守れるだろ」
「ダメダメ、絶対ダメだ! あのスケベ親父がセデュに何するかわかんないもん!」
「スケベ親父ときたか…」
「それにセデュには、今夜のうちに、話しておかないといけないんだから…」
「…それって昨晩のことかい?」
マルセルが僕の目を覗き込み、囁くような声で確認する。セデュに誤解されたままなのはマルセルにとっても気持ちの良いものではないだろう。僕はこくりと頷いて応える。君の誤解もきちんと解いてくるから、って思いで。
「どこに行ったかわかる? 僕、ウィーンは久しぶりで…」
「…店はわからないけど、俺も一緒に行くよ。俺のせいでキミが苦境に立たされるのは御免だから」
「君のせいじゃない、僕が悪いんだ。…きちんと話せばきっとセデュはわかってくれる。だから、行かないと」
「5分待っていて、準備してくるから」
マルセルはそう言いおいて自分の部屋に向かう。僕はいますぐにでも飛び出したい気持ちを抑えて、廊下に敷かれた絨毯を何度も踏みしめた。
ライトに照らされた歌劇場や博物館を通り過ぎ、タクシーはインネレシュタットの歓楽街へ向かう。夜には一層賑わしさを増す、クラブやバーの密集している地帯だ。普段は閑静で整然とした街並みが一変し陰りを帯び、地下にあるクラブは淫靡な熱狂と興奮が渦巻いている。
タクシーの中で俺の隣に掛けていたリーヴェは窓の外を滑る景色にじっと目をやり、心ここにあらずといった風情だった。無防備に投げ出された手を俺が握りしめても、振り解きもしない。あまりにあけっぴろげで、心配になるくらいだ。
店の前に着くとドアを開けて駆け出し、黒服に止められている。会員制のバーには顔が効く俺が傍についててやらないと、入店できないってのに。
タクシーを降り、黒服に合図して、リーヴェとともに店内に入る。ここにセデュイールがいないことを俺は知っている。長い付き合いだ、監督の好みの店はだいたい把握してる。俺がまだ10代の美少年だった頃、何度も連れまわされたから。今となっては懐かしい思い出だが。
薄暗い照明の階段を下りて、紫煙の燻る個室に通される。リーヴェはそわそわと落ち着かない様子できょろきょろあたりを見回している。
「ここって、他の部屋に誰かいても、わからないよね? 知らない顔してドアを開けて回ろうか」
「セデュイールが来ていないか、俺が確認するから。キミは座っておいで、お姫様」
供されるシャンパンをグラスに注いで彼に差し出す。革張りのソファに掛けたリーヴェは戸惑うような目でそれを受け取る。促すと一口だけ口をつけて、すぐにテーブルに戻す。俺に対する警戒心はないようだが、セデュイールのことが気になって、雰囲気を楽しむどころじゃない、といった風情だ。やはりもう少し、時間をかけたほうがよさそうだ。
「マスターを呼んでくれ」
給仕に来たウエイターにそう声をかけ、煙草に火をつけてから間もなく、タキシード姿の40がらみのマスターが顔を出した。
「ピエトロ・ゼン監督はここに来てる? 今映画の撮影中でね、合流するように言われたんだが」
形式的に尋ねれば形式的な答えが返る。
「恐れ入りますが、ゼン監督は当店にはまだいらっしゃっておりません。ご期待に沿えず、申し訳ありません」
予想通りの返答だ。リーヴェはそれを聞くとすぐに立ちあがり、すぐにも店を出たいような様子だ。
「まあ、落ち着きなよ。とりあえず一杯飲んでいこう。店に対する礼儀だぜ」
紫煙を吐き出しながら声を掛ける。いきり立った犬ッコロを宥めるようで面白い。ひとりではこういった場所には入店する資格を持たないらしいリーヴェはしぶしぶソファに座りなおし、やけくそのように酒を呷った。




