第十四話
衣装に着替えてメイクルームに入ると、和やかに談笑していたスタッフさんたちの声がピタリと止まる。そそくさと蜘蛛の子を散らすように去っていく。なんだろう、昨日までとは雰囲気が違う。僕があんまりダメダメだから、スタッフさんたちも呆れてるのかな。
僕担当のメイクさんがあんまり顔を見ないようにしてるみたいにパウダールームに僕を誘導して、メイクが始まる。ぱたぱたと軽く白粉を叩いていたメイクさん(ガタイのいい男の人)が、「アラ」と驚いたような声を発した。
「昨日はお愉しみだったのかしら。でも、あんまり見えるところには付けないでもらってね」
面前の鏡の中、首筋の、衣装で隠れるかどうかぎりぎりのところに、真っ赤なキスマークが付いている。…いつ付けられたのか覚えがない。セデュとは旅立つ前の晩にしたきりだし、紳士なセデュはこの現場のことも考えてくれて、そういう痕は一切、残さなかったはずだ。
…もしかして、昨日、監督に手淫してやってたときかな。さっさと終われくそじじいって必死だったから気にしてなかったけど、そういえば監督は僕の胸を吸ったり首筋を吸ったり、してたかもだ。
あーそっか、こんなもの見せられたらそりゃあ、誤解するよなア。でもそれだと、マルセルが冤罪を引っ被ってるってことじゃないか? やっぱりきちんと話さないとダメだな。でも監督にされたなんて言ったらセデュは、この仕事をぶち壊しかねないかも…。
「いって、…」
メイクが終わって、サンダルから仕事用の靴へと履き替えたとき、それは起こった。
ぷつりと足の裏に血の玉がにじむ。よくよく見ると、現場用に用意された靴にきらりと光る針が浮かび出ていた。
裏返すと、画鋲が靴裏にぶっ刺さってる。これはあれだな、イビリの一種だ。めちゃくちゃ古典的だけど…。
セデュのファンか、マルセルのファンがやったのだろうか。それとも僕の下手糞さにつきあってらんねーって痺れを切らしたスタッフさんの仕業かな? …怒りを買うのも当然だって思うから、騒ぎ立てたりはしない。僕は靴に食い込んだ画鋲を外して、屑箱に放り棄てる。
子供の頃から、こういう扱いはよくされてたから、もう慣れたもんだ。食べ物に虫を入れられたり、公衆の面前で裸に剥かれたり下着を隠されたり、頭の上に植木鉢落とされたり。そこまでじゃないんだから、こんなのは可愛い悪戯の範疇だろう。
…これから毎日、警戒しないといけないのかって思うとちょっとしんどいけど、まあ、僕はもう船に乗ってしまったので、今更降りるわけにはいかない。港まで引き返してくれなんて言えない。
次の港を目指して、進むしかないんだ。
18回目のNGを出してしまった僕のせいで、ひとまずお昼休憩を挟んで、また同じシーンを撮影しようって話に纏まった。
へろへろになった僕は関係各所に平謝りしてからひとまず楽屋に帰る。マルセルはなんでもないみたいに笑って「よくあることだよ」とか言ってくれた。いい奴だな、本当に…。
楽屋にはサンドウィッチの差し入れがあって、ひとます中身を確認してから(虫が入っているといけないので)、単純な生ハムとチーズ入りのそれを口に運ぶ。作られてしばらく放置されていたのか、ちょっともそもそしてるけど普通に美味しい。よかった。食べ物に悪戯する系のイビリはないみたいだ…。
修道院内にある個室を便宜上の楽屋として割り振られているので、たぶん普段はここは修道士さんの部屋なのだろう。きちんと整ったベッドにテーブルと椅子、文机、鏡とかはなくて聖像がカーテンのない窓際に置かれている。
ベッドに腰かけるのは気が引けるので文机に座って、なんとなしに引出しを開けた僕は、それを見つけた。
思わずバタンと引出しを締めてから、おそるおそる、もういちど開く。
黒光りする拳銃が一丁、そこにはあった。
好奇心に負けて手に取るとずっしりと重い。これは、撮影に使う、モデルガンかな? それともまさかの本物だろうか。扱い方のわからない僕は撃鉄には触れないようにしつつもかちゃかちゃとそいつを弄繰り回す。かちゃりと弾が装填されてる部分が開いて、一発だけの弾丸がそこに入っているのが見えた。
…なんだろうこれ。こいつもイビリの一種なのかな? 自殺するなら勝手にどーぞって意味?
…いや、撮影中に自殺者が出たら映画どころじゃないだろうからそれはないか…。
……。
…見なかったことにしよう、うん。
僕は元通り、拳銃を引出しにしまいこみ、がたんと大げさな音を立ててそいつを封印した。
1シーン撮り終わるのに、一体何時間かかったんだろう。出番を終えて楽屋に戻るころには日が暮れていた。今日だけで何回頭を下げたかな、僕…ごめんなさいって言いすぎて言葉が空中融解していくみたいだった…。こんなんで、明日、セデュとの撮影に臨めるのかな。まだ全然、よっしゃやるぞって気分に、なれないんだけども…。
がちゃりと楽屋の扉を開くと、ベッドの上に、華やかなドレス姿の淑女がいて、僕は瞬く。
映画のワンシーンみたいに、ベッドに腰かけた白いドレスの令嬢はにこりと微笑む。ウエストで締め付けて、ふわりと広がったスカートが足を隠して、裾からは幾重ものレースがちらりと見える。
「お疲れ様でしたあ、ルーシュお兄様!」
巻き毛のウィッグを付けていたのでわからなかった。そこにいたのはロレンツォ君だ。女装が嫌味なぐらい様になってる。静かに待っていた貞淑な淑女の雰囲気から、笑顔になると溌剌とした活発美少女の雰囲気に変わる。役者ってすごい…。
「お疲れ様。君の撮影はこれから?」
「はい! もうちょっとではじまります!」
「すごいねえ、ドレスがよく似合ってる…本物の女の子みたいだ」
「そりゃあ、オーデションでこの役ゲットしたんですから、当然ですよお! 淑女の所作も、練習したんですよ? 1年も前から…」
「そうなんだ…本当に綺麗だよ、カテリーナ役も納得だね…」
「ルーシュお兄様は、アリョーシャより、グルーシェニカのほうが、お似合いでしょうねえ」
「…え?」
「だあって、ボクにはとても真似できませんもん。ほんものの娼婦をつれてくるなんて、監督もやるなーって思いましたよお」
「……えっと、なんのこと?」
「しらばっくれなくってもいいですよお! みーんなもう知ってますから。ルーシュお兄様はア、監督のいい人、なんでしょう?」
「…それは、」
「グルーシェニカ役、やりたかったですけど、もういいんです。ボクには貴族の令嬢役の方が合ってるなーって思うし。何人もの男と寝るようなやらしー女の人の役なんて、ボクにはまだ、とてもとても…」
「…あのさ、誤解があるようなんだけど、」
「あ、ボクのプレゼント、受け取ってくれました? 黒くて硬くて大きくて、最高でしょ?」
「…拳銃のこと、」
「お兄様は好きなんなじゃないかなーって思ってえ。生きてるのが嫌になったら、いつでも使って構いませんからね!」
「……」
「そうそう、セデュイール様もお、監督とのこと、もう知ってますからあ、うぶなフリしても、無駄ですよお? きっと軽蔑してるとおもうなー、あなたのこと。セデュイール様を、ずっと騙してたんですよねえ?」
「…だましてない」
「なんですかあ? 聞こえないなあ、もっとお腹から大きな声を出さないと、音声さんが泣きますよお? あ、お兄様はそれ以前の問題だったかな? 今日もNGばっかりだったみたいですねえ。アリョーシャ役は降板したらどうですかあ? あなたはグルーシェニカだけで十分でしょう? 娼婦の役なら素でできるんだから、演技とか必要ないですしい。いつもの感じで腰振ってれば、監督はオッケー出してくれるんだから、楽勝ですよね?」
「――」
ロレンツォ君はくすくす笑って、ぴょんとベッドから飛び降りる。悪いことなんて何も知らないようなきらきらの瞳で僕を見上げ、後ろで腕を組んで可愛らしく首を傾げる。
「セデュイール様は、この撮影中に、ボクのものにしますから。あなたは監督とお幸せに♡」




