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≪第七部≫ウンディーネは深更に満ちる ーカラマーゾフ編ー  作者: 咲佐きさ


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第十三話

 ボクは長い廊下を、熱帯魚みたいにひらひら歩く。身体にぴったりしたシャツと、ロックミュージシャンみたいなスキニーパンツのボクを、すれ違う人たちが目で追う。ボクは自分の魅力をよーっく理解しているので、そういう人たちに向かってにこりと笑いかけてやる。へへ、また1人落ちた。ちょろいもんだね。

 ボクがウキウキと向かうのはセデュイール様の個室だ。こんなに早いと、もしかしたら彼の寝起きの顔も見られちゃうかもしれない。楽しみだなあ!

 ベルを押して間もなく扉を開けてくれたセデュイール様はやっぱり寝起きだったみたい。セットされてない前髪が眉を隠していてカワイイ。ぼんやりとボクを見つめてゆっくり瞬く。まるでまだ夢の中にいるひとみたいだ。

「おはようございますう! 昨日はお世話になりましたあ!」

「…ああ、うん…」

「朝ごはん、ご一緒にいかがですう? 準備するの待ってますから、部屋に入れてくれませんかあ?」

「……」

 ぼんやりしたままのセデュイール様の横をすり抜けて勝手に部屋に入っちゃう。ダメとは言われなかったから、いいってことだろう。とことこ進むと、使用されてないみたいに乱れの一切ないベッドとか、きちんと整頓された荷物とかがちらちら視界に入る。セデュイール様はきっと綺麗好きなんだろうな。汚いところなんてひとつも見えない。あー好きだなあ! ボクがこのひとをめちゃめちゃに汚してあげたい!

「昨日、ボクは見てないんですけど、タイヘンだったみたいですよお。ルーシュお兄様がNG連発して、スタッフさんみんな苦笑してたって…」

「……」

「やっぱり素人に重要な役やらせるなんて、監督の判断ミスですよねえ。ルーシュお兄様も責められて可哀想」

「……」

 お兄様の名前を出すと途端にセデュイール様の表情が引き攣る。苦いものを嚙み潰したみたいに眉を顰めて、視線を逸らす。

 きっと昨日のボクの言葉が効いてるんだ。やったね。

 ――ルーシュお兄様が、昨日監督の部屋を訪ねたことは、もうスタッフさんの間に知れ渡ってる。ボクは小耳にはさんだその情報を、セデュイール様に報告しただけ。もとはと言えば、嘘を吐いたお兄様が悪いんだ。愛人じゃないなんて、真っ赤な嘘。とっくにズブズブの関係だったくせに、それで役を得たくせに、白々しいったらないや!

 セデュイール様は潔癖っぽいから、きっとルーシュお兄様に失望したよね。労せず枕で役をゲットするなんて、役者の間じゃ一番嫌われる行動だ。オーデションに何回も落ちる屈辱も、端役から絶対に這い上がってやるって悔しさも、何も経験していないんだから、あたりまえだ。ボクはお兄様を軽蔑する。セデュイール様の前では、絶対口に出さないけどね!

「どこに行きますう? ここのレストランもいいけど、外のカフェも結構おいしいお店があってえ…」

「すまないが、」

 セデュイール様はボクを見ないままで、「ひとりにしてほしい」と言った。

 なんだかすっごく辛そうだ。どこか悪いのかな? お医者様に知らせた方がいい感じ?

「心配だなあ、具合が悪いならひとりにならないほうがいいですよお」

「――撮影には平常通り参加する。ひとりで考えたいことがあるんだ」

「…そうですかあ。じゃあボクは、お邪魔ってこと、ですかあ…?」

「……」

 セデュイール様は否定も肯定もしない。上の空って感じだ。

 もう、ボクがいるってのに、他のこと考えるなんて、やっぱりなかなかこの人は落とせそうにない。まあ、これだけハードルが高い方が、逆に燃えるけどね! ボクを見ない横顔もすっごくすっごくきれいだから、許してあげよう。いつか絶対振り向かせてみせるんだって決意を新たに、ボクは部屋を出たのだった。




 今日の撮影は10時から。僕とマルセルの宗教問答のシーンだ。めちゃくちゃな長台詞を言うマルセルに対して、僕の台詞は3個くらい。それも、もともとあった台詞を監督が急遽削って今の形になった。僕の芝居がまずすぎるせいで。これは、NG出したら申し訳なさすぎるやつだ。マルセルは「心配しなくていいよ」とか、「俺は気にしないよ」とか言ってくれたけど、それにしたってだ。

 …セデュとのシーンは明日。昨日の今日で顔を合わせなくて済んで、僕はほっとしてる。

 一晩寝て冷静に考えたら、セデュの言ってることも尤もだって、思えたんだけど。

 顔を合わせるのはやっぱり気まずい。

 ――僕はセデュとは違って、ろくでなしのクズで、貞操観念もゆるゆるだし、知らないおじさんと寝ようとしたり、バロットに慰めてもらおうとしたり、そういう前科もたんまりあって。

 今までセデュ以外の男の人を受け入れたことがなかったのは、ただ運がよかっただけで、もしあの古城でセデュが助けてくれなかったら、もしバロットが、優しい紳士じゃなかったら、僕はとっくにセデュじゃない人とも寝てただろう。誰にでも股を開くって、思われたって仕方ない。それが事実なんだから。

 そんな僕が、あんな夜遅くにバスローブ一枚で男の人と長時間部屋に閉じこもって、何もなかったって言われたって信じられないのも当然だ。

 …いや、何もなかったすら僕はセデュに言ってなかったな。セデュはただ事実の確認をしただけで、「寝たんですか?」って聞いただけで、僕は「寝てませんよ」って答えればそれでよかったんだ。それを、あんな、ヒステリー起こして、怒鳴り散らして、べしょべしょに泣いて、…僕はほとほと自分がいやになる。頭に血が上って何も考えられなくなって、赤ん坊みたいに暴れまわって。…セデュは僕のことを、もっときれいなものみたいに思ってくれてるんだって、思い込んでたんだ。たぶん。そんなわけないのに。

 ――恥ずかしいやつだな。どの面下げてって感じだ。自分のしてきたことをよーく見てみろよ。お前の人生、誇れることなんてひとつでもあったのか? なんにもありゃしないだろ。

 僕はまたセデュを傷つけたんだ。僕がばかだから、隙があるから、流されやすくて、考えが足らないガキで、だらしなくて、それで、それで…。…。

 …駄目だ、セデュのことを考えると、底なし沼に沈んでくみたいになっちまう。もう2年もセデュと一緒にいるのに、全然余裕がないんだ。

 台本を握りしめて蹲る。冷静にならなくちゃ。今は仕事中なんだって。全く様にならないけど、演技もへたくそだしセリフもまともに言えないけど、それでも、やるって自分で決めたことなんだから。

 顔を上げると眩しいライトが天井から射していて、天国への階段みたいだった。




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