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その8

「兄さんならきっと、君を娘だって認めるし、そしたらきっと、君のためになることを、君のためによかれと想うことを、やってくれるはずだよ、全力でね」


 まひろが言ったこの言葉は、もちろんひかりを励ます意味もあったが、それと同時に、彼女自身、彼の兄にはこうあって欲しい、こうあるはずだ、という想い・願いのようなものも多分に含まれていた。


 なんだかんだと文句を言おうと想えば言えるが、それでも彼は実の兄で、子どもの頃から、いや今でも、彼女を含めた家族のことを一番に考えてくれているのは分かっていたから。きっと彼なら、ひかりについても、きっと家族の一員として、優しく迎え入れてくれるだろう、でなければ、彼女が想い願う兄の姿と現実の富士夫がかけ離れてしまうことになり、それは到底、まひろ自身も受け入れがたいことであったからである。であるが――、


     *


「それでは一番の問題は、その『灰原』という青年ですか?」


 と、これとほとんど同じころ、そんな妹の気持ちを知っているのかいないのか、いつもの不愛想かつ無表情な顔で彼・山岸富士夫は引き継ぎ用の打ち合わせを行っていた。


 場所は、先ほどパウラ・スティーブンスとアーサー・ウォーカーが出会った(ある意味では再会した)同じホテルの別の階、窓もない小さな会議室。引き継ぎ兼打ち合わせの相手は、天台烏山本人ではなく、彼の秘書、友枝久香である。久香が応えた。


「問題であると同時にもっとも重要な人物のひとりですね」手もとの資料をペンで指し、「彼の能力はあまりに危険ですが、彼のあの能力と性格がなければ、『爆発』は引き起こせないでしょう」


「なるほど」富士夫は応え、続けて、「この『戸柱』という青年は?」と、資料の別の場所を指して訊いた。「彼も逃げ出したんですよね?」


「ええ、はい、彼も重要人物のひとりです」久香は答えた。「が、ただ、彼には同行者がいて、ふたり一緒に色々と痕跡をのこしてくれているので、早晩見つかるでしょう」


「『灰原』は? 残していない?」


「あ、いえ」久香は言った。少し考え、「残してはいるのですが、どうやら他のひととは違うらしいのです」


「ちがう?」


「詳しいことはまだ調査中ですが、彼のことは天台さんが」


「天台さんが?」富士夫は訊き返した。少々意外な顔をして、「会長みずからなにを?」


「ああ、それは」久香は続けた。ふたたび少し考えて、言葉を選びながら、「新しい『センサー』の調整です」


「センサー?」


「以前のものは灰原の追跡中に不調を来たしたので、今回は念のため、天台さん自ら最初の調整を取られることになりました」


     *


 最初にアーサーが興奮したのは壁一面に貼られたモニターであったが、すぐに彼は、実際に大事なのは目の前に置かれた三台の高性能コンピューター、いや、それよりもっと大事なのは、隣に座る、自分によく似た女の子、パウラ・スティーブンスであることを理解した。


 と言うのも、前にも何度かお見せした通り、彼の能力は、町中のあらゆるタイプのカメラと接続、それらを通して世界を見つめ、場合に応じて必要な人や物を捜すというものであったが、それはあくまでカメラの視点であって、例えば空から街を俯瞰する場合、それはビルの上に備え付けられたカメラとか飛行中のカメラ付きドローンとかに接続するだけのことでしかなく、例えばそれらを自分の想い通りに動かしたり、またそれらの死角になっている場所を見ることは出来なかった。がしかし、


「すごい……」とつぶやき彼は息を呑む。「きみ、これ、どうやってるの?」


 と言うのも、それまでは、あくまでカメラごとの画面の切り貼りが並ぶだけだった壁のモニターたちが、徐々にそれら画面の切り貼りを揃え直しては拡大縮小、縮尺明度の調整や、ひとつのカメラに入り切っていない部分は、他のカメラからの補足なのか、とにかく画像が補完され、どういう理屈なのかは分からないが、それでもどうやら、それらすべてをひとつに繋げ、ひとつの世界を画面に現していくのであった。しかも、


「それではパウラくん」と天台烏山も言うとおり、「例の男、君の家族のかたき、あの化け物を捜し出しておくれ」


 どうやら彼女が念ずれば、もちろん彼女が相手を知っていればの話だが、その繋がりあった画面の中から、対象となる人物を見つけ出すことすら出来る様子であった。


 そう。


 いま、この部屋の壁には、高い高いはるか天上から見下ろしたような、このエリア一体の風景が映っており、


「うえ……みぎ……おりて……」


 とつぶやく彼女に合わせるように、画面は自然に切り替わり、移動し続け、あるいは複数視点を同時に重ねながら、問題の化け物、灰原神人の痕跡を追っている様子であった。ただし、


「これは病院? 公園? いや、学校か?」


 と天台烏山も戸惑うとおり、画面はあまりに速くシームレスで、奇妙なモーフィング画像をランダムかつ細切れに繋ぎ合わせているような時もあり、彼はもちろんアーサーや、これを行なっているパウラ本人も、自分たちがいま、どこのなにを見ているのかを把握し切れない様子でもあった。


「だいじょうぶ?」アーサーが訊いた。小さな声で、「これ、だいじょうぶなの?」


 暗闇の路地裏。

 迷い込んだ公園。


 雨。


 花火のあと。

 とおい窓。


 にぎやかなざわめき。

 笑いあう人たち。


 あるいは嘲笑。


 雨。


 濡れた靴。

 歪んだ世界。

 油と香辛料。


 黒衣の行列。


 うなだれる新郎新婦。


 棺に載せられる満開のひまわり。


 闇。

 闇。


 闇。闇。闇。


 闇。


 ………父さん?


 泣き叫ぶ女たち。

 笑い合う男たち。


 私が恐れているのは子どもたちです。


 ツバメ。


 ビルを縫い、

 飛んで行く、

 一羽のツバメ。


 打ち棄てられた想い出、あるいは花束。


 闇。

 闇。

 闇。


 闇。


 雨。

 雨。

 雨。


 雨。


 仮面の嘲笑。

 化粧の匂い。


 ろうそく?


 固い背中。


 涙に暮れる老婆たち。

 誰も泣いてなどいない。


 誰も何も気にしちゃいない。

 まどろみに救世主はいない。


 途切れた糸。

 舞い上がる花たち。


 重力。

 重力。

 重力。


 抗え、

 抗え、

 抗え、


 抗え、

 抗え、

 抗え、


 抗え、

 抗え、

 抗え、


 抗え、

 抗え、

 抗え!


 踊り続けろ!

 踊り続けろ!

 踊――、


 バンッ!


 と突然、すべてのモニターが消え、パウラ・スティーブンスは目を見開いた。


 彼女は訊いた。


 誰に問うでもなく、多分、自分自身に向けて。


「これ、ほんとにあの化け物?」と自身の記憶をたどりながら、「なんだかおなじちがう人が、人たちが、何人も何人も何人もいるみたい」



(続く)

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