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その1

「如何でしたかな? あちらの未来は?」


 と悪魔に訊かれて彼女たちは、まずは互いに、声を合わせて、


「あんな未来にはさせません」


 そう答えたが、それと同時に、佐倉八千代が、


「石橋さん!」とちいさく叫んでエマを見た。「石橋さんに連絡しなきゃ!」


     *


 床に倒れた伊礼の死体に、覆い被さり見下ろすように、男は、壁に手を付き立っていた。


 焦り、驚き、戸惑い、恐怖、未来への怒り――と、言葉はなんでもよいが――に我を忘れ、いつものようには血を取らず、周囲にそれを、飛び散らせていたからである。


「ふん」強がりながら男は言った。「『希望』だと?」


 男は、壁に散った、あるいは身体に残った伊礼の血から、彼の『預言』、その力を盗もうとしていたのである。


「『希望のかたち』?」男は、伊礼が送った最後のメッセージ、その存在に気付いていなかった。「『彼女』とか言ってたな、こいつ」


 男がまず想い出したのは、山岸まひろの姿であり、次に想い出したのは祝部ひかりの姿であった。が、どちらも何故かしっくり来なかった。この宇宙の彼、灰原神人は、佐倉八千代の存在をまだ知らなかったからである。そのため、


「どっちのことだ?」と彼は考えを続けようとしたが、「うん?」とここで、その思考は一旦止められることになる。「盗れたか?」


 と言うのも、大変奇妙な――別宇宙の彼らを見て来た我々からすれば、辻褄の合わないことに、いままさに彼、灰原神人は、石橋伊礼の力を盗むことに成功したからである。


「ふむ」彼は微笑した。伊礼の死体を見下ろしながら、「きれいな顔してやがるな、こいつ」


 こいつの首を盆に載せれば、きっと高値で売れるだろう。そんなことを想った。


 そうして――、


     *


「きっとあいつが来たんだわ」とそうして、これと時間を前後して、佐倉八千代はつぶやいていた。「それを私に伝えようとして――」


 何故なら彼女は、いまやっと、伊礼が送った最後のメール、彼女宛ての、意味も分からぬ奇妙な文字列を見たからである。


 それから彼女は、その勢いのまま、手にしたスマートフォンで彼に電話を掛けようとして、


『あっ、ダメだよ、お嬢ちゃん』と、山岸の祖母にそれを止められることになる。『電話なんか掛けたら、そいつにこっちの居場所を報せるようなもんさ』ともちろん、『もしほんとに、そいつが来たんだとしたらね』との留保も加えながら。


 ここは、八千代たちが寝ていた花盛りの家の離れから、庭をはさんで戻った同じ家の台所。ここにはいま、彼女たちの他に、エマとこの家の悪魔・不破が集まっていた。八千代は答えた。


「いえ、きっと来ています」と、以前夢に見た伊礼の遺体を想い出しながら、「きっと石橋さんの能力を知ったんです」


 そうしてまた、先ほど別の宇宙で聞いた“あいつ”の声を想い出しながら、


「あいつは未来を知りたく――怯えていました。すぐに助けに行かないと」


 彼女のこの直感の正否について、我々作者と読者はもちろん答えを知っているが、この時点の花盛りの家の者たちにそれは当然未知のことであった。仮に八千代に飛び出され、伊礼の件で暴走されでもしたら、事態は余計に混乱するばかりである。そのため、


『まあ、先ずは落ち着いて』とふたたび、山岸の祖母が彼女を止める。優しい声で、『石橋さんの事務所へはいま、うちのまひろとミスターさんに確認に行ってもらってるから――まずは彼らの連絡を待ちましょうや』


 そうして彼ら、八千代とエマが、別の宇宙で何を見、何を聞いて来たのかを知りたいと言った。特に先ほど八千代が言った、


『そいつが未来に怯えてたってのは、どういう意味だい?』


     *


 もちろんそれは具体的な何かではなかった。漠然とした未来への不安、恐怖、拭い去れない違和感、糸が切れ消えたままの凧、過去を奪われた者が直面する、きっと未来も奪われるだろうという直観。暗く長いトンネルを抜けた先に視えるふたたびの闇、暗闇。寝苦しい夜に見せられる記憶のない悪夢……等々など、未来に怯えるとは、要はそういうことだった。


 ハッ。


 とそうして彼は目を覚ました。伊礼から盗んだ力で視た、この先の未来、あるいは預言、あるいは寝苦しい夜に見せられる(誰からの?)記憶のない悪夢から。


 それは決して、居心地のよい悪夢、未来ではなかった。


 何故なら、ほんの数行前に書いた、『過去を奪われた者が直面する、きっと未来も奪われるだろうという直観』は直観でもなんでもなく現実であったから――少なくとも、その未来の中では。


 事務所の中は引き続き暗く、締め切った部屋の熱気で、額と背中から汗が噴き出していた。彼はつぶやいた。


「『どうせ――』」と、いつ、どこの誰から言われた言葉かはっきりしなかったが、「『どうせお前の最期は悲惨さ――』」


 この言葉に彼は愕然――ではないな、大きな怒りと疑問を感じた。こんな言葉を言ったやつは誰だ? 仕事の上司か? 学校の教師か? いや、やつらの言葉は全てビジネス、他人を蹴落とす、壊すことには長けていても、いやだからこそ、個人の存在を認めてから否定するような強さはない。クソッたれ。母親か? いや、あいつにとって俺は仮にいてもいないような存在だった。


「くっそ」ふたたび彼はつぶやいた。病院のベッドに座る父親の顔が想い出された。「あいつか――?」


 そうして、右の言葉を、『あいつ』が言った場面を確認、想い出そうとして、


 カタッ。


 と、扉の向こうの気配に気付いた。


 そうして――、


     *


『なるほど?』とそうして、ふたたび時間は前後する。山岸の祖母は訊いた。『つまりそいつは、未来の未知性、いや、未来はきっと悪くなるという恐怖に怯えてたってことかい?』


 首をたてにふって八千代は答えた。


『なるほど?』山岸の祖母は続けた。首をかしげて、『そこで未来を視るため石橋先生の能力を奪ったが使えず、あんたの能力を盗もうとした?』


 ふたたび首をたてにふって八千代は答えた。


 彼らはいま、伊礼の事務所に向かったまひろとミスターからの連絡を待つあいだ、別宇宙の未来で八千代とエマが見て来たものを共有しているところだった。そう。それらは、いまのところ、次のようなものであった。


・あちらの宇宙で『爆発』を起こしたのは灰原神人である。


・であるが、その規模と内容は、伊礼が預言で、八千代が夢で視たこちらの宇宙の『爆発』に比べればかなり小規模で、様子も随分異なっていた――らしい。


・そうしてどうやら、その『爆発』が小規模だった理由は、灰原神人が祝部ひかりの能力を盗み損なった結果らしい。


・と言うのも、最後の最後、ひかりの能力を盗んだ灰原が、ふたたび『爆発』を起こしかけていたのだが、それは、あちらの宇宙のミスターたちの様子を見る限り、最初の『爆発』とは比べものにならないほど、強大なものになるものらしかったから。


 そうして――、


「あのー」とここでエマは訊く。想い出したかのように、「そのひかりさん? がこの家に来ているのは分かりましたけど、彼女のお父さん? は?」


 皆の視線が彼女に集まった。


「たしかいましたよね? やさしい感じの、メガネの方が」



(続く)

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