その17
『すべての物事が
辻褄が合うものであって欲しいと思う。
そうすればみんなしあわせになれるし、
不安になることも少ない。
だから私はいくつもうそを吐いて来た。
そうすればすべてがまるくおさまるし、
この悲しい世界を、
楽園に近づけられるかも知れないから。』
さて。
右の言葉は、私の大好きなSF作家あるいは理想主義者的皮肉屋が、あるエッセイあるいは何かの宣伝文書に書いていたものを、ほとんどそのまま引用したものである。読み返すたびに、特にお話づくりにつまづいたときなんかには、本当にこうであったらよいのになあ、と想ってしまう。私に彼ほどの才能――うそ吐きとしての才能――がないから仕方ないとは言え、それでも、あまりにもままならないことが多すぎるから。
そう。
それは例えば、佐倉八千代である。
彼女は善人で、すばらしい徳性を持ち、他人を先にし自分を後にし、『みんな仕合せになればいいのにね』と他意なく本気で想える、そんな女性であった。
そう。
だから私も、私が書いている、書いて来た物語の中で、彼女が彼女の能力に目覚めたとき、彼女がその力を使い続けて来たときも、それほどの不安や懸念を持つことはなかった。『きっと彼女は大丈夫。ちゃんと使いこなせるさ』とあまりに軽く考えていたから。
もちろん。
森永くんの事件が起きたときは流石にあせったし、あそこで不破さんが介入していなければどうなっていたか分からないけれど、それでも、私は彼女の善性を信じていた。『きっと彼女は大丈夫。ちゃんと乗り越えられるさ』とあまりに軽く信じていたから。『彼女は絶対、灰原神人のようにはならない』と。
しかし、それはあまりに軽く、楽観的で、無責任で、彼女の、彼女たちの、善意や善性、『よき人であろうとする努力』に頼り過ぎた考え方であった。
そう。
いま我々が見ている彼女――この宇宙の佐倉八千代――の目は暗く、虚ろで、憎悪に満ち、彼女自慢の赤髪はすっかりと寂れ、荒れ、伸び、色を失くし、ついにはそこに闇のような漆黒すらまぎれ込んでいるようだった。快活で朗らかだった彼女の顔からは笑みが消え、一体どれくらいの夜を越えて来たのだろうか、頬はこけて青白く、たしかに能力自体は強まっている様子だったが、それはまるで、戦場しか知らない死の商人が、機能と効果とコストパフォーマンスのみで作り上げたなにかの武器のようでしかなかった。彼女――我々が知る宇宙の佐倉八千代――は言った。つぶやくように、
「あのひと――」肩にまわされたエマの両手を取りながら、「わたし? なの?」
そう。
それはあまりにも圧倒的な光景であった。
彼女――この宇宙の佐倉八千代――の周囲の空間は、その能力のあまりの強さに歪み、たわみ、光すらも変質させ、まるで朱と紫で出来た炎が彼女を取り囲んでいるように見えた。そうして、
「なぜだ……? なぜだ、なぜだ、なぜだッ!」
と灰原神人もおどろきつぶやくとおり、その強さは彼の想像をはるかに超えていた。
「なぜ手が動かない? なぜ足を動かせない? 俺の能力は? なぜどれも働かないんだ? いったいやつらは! どこに行ったんだ?!」
そうしてもちろん、それはそれだけではなかった。
八千代を取り囲んでいる炎は、灰原神人そのものをも取り込み、呑み込み、包み込み、その荒れ狂う嵐のような精神攻撃に彼の脳は割かれるように痛み、苦しみ、もがいていた。そうして、それら痛みやもがきや苦しみは、身体中の痛みと呼応するとともに、その内臓ごと、意識ごと、口から吐き出されてもおかしくない――と、彼に感じさせるほどのものであった。もし彼が、『モーフィング』を使い続けた結果、その身体表層に、常時能力のうすい膜を張っていなかったとしたら、とうに決着は付いていただろう。
「このッ!」彼は叫んだ。「血塗られた魔女が!」
いや、叫びそうになった。
彼は、文字通り薄皮一枚で守られた彼の身体は、その言葉を叫ぶ代わりに、この絶望的な状況から脱け出すための、脱け出し更なる希望を勝ち得るための言葉を探し、発していた。
そう。それは例えば、こんな感じに。
「よっぽど俺が憎いとみえる」と先ずは彼女の耳をこちらに向け、
「まあだかしかし、それも仕方ない」とまるで懺悔を乞う信者のような態度で、
「なにしろお前の友人――」がしかし、その内容には、一片の悔いも惑いも残心も見えない様子で、「いや、お前の友と恋人を――」
彼が殺したエマや森永、彼らのその最後の言葉を、最期の様子を、彼女たちの涙のひと粒までをも、そこに想起させるかのように、詳細そうして繊細緻密に、彼は、彼の身体は、彼に語らせるのであった。そうして――、
ドッオォォォオオォンッ!!!
と、彼は弾き飛ばされ吹き飛ばされた。壁を壊して突き破り、隔離室の外、廊下の側へと。
「ははっ」彼はわらった。小さく。
突き破った衝撃で身体の骨はいくつか折れたが、それで問題はなかった。
何故ならこのとき、灰原神人は、佐倉八千代が廊下に出て来るまでの数秒間を、彼女に見られず、彼女の炎から逃れることが出来たからであるし、
何故ならこのとき、山岸まひろは、自身の『壁』の中へ避難しており、廊下に吹き飛ばされて来た男が、彼、灰原神人だと気付くのに、こちらも数秒、遅れたからだし、
何故ならこのとき、祝部ひかりは、自身の『窓』へ他の皆を避難させたあと、ひとり非常階段の下に取り残されていたからである。
くり返しになるが、この宇宙の彼女は、自身の能力を憶えてもいなければ、それを狙う者たちがいることも憶えていなかった。そうして、さらに悪いことには、このときひかりは、先ほどの八千代の精神感応波に触れ、茫然自失とその場にへたり込んだ直後であり――そこに灰原神人は現われた。
「よお」痛みと苦しみと哀しみに耐えつつ彼は言った。「やっと会えたな」
そうして――、
*
そうして優太がそこに着いたとき、すべては、いや世界は終わりかけようとしていた。
床には彼の娘ひかりが、目を開け、口も開け、あお向けに倒れ天井を見上げていた。ひと目で彼女の魂、こころが、ここにいないことが分かった。
彼女の前には男がひとり、先ほどまでの痛みや傷がまるでなかったかのように立っていた。まっすぐに。彼女の力を盗んだからだろうか、身体は白く輝いて、その先の魔女の炎もぼやけて霞むほどだった。彼は笑っていた。
「ふはっ」と想わずふき出すように、
「ふはっ、ふははははははっ!」と身体の奥からわき出すように、
「ふはっ! ふははははははははッ!!」と歓喜にあふれ、歌でも歌い出すかのように、
「ふふふふふ、
ふはふはふふふ、
ふははははははッ!」
そう。いま彼の体内を駆け巡っているのは、無念でもなければ後悔や挫折、苦悩や煩悩ですらなかった。それは、ただただ喜びの歌、歓喜の歌であった。彼は叫んだ。
「これだ! これだ! これだッ!」
と彼女から盗んだ『窓』の力、いや、そこから流れ込む多元宇宙の波動を感じながら、
「なじむッ! ちからがッ! ひかりがッ! からだにみなぎって来るッ!!」
神々の霊感に震える預言者のように。炎のごとく酔いしれて、歓喜の聖所へ登ろうとする救世主のように。
「ふはふはふふふ、
ふはふはあはは、
ふはふはふははは、ふははははッ!」
と彼はかがやき、浮かび上がり、その姿はまるで、白き炎の剣持つ智天使ケルビムが如くですらあった。彼は叫んだ。
「さーくーらーッ!」と朱色の魔女に向かって、「これだッ! これだッ! これだッ! これだッ! これだぁッ!!」
抱擁と口づけと告白の代わりに、両手一杯の白き炎、いや、抱え切れないほどの雷鳴、雷電、対地放電とともに。
(続く)




