その16
最初にそれに気付いたのは、山岸まひろだった。彼女は叫んだ。突然に、
「ふたりとも!」と、うしろを歩くかおるとミスターに、「はやく! 『壁』の中へ!」
と言うよりはやく、そこに『壁』を出しながら、
「なにか! まずいものが!」
そうして――、
*
そう。
そうして次にそれに気付いたのは、祝部ひかりだった。
彼女たちはいま、左武文雄の指示で、非常階段を使い、灰原たちのいる階まで下りている途中だった。
「朱央……? 深山さん……?」
がしかし、彼女に『窓』の記憶はないので、
「なにか……とっても……」とその動作は鈍く、自分でも自分がなにをしているのか、よく分かっていなかった。「なにか……とても……すごく……いやな……」
そう。彼女は『窓』を出していた。そこにいる全員――左武たちも含めた全員――が通れるほどの『窓』を。
そうして――、
*
そう。
そうして最後にそれに気付いたのは、祝部優太だった。
彼は、ひかりたちの後を追おうと、エレベーターの操作盤を調整しているところだった。
ただ、前の二者とはちがい、彼はひとりで、しかも何の能力も持たない普通の人間だったので、その『まずいもの』『すごくいやなもの』をまともに喰らうことになるのだが……、
ではその、『まずいもの』『すごくいやなもの』とはなにか?
そう。それとは、『あれ』である。
*
『闇よ、ようこそ』
言葉はくり返された。八千代でも灰原でもない、他の誰かによって。暗く、ほの暗い、ほほ笑みとともに。
『――わが旧友よ』
ォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアアァアァアァ ォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアアァアァアァ ォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアアァアァアァ ォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアアァアァアァ ォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアアァアァアァ ォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアァアアォァアァアァアァアァアァァアアァアァアァ。
と、あまりに強く、あまりにも抗し難い、精神感応の波、負の感情の爆発連鎖が、そのビルを、いや、その街を、いや、そのエリア全体を襲った。
そう。
それは、『木花エマの死』という受け入れ難い事実によりタガの外れた八千代の能力、その暴走であり、そこにはもう、彼女の意思、想いは関係なかった。
そいつは、周囲の、ありとあらゆる人間の脳に直接、間接、あらゆる方法でもって潜り込むと、彼女の気分、想念、こころの奥の暗いナニカを移し込み、潜り込んだ相手の痛みや苦しみ、悩みや嘆きなどと共鳴、共振、増幅させては相手の意識を奪い取って行く。増え続けるガン細胞、沈黙の井戸に響き渡る閃光、月のない夜、森を、海を、都市を呑み込み続ける音のない嵐のように。人々の意識の足もとを崩し、壊し、境界線を消し去っては、闇と虚ろで彼らをやさしく包み込むのであった。そうして、
「ふはっ」
と、歓喜の声を漏らしたのは灰原神人であった。
彼は証明した。したつもりになっていた。彼女の奥にも自分と同じ暗い闇、暗黒、漆黒があるのだと。自分と彼女は近しい存在であり、こころの中のくろい扉、その鍵を、共有し合える友だちになれるのだと、彼は証明した。したつもりになっていた。その嵐の、中心に立って。
「さあっ」
と、そうして彼は叫んだ。うれしそうに、楽しそうに。彼女に手を、差し伸べながら、
「こっちへ来い!」
何故なら、これこそが彼が足りないと言っていたふたつの要素のうちのひとつであったから。彼女のしばりは解かれていた。彼はくり返した。
「こっちへ来い! 佐倉八千代!」
そうして、この誘惑に彼女は負けそうになっていた。
何故なら彼女も、彼の中に同様のものを感じていたから。精神感応のフィードバックで、それを感じ取ってしまっていたから。闇に怯えて泣く子ども、風を手放した少年の姿を。彼女は視てしまったから。彼女は手を伸ばした。差し伸べられた男の手を取った。
いや、取ろうとした。
あと、ほんの少しだった。
実際、結構ぎりぎりだった。
「ヤッチ!」彼女の名を呼ぶ友の声がした。「なにやってんのよ! あんた!」
嵐の中心、彼女の意識の負の中心、その大風に向き合い、立ち合い、吹き飛ばされ、弾き飛ばされそうになっている、木花エマの姿が、そこにはあった。
(続く)




