その6
「それじゃあ石橋さんもその男に?」エマが訊いた。
「現場の状況と」ミスターは答えた。「その後対峙したあの男の様子から」とここで少し立ち止まり、「――まあ八割方は」
彼らはいま、先ほどかおるに会いに行ったのとは別の異空間トンネルの中にいた。こちらは先ほどのものより気持ちうす暗く、壁もパールホワイトと言うよりはアイボリーにちかい色をしていた。
「八割?」エマが訊き返した。「なんでそんな――」
「逃げられたからですよ」更にミスターは答えた。「捕まえるか、最悪死体でもあれば確定出来たのですが――」
かおるからの忠告を受け、このトンネルの行き先は、この世界の祝部優太がいまいる場所、彼が現在仕事をしているある場所であったが、その前に彼らは、なにかのヒントがないものかと、互いの情報を交換し合っているところであった。エマが訊いた。
「じゃあ、石橋さんの『預言』もその男に?」
「ええ、まあ」これにもミスターは答えたが、「こちらは五割」と言ってまた立ち止まり、「――いや、もっと低いかも」
「うん? それも逃げられたからですか?」
これもどこかで書いたかと想うが、石橋伊礼の能力も、佐倉八千代の能力同様、この宇宙本来のものであり、いわゆる転生者たちの持つ能力とは種類が違っていた。そのため、
「そのため、他の人たちから盗んだように石橋さんの能力を盗むことは出来ず――」
その可能性がかなり高く、
「結果、まともに未来を視られるのは佐倉さんだけになり、しかもあの男の、彼が盗み続けた転生者たちの能力は、彼女の能力と相性がわるかったんです」
*
「ま、とは言っても、私も直接見てはいないのでなんとも言えませんがね」男が言った。
彼は、つかれた両目を両方の指さきでゆっくりと押さえていた。しばし間を置き、そうして続けた。
「それでも、あの場にいたひとたちの証言から、君があの男――灰原神人を倒すところまで追い詰めていたのは知っていますよ」
ここは、強化ガラスとコンクリート、それに鉄の柱で出来た監禁室。男が語りかけているのは、もちろん柱に縛り付けられたままの佐倉八千代である。男は続ける――どうやら、
「どうやら、君の能力はかなり強力らしい」彼女の前で椅子に腰かけ、「『圧倒的』と評する者もいたくらいだ」
男のうしろには左武文雄が、八千代のことを恐れながらも、彼女に銃向け立っていた。彼の横には深山千島が、果たしてどれほど効くのかどうか、そういう顔で、自身の能力(転生者たちの力を無効化する例の能力)を彼女に向けていた。男が続けた――がしかし、
「がしかし、結局きみは彼を止められず、『爆発』は起きた」鼻の頭をトントントン。三回叩いた。「いったい何が? どうして彼を取り逃がすことに?」
*
「おそらく、祝部ひかりという少女です」ミスターは答えた。「『窓』を開く能力。その能力をあの男は彼女から盗んでいた」
「盗んだ?」エマが訊き返した。「その子も殺されたってことですか?」森永久美子のことが一瞬脳裏を過ぎった。
彼らは引き続き異空間トンネルの中にいた。話の内容は自然とこれまでミスターがこちらの世界で見て来たことがメインになっていた。彼は答えた。
「また聞きと憶測ですが」と一応の留保を付けながら、「まず、佐倉さんに追い詰められたあの男の前に突然ちいさな『窓』のようなものが現れ、あの男はそこに逃げ込み消えてしまったのだそうです。そうして――」
そう。そうして、その後の調査で、同様の事象がいくつか起きていたことが分かり、その中心にいたのが祝部ひかりという少女で、彼女が転生者であったこと、天台グループと強いつながりのあったことが分かった。そうして――、
「そうして彼女も、他の転生者たち同様、あの男に殺されていたことが分かった。彼女の高校の文化祭でふたりの少女が殺され、その中のひとりだったことが分かった」
ふう。
とここでミスターは、不意にちいさなため息を吐くと、トンネルの先をしばらく見てから――何度か、
「何度か彼女を救えないか、せめて『窓』の力が盗まれるのを防げないか試してみたのですが――」どうやらその夜はこの宇宙の『歴史の固定点』に登録されてしまったらしく、「いくらその夜に戻っても、彼女を救うことは出来なかったのです」
と続けて、鼻の下を二三度こすった。重たい声で、「そろそろ行きましょうか」エマに告げた。
「もうひとりの子は?」エマが訊いた。「いま、“ふたりの少女”って――」
「ええ、はい」ミスターは答えた。更にもっと重たい声で、「彼女の友人がひとり。どうやら巻き込まれたのでしょう。彼女の横に、彼女と同じかたちで――」
「張り付けられていた?」エマが訊いた。
「ええ、まあ」ミスターは答えた。「忘れたくても忘れられない、ひどい光景でしたよ」
*
「いえ、どうやら完全に忘れているようです」左武文雄は言った。隣の女性を少し見て、「あるいは、深山さんのような能力者に記憶を消されているか」
彼らの佐倉八千代に対する尋問は続いていた。が、いまここにいる彼女は、彼らの知る八千代とは違う宇宙の八千代だったので、彼らの会話は噛み合わず、いくら左武の能力を使い彼女の声を拾ったところで、そこに彼らが望む答えのあるはずもなかった。
「どうします? 山岸さん?」左武が訊いた。
すると訊かれた男は、「うーん?」としばらく何かを考えている様子だったが、
「それなら」と何かを言いかけ、「いやいやいや」とすぐにそれを打ち消した。
そうして男は、続けて何かを考えて、結局、本来の目的にたどり着いたのだろう、
「あ、いや、それなら仕方ないでしょう」椅子から立ち上がり、八千代の前に歩み出た――佐倉さん、
「佐倉八千代さん。例の戦いの記憶があなたの中から消えているのは分かりました。が、しかし、それでもあなたがあの男を窮地に追い込んだこと、あなたの能力がそれだけ強力なことは、まぎれもない事実としてあります」――だからどうでしょうか?「その力を我々に貸して、我々の事業に協力して頂くというのは」
そうして、こんな男の言葉や態度、それに彼らのやり取りなどを聞きながら八千代は、なにかとても奇妙な違和感をおぼえていた。宇宙が違うから当然と言えば当然なのかも知れないが――、
「山岸さん?」
と目の前に立つ男が、彼女の宇宙の山岸富士夫――とつぜん『シグナレス』の休憩室に落ちて来たり、伊礼の事務所や氷川神社の裏手で会ったあの人物――とどうしても繋がらなかったからである。
(続く)




