その5
「会長なら打ち合わせ中よ」左武からの電話に応えたのは女性だった。
彼女はきれいな目をしていて、きっと本来おしゃべりであろうその大きな口は、最近ではすっかり必要なこと以外話すことはなくなっていた。もちろん自慢のきれいな足は、いまでも見惚れるほどに美しかったが。彼女は続けた。
「佐倉? うそでしょ? もどってくるはずがないわ」パソコン画面にうつるひと組の家族の写真を見つめた。「記憶がない? それって――ああ、左武さんが聴いたのなら確かね」
それから彼女は、デスクの上に置かれた私用のスマートフォンと、フロア奥の会議室に目を向けると、「わかったわ」
「会長にはこれから伝えに行くからそのまま拘束しておいて」相手をすこし気づかう様子で、「逃がさないで、だけど無理はしないでね」
*
「それでは最後の議題、報告ですが――」
二十人用の会議室には男がひとりと女がひとり。女が用意した資料を男が読み、意見を交わし、その場で次の方策を決める、という手順で打ち合わせは行われていた。女が用意する資料は、議論の余地が適度に残されている部分も含めて、完璧に近く、この方法は、彼女と、このグループの前会長のふたりで作り上げたスキームであり、それを男が、そのまま踏襲した形だった。女の名前は友枝久香と言った。
「資料は?」男が訊いた。
「資料はありません」久香が答えた。
男が顔を上げた。激務に次ぐ激務のせいだろうか、我々が知る彼より十才、いや二十才は老けているように見えた。彼はうなずいた。
「ああ」と、しかしため息混じりで、「見つかりましたか?」
「いいえ」久香は答えた。この件に関しての資料は作らないことになっていた。「ひかりさんも、まひろさんも、どちらも」
男は現在、このグループのトップを務めていた。山岸会長とか、富士夫会長とか呼ばれながら。
前任の天台烏山は、『爆発』の後、自身の仕事を、その表も裏も含めて男に引き継ぐと、満足そうな顔で眠りについたと言う。非小細胞肺癌の中でも特に稀な大細胞癌に罹患していたらしいが、その事実は秘書の友枝久香しか知らず、あらゆる治療を彼は拒否していたそうである。
「うん」男は応えた。「分かりました。ひき続き捜索を続けて下さい」
「承知しました」
「あと、どれ位もちますか?」
「それは、私には」
「そうか……そうでしたね」
天台烏山の計画どおり、爆発は起き、世界は転生者たちの存在を知り、多元宇宙の扉は閉じられた――ハズだった。
「まひろか、ひかりくんか」男は言った。「出来れば両方、せめて片方」
天台烏山の計画、理論はほぼほぼ正しかった。がしかし、彼はあまりに遅すぎた。爆発の時点で、すでに宇宙は“消え過ぎていた”のである――全体のバランスは崩れ、それが新たな歪みをもたらし、時間をもどり閉じられるはずの扉は、『爆発』以前には戻れず、『爆発』時点で閉じられ、また、それとは別に新たに、今度は歪みによる裂け目が生じ始めた。
「新たな『魂』がやって来ているのは確かです」久香が言った。「それは『隔離』と『剪定』が間に合っていないことからも分かります」
天台烏山の計画では、爆発によって『窓』を閉じ、と同時にその原因――ここでは灰原神人――を世間に知らしめることで、奇妙で危険な隣人たち――転生者たち、能力者たち――の存在をも彼らに報せる。そうして、そうすることで、かつてのナチスドイツのように、市民同士で監視を行ない、効率よく能力者たち、転生者たちをあぶり出し、適切な『隔離』と『剪定』――それは彼らの魂をこの宇宙から放逐することを意味するが――を行なうことで、この宇宙のバランスを取り戻す、あるいは取り戻せないまでも崩壊を遅らせることにあった。がしかし、先ほど久香も言ったとおり、過去の、開いていた時空の扉や、あるいは新たに出来た裂け目を介して魂の往来は続けられているようで、また、
「日本の、このエリアに集中しているのも確かなようです」
と、転生者たちの出現エリア(他宇宙からの魂の転生場所)も、極端にこの日本の、この関東圏に集中していることも分かった。
これは、この物語の発端・起点――これについてはいずれ書くし、他の物語ですでに書いたが――がこのエリアであったことを示しており、さらには、
「崩壊はここから始まる?」
と会長と呼ばれた男が返すとおり、この宇宙の、あるいは残る宇宙の崩壊のスタート地点も、やはりこのエリアになる可能性が高いことを示していた。男は続けた。
「やはり、まひろかひかりくんか」
と、この現象の発端・起点、あるいは彼女とよく似た能力を持つ少女――いや、彼女ももう女性と言ってよい年齢か――の能力が必要である、と彼らは考えていたわけである。
「閉じた扉をふたたび開き、彼らの力でふたたび閉じる。今度は確実に」
無論それが、“消え過ぎていた”宇宙たちの中でどれほど効果的かは誰にも分からないし、そもそも前回、どうして彼らが失敗したのかの理由も不明だったが、それでも、
「たとえ彼らが、犠牲になっても――」
と流石にこれは、声には出さずにふたりはつぶやくのだが――とここで、
コンコン、コンコン。
「すみません、会長、友枝さん」と、いまでは久香直属の部下になっている深山千島が彼らの扉を叩いた。「左武さんから報告が――」
*
「佐倉さんが?」久香が訊き返した。「あり得ないわ、まさか戻って来るなんて」
前にも何度か書いたが、佐倉八千代の能力はこの宇宙本来のものであり、いわゆる転生者たちの持つ能力とは種類がちがう。そのため、久香たちの持つ『センサー』も彼女を探し出すことは出来なかったわけだが、それでも、
「ここは彼女にはいちばん厳しい場所のはずよ?」
そう久香も言うとおり、八千代の力はすっかり世間に知れ渡り、いくつもの事件の主犯格として指名手配もされ、また中には、問題の爆発の原因を彼女に帰する論調すら現われ――あの日八千代は灰原神人を止めるためその中心にいた――追われるようにして彼女は、この町から姿を消していたのである。しかも、更には、
「彼女はここで、一番親しかった友人を失くしているのよ、しかもふたりも」
と、いまの彼女をこの地につなぎ止めるものは皆無と言ってよく、久香の捜索網からも、ここは手薄になっていたのである。
「わかった」と、そんな彼女を止めるように男が言った。「あり得ないと言ったところで、いるのは確かなんでしょう?」
結局あの日、灰原神人に一番近づけたのは彼女だった。男は続けた。
「まずは会ってみましょう。彼女の能力と証言は貴重ですから」
(続く)




