その4
「彼女はいない。行き先も知らない。知っててもお前にだけは教えない。さっさと帰れよ、このクソ野郎」
トンネルを出た彼らを待っていたのは、地下にあるうらぶれたバーと、背が高く口が悪く、酒のにおいが染み付いた紫色の男だった。
「あんたのせいで俺も彼女も大切なひとを亡くした。いや、俺たちだけじゃねえ、いまの世界とあの19万人は、あんたの作戦ミスがもたらしたもんだ」
彼はまだ能力を使っていなかったが、それはいまにも爆発しそうだった。濃い色のラム酒を取り出し、ショットグラスに入れた。
ダンッ!
ひと息で飲み干し、無垢のカウンターに叩き付けた。
「いのちはあといくつ残ってんだ? ふたつか? みっつか?」高度数のアルコールが胸と肺を同時に焼くのを確認しつつ彼は続けた。「俺がそれを奪ってやってもいいんだぞ?」とそれでもどうにか、自身の能力と狂暴性を抑え込みながら、「頼むから、出て行ってくれ、俺の店から、いますぐ」
何故ならそれが、自身の能力と狂暴性を抑え込むことが、いまの世界で生きのこるための彼なりの処世術であり、彼が亡くした『大切なひと』をこれ以上傷つけない、汚さないための作法であると彼は考えていたからである。ミスターは応えた。
「佐倉さんが捕まった」と彼の作法に合わせるように。彼の様子が変わった。
「あ?」次の酒を注ぐ手を止め、ミスターを、その奥にいる少女を見た。「あの魔女なら――」少し考え、「あんたいま、どこから来た?」
「来たのは彼女たちですよ、小紫さん」ミスターは答えた。うしろの彼女を紹介しつつ、「木花エマさん。会うのは――いずれにせよ初めてでしたね」
*
それからミスターは、多元宇宙とその間を行き来するドリームウォークについての説明をした。
が、された側の男・小紫かおるは、分かったような分からないような、そんな顔で彼とエマを交互に見ていた。特にエマについては、まるで幽霊でも見ているかのような表情だった。そうして、しかし、
「いや、しかし、それでもダメなもんはダメだ」かおるは答えた。「どんな事情があっても彼女を巻き込ませるわけにはいかない」
「しかし、小紫さん」
「しつっけえなあ、マルチタスクだかなんだか知らねえが、結局そいつも“あの”魔女なんだろ? いざとなったら自力で逃げ出すさ」
「しかし、何かあってからでは」
と彼らの会話は、このまま平行線をたどり続ける様子だった。がここで、
「あのー」とエマが彼らの間に割って入った。ミスターの袖を引っ張り、「無理強いはやっぱダメですよ、行きましょうよ」
「しかし木花さん」
「そのひとの言うとおり、あのヤッチもしっかり強いし、いざとなれば――」
彼女のこの提案は、かおるの反発が強過ぎたことはもちろんあるが、それよりも、このままでは、たとえそれが自分の知る八千代のことではないにしろ、彼女への強い非難を聞かされ続けることになる、そのいたたまれなさから来るものであった。そうして、
「ちっ」とそうして、そんな彼女の態度にかおるは、少々毒気を抜かれたのか、「待てよ、疫病神」と続けて言った。
「俺も彼女も絶対行かねえが、あいつらの中に入り込みたいなら、まずは祝部さんに相談しな」
*
ふたりが去ってしばらくの間かおるは、店の壁に出来た新しい染みを見るともなしに眺めていたのだが、それにもすぐに飽きると、酒の続きを注ごうとして、
「おい」と、そことは別の、東側の壁に向かって言った。「いるんだろ? 出て来いよ」
しかし、そこからの返事はなかった。仕方がないのでかおるは、
「おい!」と強い口調で叫ぶと、「たのむから、俺に力を使わせないでくれよ」とため息まじりにこうつぶやいた。「たのむよ、嬢ちゃん」
すると、その願いに合わせるように、問題の壁が歪み、そこに時空の裂け目は出来た。しろく光る、2mほどの高さの。
「聞いてたんだな?」かおるが訊いた。
「ええ、まあ」彼女は答えた。裂け目からこちら側に下りて来ながら。
「どこから?」かおるが訊いた。
「あなたが、『大切なひとを亡くした』って言ったところから」彼女は答えた。
「じゃあほとんど最初っからじゃねえか、この野郎」
それから彼らは、しばらく黙って向き合っていたのだが、沈黙が耐えられないのか先ずはかおるが、
「行くんじゃねえぞ」と彼女に釘を刺し、
「ええ、はい、もちろん」と彼女もそう返したが、「でも八千代さんが戻って来たのなら――」
と何かしらの希望でも見付けたかのような声で言い出したので、
「だめだ、だめだ、だめだ」とかおるが、強い声でそれを制した。「余計な希望は持つな」と、「お前は生き残ってくれよ」
彼・小紫かおると、彼女・山岸まひろの共通点。それは彼らが、おなじひとりの『大切なひと』、この宇宙の樫山ヤスコを失くしている、というその一点であった。
「でも」まひろは言いかけ、こちらをにらむかおるの顔に、そっと静かにその口を閉じた。彼女はこう言いたかった。「でも、ヤスコさんの仇を取れるなら」と、「このいのちがなくなっても」と。
*
『お前のせいで失われた命も多いんだぞ!』
スピーカーの向こうで男は叫んだ。
部屋は強化ガラスとコンクリートで厚く覆われ、その中心に立てられた鉄の柱に佐倉八千代は縛られていた。
彼女の能力を警戒し、柱にはいつでも50mA近い電流が流せるようになっていたし、室内の気圧も、これは少し時間がかかるが、0.3気圧以下まで下げられるようになっていた。
転生者の能力を無効化する者たち――痩せぎすの牧師や足がきれいなあの女性――も例の爆発を生き延びてはいたものの、彼らの能力が佐倉八千代には効かないことは、この数年で起きた様々な事件が証明していた。八千代が訊いた。
「事件?」震えるような声で、「事件ってなんのことですか?」
ドンッ!
スピーカーの向こうで壁か机を叩く音が聞こえた。明らかに怒りの感情が込められている。
『おまえが!』
とふたたび男は叫ぼうとしたが、
『……』とすぐにその高ぶりを抑えると、『おまえが起こした事件のことだよ』そうつぶやいて呼吸を揃えた。『この魔女が』
そうして、それから彼、左武文雄は、この世界の佐倉八千代が起こしたとされるいくつもの事件――要人の誘拐やビルの破壊、電気通信等重要インフラへの攻撃等々――を彼女に言って聞かせた。声を荒げることもなく淡々と。
それは、その方が、彼女のこころをより深く傷つけられると想ったからだし、下手に声を荒げてしまうと、それらの不幸から彼が守れなかったもの、彼が失くしてしまったもの――それは例えば、友とかひとりの少女とか――のことを想い出し、自分が泣き崩れてしまうかも知れないと、容易に想像出来たからである。であるが、しかし――、
「うん?」とここで彼は首をかしげる。
何故なら彼は、この取り調べの間中、彼の能力を、『他人のこころの声が聴こえる』あの能力を、八千代に向けて最大限に開いていたのだが、右で挙げた様々な事件について、当の八千代からは、まるで初めて聞いたような反応しか返って来なかったからである。
「うん?」とそうしてふたたび彼は首をかしげると、マイクの横に置かれた社内電話に手を伸ばした。
「ああ、すまない。俺だ、左武だ」電話に向かって彼は言った。「――山岸さんを頼む」
(続く)




