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その13

 『窓』が開いていた。どこか遠い、宇宙の涯てにでも繋がるような『窓』が。


 『窓』のそばには少女がいた。彼はまだ会ったことがなかったし、きっとこのまま、会うこともないのだろうけれど、少女が。


 『窓』に、少女に、近づいて行く男性の姿があった。彼には会ったことがあった。不機嫌と不愛想と杓子定規を詰め合わせたような顔。しかしいま、少女のそばに歩み寄ろうとするその顔には、下手くそな愛想わらいもいくつか含まれていた。『窓』はきっと、彼をどこかへと運び去る『窓』なのだろう。


 男性は、少女を抱きしめようとし、ためらい、出来ず、代わりに自身の考えを述べ、彼女の問いには、いつもの不愛想と下手くそな微笑みとで応えていた。彼女の肩に手を置いた。


 石橋伊礼は、夢の、未来の預言の中で、そんな彼らを、離れた場所から見ていた。


 少女が男性に、あるいは男性が少女になにを語ったのか? その言葉のほとんどを伊礼は聞き取ることが出来なかった。


 彼が聞き取れたのは、「やっと会えたのに」とか「大丈夫だよ」とか、そんな数語だけだった。ただ、


「祝部さん!」とこちらをふり向き叫ぶ男性の声だけは、いやにはっきり、くっきりと聞こえた。彼は叫んでいた。「遅くなりましたが!」と。「ひかりくんをお返しします!」


 そうして――?


     *


 ハッ。


 となって彼は目覚めた。夢から、あるいは未来の預言から。そこは彼の事務所だった。事務所の、来客用のソファの上。いつ預言に入ったのだろうか、窓の外は晴れ、きっといまこそが花の盛り。時計を見上げたが、時間は頭に入って来なかった。事務の平井さんはしばらくお休みを取っている。恋人の重雄の顔が何故か想い出された――がちがう。彼は自身のスマートフォンを探した。事務机の上にあった。


『祝部さんに電話を』彼は想った。『なぜ忘れていたのだろうか?』とも。


 いくつかのコール音。しかし優太は出なかった。


『誰に? 誰に伝えれば?』


 山岸富士夫か? 樫山ヤスコか? 佐倉八千……いや、彼女はちがうか。彼女からのメッセージを開きながら彼はその手を止めた。こんなときミスターさんを呼び出せれば、そう想った。すると、


 コンコン、コンコン。


 と突然、事務所の扉を叩く音がした。


 コンコン、コンコン、コンコン。と。


 それが誰の、何の目的で鳴らされているものなのか、彼には何故だか直ぐに分かった。恋人の名前をつぶやき、伊礼は想った――ああ、いよいよ、


『いよいよ運命が、僕に追いついた』


 コンコン、コンコン、コンコン、コン。


 三度目のノックのあと、扉の向こうで男が言った。


「すみません」と。


「石橋伊礼さんはおられますか?」と。


「おられますよねえ?」と。


「私、灰原神人というものなのですが」と。


 そうして――?


     *


 そう。


 そうして世の中には、変わった趣味を持つ人間というのはいるもので、かつては日本でも、警察無線の傍受を趣味にする人間が一定数いたそうである(注1)。がしかし、それでも現在この趣味は、西暦2000年代初頭の警察無線のデジタル化と、それに合わせた暗号化が徹底されたこともあり、技術的ハードルがグンッと上がってしまったのだろう、数も人気も急速に下降しているとのことであった。(注2)


 であったが、しかし、そんな状況の中にあっても、変わった趣味を持つ人間の特に変わっている人間はやはりかなり変わっているようで、例えば彼らは、警察署内や近距離の未デジタル化通信が残っていないか探したり、市販の受信機で受信したデジタル暗号をどうにか解読出来ないかと試したり、連続波・電信モードにも対応した短波ラジオやアマチュア無線機などを使用、様々な違法電信を聴くなどして、きっと楽しかったであろう古の無線傍受文化に想いを馳せる――みたいな感じに、その趣味を現在にも残しているようすであった。


 そうしてもちろん、我らが可憐なる女警察署長・小張千秋は、そんな『変わった趣味を持つ人間の特に変わっている人間』のひとりであり、彼女の署長室には、高機能・高性能なポータブル短波ラジオや超小型ロシア製ポータブルレシーバーをはじめ、ハイエンドなアマチュア無線機やアナログ・デジタル双方に対応した広帯域受信機等々が置かれており、ちょっと仕事に詰まったり、


『わたしの人生こんなでいいのかしら?』


 と年相応の女性らしい悩みに直面した時などは、それら機械を触ることで、その疲れたこころをほぐしたりしていた。(注3)


 ほんと、なかなかにキモ……もとい、興味深くご高尚なご趣味だとは想うが――今回はそれがよかった。


と言うのも、いま、署長室に戻った彼女が、「さて、お仕事」と、いつもの癖で点けた小型の短波ラジオから、次のような音が聞こえて来たからである。


『ツー・ツー・トン・ツー・トン・ツー・ツー・

 トン・トン・ツー・トン・ツー・ツー・トン・トン・ツー』


 と。それから、


『ツー・トン・ツー・トン・ツー・ツー・トン・

 ツー・トン・ツー・ツー・トン・ツー・トン・

 ツー・ツー・トン・トン・ツー・ツー・ツー・

 トン・ツー』


 と。


 そうしてもちろん、小張千秋は、この可変長符号化された文字コードをしっかり習得していたし、彼女のこころの映画オールタイムベスト20の中には、ローランド・エメリッヒ監督の『インデペンデンス・デイ』(1996年)ももちろんランクインしていたので、この奇妙な音が何を示しているのかも直ぐに分かった。


「“し・よ・ち・よ・う”?」彼女はつぶやき、


「“さ・た・け・で・す”?」と考えくり返した。「“署長、左武です”?」


 そうして――、


     *


 そうして、しばらくしてから、そこにはヘビーメタルが流れていた。


 それも、結構な大音量で。


 署長が署長室をどんどん自分好みに、というか彼女が暮らしやすいように改造しているのは知っていたし(実際彼女はそこで暮らしているようなものだった)、周囲の人々もその辺は、基本大目に見るようにしていたのだが(どこからツッコミを入れていいか分からないくらいに改造されていたから)、流石に今日のは音量が大き過ぎるな――と右京海都は想った。


 ガンガン音が外に漏れ、すれ違った清掃員のおばさんも「困りましたねえ」みたいな顔をこれ見よがしにこちらに見せていた。署長に呼ばれて来たのはよいが、これではまともに会話も出来ないではないか? そう考えたからである。


 彼が入室した時は丁度AC/DCの『Back In Black』が始まったところであった。


『盗聴・監視の恐れがあります』部屋に入るなり手持ちのホワイトボードを見せられた。


「え?」いきおい彼は声に出しそうになったが、いそいでそれを閉じると、


『私にもボードを』身振り手振りで彼女に伝えた。『いったい、どういうことですか?』


 彼女は答えた。ひき続き、ホワイトボードに金釘流で、


『私のラジオに、左武さんからのモールス信号が届きました』と。そうして、


『早速こちらも電信で返信したところ(注4)』それから、


『簡単ではあるが、現在の状況を教えて貰えた』のだと。


 前にも書いたとおり、左武は現在、監禁状態だった建物から戸柱恵祐を連れて脱出、そこで出会った祝部優太の車で武蔵野市付近に潜伏中なのだが、


『どこかいい隠れ場所はないか?』と、ここの警察署はもちろん、


『病院や左武さんのアパートにも』相手の監視は届いてそうで、


『どこかいいとこないですか?』と、そんな彼らを匿うために、彼女は右京を呼んだのだという。いうのだが――、


『うーん?』とこれにはさすがの右京も悩むことになるのだが、実はこの悩みは、


『どこがいいかなあ?』と改めて想い悩む類いの悩みではなく、どちらかと言うと、


『あそこくらいしか想いつかないなあ』というタイプの悩みであった。


 と言うことで。


「あのー」と、しばらくして右京はついつい声を出したが、ここでもすぐに口を閉じると、手もとのボードにカキカキカキカキ、次の文字を小張に見せた。


『花盛りのおうちは?』



(続く)

(注1)

 ちなみに。この『一定数』という言葉については、そもそも傍受行為自体が違法にならないこともあり、第三者漏洩などの法に抵触したならまだしも、ただただ趣味で傍受していた人間の数を国なり自治体なりが調査・把握し、公のデータにアップされたりもしていないため、作者が年長の知り合いに当時の状況をヒアリング、「ま、ね。そこそこはね、いたと想いますよね、そこそこはね」という回答しか得られなかったため、この様な曖昧な書き方でお茶を濁すことにしております。悪しからず。


(注2)

 例えば、市販の受信機で現在の警察無線を聞いてもただの雑音にしか聞こえないそうで、普通の民間人が警察無線を傍受する方法は一般的にはない――とまあ前述の知り合いからはそんな風に教えて頂いたのだけれど、そう言いつつも彼は、「まあ一般的にはね」をくり返していたので、色々やり方はあったり、隠れてコソコソやってる趣味人も聞いた以上に多いのかも知れない。めんどくさそうなのでそれ以上は踏み込まなかったけど。


(注3)

 もちろん彼女は警察官なので、わざわざそんな機材など揃えなくても警察無線を聴くことは出来るのだが、「誰にも頼らず、誰にも気付かれず、己の力だけで、こっそり聴くのがロマンってもんじゃないですか」とか訳の分からないことを言って来たので、こちらもそれ以上は踏み込まないことにした。


(注4)

 彼女の署長室にはもちろん、趣味で買ったハイモンド社製のレトロ電鍵が置かれている。

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