その12
「あ、って言うか、叔母さん? になるんでしたっけ? わたしの?」
と言ったところで。
山岸まひろは驚いていた。驚いていたし、戸惑っていたし、やっぱりすごく驚いていた。
と言うのも、前回更新分の最後で突然出て来た少女にいきなり叔母さん呼ばわりされたからだし、その少女というのが以前、例の文化祭で助けた彼女、祝部ひかりであったからだし、そんな彼女からよくよく話を聞くと、たしかに自分は彼女の叔母であり、彼女は自分の姪であることが分かったからであるし、それってつまりは――、
「富士夫兄さんの子ども?!」ということが分かったからである。「“あの”富士夫兄さんの?!」
頑固と不機嫌と無愛想を杓子と定規で絵に描いてパウチで止めたような顔をしているあの兄さん。美紀さん(いまの奥さまね)と出会うまではきっと女性と付き合ったこともなかったんだろうなあ、と自分も含めた周囲に想われていたあの兄さん。って言うか、僕へのシスコンこじらせて女性と付き合えなくなってたりしたらどうしよう? とか本気で悩んだこともあった、あの、富士夫兄さんの?
「美紀さんと結婚するまでずっと童貞だと想ってた……」
うん。流石にそれはお兄さまを見くびり過ぎだとは想いますが――とここで咲子さん。
『ま、いろいろ想うところはあるだろうがね』とおどろき戸惑いフリーズ寸前の彼女の背中を叩く。『立ち話もなんだし。とにかく上がんな、お茶でも入れるよ』
そうして――、
「はー」とそうして、奥にもどって行く彼らを見ていたまひろだが、ハッと気付くと、「ミスターさん、ミスターさん」と横にいるいつもの赤毛に訊いた。「じゃあ彼女で合ってたんですね?」と。「文化祭で助けるよう言った僕の姪っ子って」
そう。これは以前、突然彼女の前に現れたミスターが、
「“君の姪御さんがピンチだ。救けてやってくれ”」
と、時の止まったエレベーターで言ったことを示しており、あの予言はまさしく彼女・祝部ひかりの救出を意味していたのだが――、
「へ?」とどうやら、この赤毛はあの赤毛よりもだいぶ以前の赤毛らしく、「なに? そんなこと言うことになるの? ぼく?」
と、覚えていないどころか経験していない様子であったし、これはつまりは、このやり取りを聞いていたヤスコに、
「あれ?」とひとつの疑問を抱かせはしたものの、「でもなんか訊いてもムダそうね」
と、その問いを飲み込ませることにもなるのであった。と言うのも彼女は彼女で、
「“君の姪御さんがピンチだ! 救けてやってくれ!”」
と以前、時の止まった橋の上で、今より未来の赤毛から言われたことがあったからである。
「私の姪? ではないわよね? いまの話だと」
そうして――?
*
そう。そうして、朝の日射しはすでに強かったが、目を開けていられないほどではなかった。
老人はきちんとした身なりで背筋を伸ばし噴水のふちに座り、頭には黒の中折れ帽、紺の日傘を差していた。
この時間帯の公園に人影はまばらで、白のテリアを連れた老婆がひとり、老人の前を会釈しながら過ぎて行った。老人はにこりと笑い、彼女と彼と手を振って別れた。
「おじいさん?」犬と老婆が去って行くのに合わせるようにひとりの少年が彼に声をかけた。「ぼくに会いたいのって」
「やあ、ウォーカーくん」老人は答えた。影からのぞくその顔はきびしい硫黄色をしていて、どこか中国人形のようにも見えた。「よければ座りたまえ」自分の隣を示しつつ、「伯父さんと伯母さんは?」
少年は老人に不気味なものを感じたが、と同時に、なぜか親しみに近いものをも感じていた。
「あっち」と少年は噴水の反対側、植物園に通じる小径を指した。そこにはペトロとマリサのコスタ夫妻――に見える男女がベンチに座り老人に軽い会釈を送っていた。「おじいさんだれ?」
老人は明らかにこの国の人間だったが、少年は何故か彼の曽祖叔父を想い出していた。両親を亡くした彼がこの地に残ることを認めてくれ、伯父や伯母と一緒に暮らすことを認めてくれた、あの曽祖叔父、亡くなった母の名付け親でもあったあの彼のことを。
「“うざん”だよ」老人は答えた。「君にはいやな名前かも知れないけどね」どこからともなく小さなペットボトルを出しながら、「よければ飲むかい? 冷えてるよ」
「“うざん”?」少年は訊き返した。自分でも気付かぬうちに老人の隣に座っていた。「変ななまえだね」
老人はわらった。おおきく。
「いやいや、いいねえ、ウォーカーくん」自分の分のペットボトルをすすった。ほの甘いカルピスが彼に不思議を問いかけた。「とても利発そうな顔をしてるし、なるほどお母さんにそっくりだ」
少年は息を呑んだ。小さく。なみだが頬を伝って行くのが分かった。
「“もしも、まちがいに気が付くことがなかったのなら?”」老人は問いかけた。少年と自分自身に。「どうだろうウォーカーくん。宇宙を救う手助けをしてくれないかね?」
そうして――?
*
「病院はダメだ。きっと見張られてる」とそうして優太は答えた。声のトーンを落としながら、「もちろん俺の家もだし、あんたのアパートだってそうだろうな」
「うむ」左武文雄は応えた。こちらも小声で、「ってことは署もダメか? 電話もNG?」
「もちろんだよ」優太は言った。「と言うか逃げ先考えてなかったのか?」
ここはいつもの石神井公園――ではなく、そこよりいくつか南西に下った緑の多い別の公園、その駐車場――に停めた青い車の中である。
「あそこを出るのに必死でね」左武は答えた。「出たら署長か同僚に相談するつもりだったんだが――」
彼は前回、天台グループのある施設から、同じく囚われの身であった戸柱恵祐を救い出すと外へ出て、何故だかそこで待っていた祝部優太に拾われ、彼の車に乗ることにしたわけだが、
「あんな登場するからさ」左武は続けた。「こっちもてっきり逃げ場所用意してくれてるもんだと想ったよ」
「すまんね」優太が答えた。「こっちもたまたま、あそこにそちらの署長さんが来たって聞いて寄ってみただけなんだが――」
と、彼としても偶然、左武たちが逃げ出して来るところに出くわし、声をかけたのだと言う。
「偶然にしちゃあ出来過ぎてる気がしないでもないが――」と続けて優太。すこし考え、運転席のバックミラーで後部座席の戸柱恵祐を見る。「その署長さんなり同僚なりに連絡が取れればなんとかなりそうなのか?」
恵祐は倒れ、ふるえ、その顔は青ざめたままだった。
「戸柱の件も含めると事情を知ってるのはあのふたりだけでね」左武文雄は答えた。こちらは直接、助手席から恵祐の方を見た。「あと署長は、妙なところに妙なコネがあったりするから、それを頼れないかと」
「うーん?」優太はうなった。今度は彼も、直接、後部座席でふるえている戸柱恵祐を見た。「なにか、連絡を取る方法を考えるか……?」
(続く)




