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その7

 なかば予想していたこととは言え、ふたりのミスターは戸惑っていた。と言うか、戸惑いながら困惑していた。と言うのも、この10分ほど誰も何も声を発していなかったからだし、


「あ、あのね、ヤスコちゃん」とひとりのミスターが状況を説明しようにも、


「しっ! しずかに!」とすぐにヤスコが、声にも出さずにこちらも見ずに、彼らに沈黙を続けるよう圧をかけて来たからだし、


「あ、あのね、まひろくん」ともうひとりのミスターが遠慮深げに彼女に声をかけても、


「すみません、ミスターさん。黙っていて貰えませんか?」と、こちらは一瞬彼らを見たが、それでもすぐに、ヤスコと同様、無言の圧と言うか、いざとなったら念動力で彼らを吹き飛ばさんばかりの圧を発していたからである。


 そう。


 いま、彼ら、ヤスコとまひろは、黙ってふたりで見つめ合っていた。黙って、息を止め、目が離せなく、その場から一歩も、いや、身動きひとつも取れない様子で。胸が高鳴り、頬は赤く、喉はからから、まばたきするのも忘れるほどに。そうしてとうとう、想いあまって、


「あの!」とふたり同時に声を出しては、


「あ、いえ、その……」とふたり同時にまごまごまごつき、


「あのー」とふたり同時に手を伸ばしては、


「わ、わたし!」とそのまま、その手を相手の顔や手に、あるいは肩に、なんなら腰に、まわせるものなら回してしまい、そのままガバッと相手を抱き寄せ、自分も相手に抱き返されたい、みたいな衝動を感じはするが、それでもすぐに、


「あ、いえ、すみません……」とその手をそそくさ引っ込めてしまう……。


 と、まあ、そんなようなことが、かれこれ10分、そろそろ15分ほど、ここ樫山家のリビングではくり返されていたわけであり、このまま放っておけば、この後も、それこそ世界が終わるまで、この状態は継続したであろう。


 何故なら彼らは、恋に落ちたから。


 目と目が合ったその日から、はじめてあったその日から、プランク秒と間を置かず、真っ逆さまに、これぞ手本と言った感じに――。


 が、まあ、もちろん。


 これまでこのお話を丁寧に読まれて来た方、あるいは、このお話の前日譚である『SHEEP』を読まれている方々からして見れば、これが彼らの本当の意味での初対面でないことは明らかなので、


「なーにが、『はじめてあったその日から』だよ」


 と恋するふたりの間に冷や水ぶっかけたくなる気持ちも分からないでもないのだが(私だってそうだ)――、


 それでもふたりは恋に落ちた。


『はじめてあったその日から』的恋愛に。ふたたび。見事なまでに。ひとめ惚れなんて現象が現実に存在し得るのかどうかこの作者は知らないが、それでも、実際にそんなものが存在するのだとしたら、それはきっとこんな感じなんだろうなあ、と納得してしまうくらいお見事に。きっとシェイクスピアなら、


「“ああ、これほど美しい姿を見たことがあるだろうか? 恋の神よ、誓いを捨てろ。”」とか、


「“一体どうしたの? こんなにはやくかかる病があるものなの? あなたの言葉、その顔、身のこなし、立ち居振る舞い、すべてがすべて素晴らしいわ”」とか、


「“まことの恋をする者は、誰もが一目で恋をする”」とか、


 まあ、そんな素敵なセリフの十や二十や三十を、スラスラスラリと書けたかも知れないほどの恋への落ちっぷりで、彼らは恋に落ちたのである。


 であるがしかし、ここで困ったのは作者とふたりのミスターである。


 と言うのも、冒頭にも書いた通り、なかば予想していたこととは言え、隠した記憶は戻してないし、このお話の第一話で会わせた時にも、ここまでのリアクションはしていなかったので、まさか今回、まさかこんな感じに、まさかここまで二度目のひとめ惚れにふたりが落ちるとは想っていなかったからである。であるので、


「なあ、おい、これどうすんだよ?」とふたりのミスターに訊かれたところでどうにもこうにも手はないし、


「あ、あのね、おふたりさん」と作者みずから彼らに声でも掛けようものなら、


 ガラガラガラガラッ!

 ピシャッ!


 とばかりに、『第四の壁』にシャッター下ろして物語自体を完結させてしまいそうな雰囲気ですらある。


 きっとプロットも進んで諸々のタイミングが近付いているからだろう、彼らを取り巻く時空やら、宇宙の涯てを旅するあの女の子の波動やらが、彼らふたりの結びつきをより強固にしているようで……って困ったなあ。


 このままではお話を進めようにも進められないし、ヤスコ先生はさておき、まひろくんが使えないことには灰原との決戦には臨めないし、ミスター×2は当てにならないし……こりゃもう、なぐられる覚悟で、私があちらに行くしかないのかなあ……と、作者みずから色々制約を破ろうとした瞬間、


「にゃーぁん?」と、下の方から声がした。「ふんがらごにゃ、ふにゃごん?」


 つい先ほどまで家の二階で――と言うか、それと同時に宇宙の涯てで――眠っていたはずの、この家の飼い猫、フェンチャーチ嬢であった。彼女は続けた。


「ふぇにゃん? なあご、にゃが」まひろの足にすり寄りながら、「くんにゃあ、ふごにゃあ、くすくすくす」と彼女らふたりをからかいながら。


 どうやら彼女にしてみれば、まひろはずっとこの家の家族で、


「うにゃ、にゃう、にやうんが、うにゃ」と、どうせ起きたのなら、そろそろ朝めしにしろ人間ども、と彼らに指図しに来た様子であった。「なふんが、なう、にゃう、なう」


 そうして――、


     *


「なあ、おい、起きろ、大丈夫か?」


 とそうして、ようやく樫山家でのお話が進み始めたころ、ペトロ・コスタは、ソファで眠る女性を起こそうとしていた。こちらも明け方。外はかなり白ずんで、時計はそろそろ5時を示していた。


「う……ん?」女性は苦しそうだった。


 とても消耗した様子で、化粧も落とさず、さすがにドレスは着替えていたが、それでももどって来たときのまま、ソファに突っ伏し眠っていた。


「なに……?」と彼女、オフェリア・モンタルトは返したが、そこにはいつもの彼女の覇気もなければ、妹マリサの演技を続けようとする雰囲気もなかった。そのため、


「うん?」と流石のペトロもそれに気付いた。「おまえ、ひょっとし……」


 がしかし、先ほども書いたとおり、彼女、オフェリア・モンタルトは、昨日の山岸富士夫との再会で神経を随分とすり減らした上、その後の天台烏山との面会でも相当気力を殺がれたらしく、


「ちがうわよ、ペトロ」と彼女の妹マリサ・コスタに、その身体の主導権を簡単に受け渡すことになるのであった。マリサは言った。「実は昨日、わたしたち――」


 そうして――、


     *


 カチャッ。


 とそうして、非常階段への扉は想った以上に簡単に開いた。伸ばしたクリップ三本で。


「犯罪者の気持ちになることも大事です」


 と、署長に言われて覚えたピッキングがこんなところで役に立つとは想わなかった。


 また、それに加えて、フロア内の移動は可能で監視はゆるく、こころの声で署長が伝えてくれた立地と間取りと人の数なら、まあ脱け出せないこともなさそうだった。もちろん危険は危険だし、追われることも考えると、もう少し内部の様子を見てからの方が賢明だっただろうが――、


『だ…れか……、

 た……すけ……。』


 非常階段に出ると、いよいよ声ははっきりして来た。ただし、


『だ…れか……、

 た……すけ、て……。』


 といまにも消え入りそうではあったが。


「ちっ」と左武は舌を打ち、こころの声に耳を傾けた。「やっぱり、戸柱だよな」


 炎を、熱を操る能力者、戸柱恵祐のこころが、いまにも壊れそうな声を上げていたのである。そのため、


「一階……? いや、地下……があるのか?」と、そのまま彼は階段を下りた。「やはり、ほってはおけんよなあ」


 彼が部屋を出た理由。危険や賢明さを無視してここから脱け出そうとしている理由。それはただただ、警察官として、人間として、戸柱恵祐の、弱り切っている者からの緊急信号を無視出来なかったからである。



(続く)

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