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その6



 『さあ行こう青空の彼方へ。

  さあ行こう青空の彼方へ。

  バックアップは取れたか?

  残りはそこに隠しておけ。』



 記憶の底から流れる音に灰原神人は目を覚ました。雨戸は下ろされひかりはなく、部屋には時計もなかったが、それはおおむね、朝の四時ごろだった。何故ならそれは、いつもどおりの夢もない眠りだったから。



 『さあ行こう青空の彼方へ。

  さあ行こう青空の彼方へ。

  世界は変わり果てたのか?

  また日々のみ過ぎて行く。』



 昨夜の記憶を点検した。捕まり、逃れ、反撃し、反撃された。ふたりの赤毛とひとりの能力者。いや、あいつは、あの女は、これまでの能力者たちとは明らかに違う。自分とよく似た能力だが、それでもあれは、意味や種類のレベルで違うなにかだった。それが受けた攻撃から分かった――いったい何なんだ? あいつは?



 『さあ行こう青空の彼方へ。

  さあ行こう青空の彼方へ。

  私が誰か知っているのか?

  君は誰か分っているのか?』



 灰原神人は考えた。


 とは言っても彼の思考回路、そのベクトルは、彼の生い立ちや両親への憎悪、同級生の自殺やそれを何とも想わない、当人の責任に責任転嫁する社会慣習等々のせいで、おおむね凝り固まっていたので、その結論もこれまでとおおむね変わることのないものだったが。


『もっと力が必要だ』彼は考えた。『もっと殺して、もっと力を取り戻さないと』


 奪われたものは、それが何かが分からなくても、奪い返さなければならない。


 樫山ヤスコの持っていた『リスト』を想い出した。あれがあれば、新たな能力を奪いに行ける。がしかし、きっとやつら――ふたりの赤毛とひとりの魔女――は、きっと彼女を守りに行くだろう。いまはまだ衝突は避けたい。



『さあ行こう青空の彼方へ。

 さあ行こう青空の彼方へ。

 バックアップは取れたか?

 残りはそこに隠しておけ。』



 灰原神人は考え、これまでに奪った、彼の身体に残っている、転生者たちの力と記憶の一部を点検し始めた――なにか使えるものはないか?


『これは?』奇妙なものを彼は見付けた。それは、戦いにはあまり役立たないだろうと放っておいたある能力者の記憶だった。彼女は、自身が見た風景景色を、その細部に至るまで完全に覚えておける能力を持っていた。


「女の名前を呼んでたな」彼女を殺したときのことを想い出した。「恋人なのか片想いか」


 が、そんなことはいまは関係がなかった。


「『預言』?」彼はつぶやいた。「『預言』とはいったいなんのことだ?」


 それは、生前の森永久美子が一度、佐倉八千代も関わったある事件で、石橋伊礼の『預言』を目の当たりにしたときの記憶だった。


 そうして――、


     *



 『くぅうぬうぅううん。

  くぅぬぅうぬぬうん。

  くぅうぬぅうぬぅん。』



 そう。そうして、扉の外から聞こえる音に、樫山ヤスコは目を覚ました。組み方を間違えた小型モーターにスライムか何かがはいり込んだようなそんな音だった。窓を見るとまだうす暗く、スマートフォンの時計は朝の四時半を示していた。



 『くぅうぬうっううん。

  くぅうぬうっふうん。

  くぅぬぅぬっぬ~ん♡。』



 モーター&スライム音に奇妙なハートマークがはいった。どうやら人か生き物のようだ。「ああ、もう」と彼女はつぶやいた。


 ベッドから下り、夏物のパーカーを羽織って扉へと向かった。弟の詢吾はマンガ家仲間の江崎くんの所だし、我が家のネコはベッドの下で気持ち良さげに眠っている。「戻ったらひと声かけろって言ったのに、あのバカ」



 『くぅううぬぅう~ん。

  くぅぬうぬぅう~ん。

  くぅうぬうっう~ん♡。』



 扉を開けるとそこには案の定、例の赤毛が眠っていた。彼女の部屋は二階だが、その一階への降り口に、もたれる形で陣取って、どこから持って来たのやら、金属バット(小学生用)なんかを持って。


「バット?」一瞬彼女は戸惑ったが、彼のことは考えれば考えるほど分からなくなるので、そこは華麗にスルーした。とにかくそばまで行ってみた。「よく……寝てるわね」


 奇妙な音は、単なるこいつのいびきだった。


「やれやれ」それから彼女はつぶやくと、自分の部屋へと踵を返した。「風邪でも引いたらどうすんのよ」


 このバカのために毛布を一枚取りにもどったのである。


 と言うのも、まあ、なんと言うか、タイムトラベラーの友人を持つと驚かされることはよくあって、それは例えば今みたいに、明け方、音もなく、ひとのお家にはいり込んでは爆睡かまして行くことだったり(彼らは時空を自由に行き来出来る)、あるいは、寝ている彼女の枕もとに立って、「どうだい? かわいいだろ?」と数匹のオオウミガラスを連れて来ることだったり(彼らは時空を自由に行き来出来るので、絶滅した海鳥を探しに行くことも出来る)するのだが、ここで普通の人ならば、叫び出すなり、警察呼ぶなり、それこそバットでたたきのめすなりするのだろうが(曲がりなりにも彼女は女性だ)、そこはそれ、ヤスコもそのへん慣れたもので、驚き、叫び、赤毛の頭を蹴り飛ばす代わりに、まずは彼の体調を心配するようになっていたからである――さすがにもう夏とは言え、冷たい廊下でなにもかけずに寝るのはやはり体に悪いだろう。


「やれやれ」ふたたび彼女はつぶやくと、持って来た夏用ブランケットを彼にかけてやろうとして――、「きゃあッ」とおどろき飛びずさった。


 何故なら、先ほどまではひとりだった赤毛が、いまはふたりに増えていたからであるし、


「うわッ」と、あちらはあちらでこちらに驚き、「なんだヤスコちゃんか」


 と、増えたひとりも、何故だかクリケットバットを持っていたからである。彼は言った。


「なんだか久しぶりだね、元気だった?」


 そうして――、


     *


「だったらあなたが、昨日まで一緒だったミスターで、そっちのあなたはすこし先の未来から来たミスターってわけね」


 とそれからすこししてヤスコは言った。ふたりのミスターと一緒に階段を下りながら、


「やっぱり久々だとおどろくわね」


 さっきも書いたとおり、タイムトラベラーの友人を持つと驚かされることがよくあるのだが、そのなかでも、特にこの『同一人物が同一空間に同時に複数現れる』というのは、見た目のインパクトもさることながら、実はあまり起こらない現象なので(小説的書き分けが面倒なのはもちろん、彼らは彼らで、自分の目で自分を見るのを大変きらうらしい)、さすがのヤスコ先生もけっこう心臓バクバクだったのである。しかも今回は、それに加えて、


「ところでなんで金属バットにクリケットバット?」


 と、普段その手のものにはまったく興味を持たないミスターが、なにやらどこか臨戦態勢? 警戒態勢? に入っているのである。


「まあとにかく、なにがあったか教えてよ」


 と、昨日自分と別れてから彼らになにがあったのか? それを訊こうとリビングまでやって来たのである。であるが、


「あれ?」とここでヤスコは言った。「なに? もうひとりいるの?」


 と、リビングソファの上にひとつのふくらみを見つけたからである。どうやら別にもうひとり、毛布を被ってそこで寝ているようである。そのため、


「ちょっと、ミスター」とヤスコは言った。ミスターたちの答えも待たずに。その毛布をはぎ取ろうとして、


「あ、ちが、ごめん、ヤスコちゃん」とふたりのミスターが止めるよりもはやく、


「あれ?」と彼女は、その相手の顔におどろき固まることになった。「……どちらさま?」


 灰原神人との戦いその他で力を使い果たし、眠り込んでいる山岸まひろであった。



(続く)

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