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その5

『もうすこし、顔をよく見せてくれないかい?』とアルミフレームの老婆は言った。ひかりの前にひざまずき、『写真やなんかは見たことあるけど、やっぱきちんと見ないとね』


「おばあちゃん? なんですか?」ひかりは訊いた。不思議そうな声で。彼女はまだ自室のベッドに横たわったままだった。「あなたが? わたしの?」


『正確にはひいおばあちゃんだけどね』アルミフレームの老婆は答えた。やさしくしわがれた手を彼女のほおに当てた。やさしく。『あんたの実のお父さん、富士夫の父親の母親――って、あーあ、かわいい顔が台なしじゃないかい。やっぱあのバカ、叱ってやらなきゃね』


 ひかりの顔はいま、怒りと涙と悔しさでぐしゃぐしゃになっていた。この日の午後の、『あのバカ』との面会で、実の娘であることを認めて貰えなかったばかりか、その話題すらさせて貰えなかったからである。老婆は続けた。


『そしたら先ずは、顔を洗うところからだね』いたずらっぽくほほ笑みながら、『それからたくさん食べて、お風呂にも入って、もう一度、今度はぐっすりと眠って、そしたらきっと、元どおりの美人さんだよ』


 それから彼女は、ゆっくりひかりを立たせると、ふたたび泣きそうになる彼女の目もとを優しくなでて、


『ほらほら、ここは場所が悪いんだ』ひかりの力を少し拝借、『あたしたちのお家に行こうか』


 そう続けつつ、すぐにその場に、光に満ちた移動用ポータルを作った。


『そう言えばさ、ひかりちゃん』老婆は訊いた。彼女の肩を抱き寄せながら、『あんた、富士夫のルックスどう想った?』


「え?」ひかりは訊き返した。あまりにも唐突な質問だったからだ。「どう……って」


『いやいや、ここは正直に』老婆は続けた。『あたしゃ時々、あの子がアフリカンオウムに見えて仕方ないときがあるんだよ』


 ぷっ。


 とひかりは噴き出した。言われてみれば確かに。あの人のちいさな瞳や広いおでこなら『ドリトル先生』に出て来てもおかしくはない。老婆は続ける。


『まあ、そこがかわいく見えなくもないんだけどさ』ひかりと二人、ポータルをくぐりながら、『うちは代々、残念なことに、男の見た目はそこそこなんだよ』と。


 他にもふたり、男の孫もいるにはいるが、ひとりはガタイはデカいが間の抜けたグレートデンみたいな顔をしてるし、ひとりは道に迷ったフェネックみたいな顔をしている。


『だけど女は、基本美人の家系だからね』ひかりももっときれいになるし、『ああ、そうそうそう言えば』


 そのひとりとは会ってるよね?


「え?」とふたたびひかりは訊き返したが、「あっ」と突然、あの日のことを想い出し、「それってひょっとして……」


『そうそうそうそう、文化祭でね』老婆は答えた。『男の格好してたけど、あれもかわいい孫のひとりさ。富士夫の妹、まひろだよ』


 そうして――?


     *


「うん?」


 と、そうしてそれから時間は進んだ。日は沈んでまた蘇り、その光に町も人も丘も森も目を覚まされていた。左武文雄は、やたらとうるさいこころの声に、顔を上げては窓を見やった。窓は変わらず開けることが出来なかったが、ここまでうるさいこころの声を彼が聞き間違えるはずがなかった。想わず彼は呟いた。


「署長?」


     *


「うん?」


 と、そうしてそれから右京海都は後ろをふり返った。と言うのも、となりを歩いていたはずの小張千秋が、ひとりそこに取り残されていたからである。そうして、


「ふむ」とひとつため息を吐くと彼は、彼女の方へと歩いて行った。


 彼女は道の側へ外れ、どこか民家の玄関先にまで入り込みそうないきおいで顔を上げては建物を見ていた。ぶつぶつぶつと何事かをつぶやきながら。彼は訊いた。


「署長?」と続けて、「どうかされましたか?」


 ここは、東京都練馬区の西のはずれ。新座市とか西東京市とかその辺りとも隣接していそうなそんなエリアの、そんなエリアには不釣り合いなほどに大きな建物の裏の小道で、彼らはそこから門前払いを喰らわされたばかりだった。彼は続けた。


「しょーちょーおー?」と気持ち語気を強めて、「どうかされましたか?」


 小張が道々黙想しながら取り残されるのはよくあることだったが、それでも、こちらの声に無反応なのは珍しかった。


「え? ああ、すみません」ようやく彼女がこちらを向いた。「この建物の情報をくり返していたんです。頭のなかで」


「は?」


 その建物は立方体より縦にすこし長く、壁は白くて五階建て。マンションとオフィスビルと何かの研究施設を組み合わせたような外見をしており、いつもの通り、天台グループの持ち物だった。小張は、そんなビルの立地や住所、外から見た間取りやなんかを頭の中で、こころの声に出してくり返していたのである。


「ひょっとしたら、左武さんに聴こえるかもなあって想って」彼女は続けた。「もちろん、いるかどうかは不明ですが」


 彼女たちは現在、いくつもの事件を同時並行的に捜査する状況に陥っていた。何故ならそれは、それだけ多くの面倒な事件が彼らの管内で続発していたからであるし、その多くの面倒な事件が緩やかに繋がり合っているように(少なくとも小張には)見え、既存の大まかな部分の調査はさておき、新規の謎や細かな部分の調査は、全体を把握している小張と、最初から諸々の事件に関わっている右京とで回す方が、かえって効率がよくなっていたからである。右京が訊いた。


「なるほど?」小張の横に立ちながら、「他の候補でも同じに?」


「え?」小張は応えた。「ああ、たしかに。言われてみれば、どこに左武さんがいるか分かりませんからね」


 そう。そうして彼らは、その『緩やかに繋がり合って』の中に、彼らの部下で同僚、クマのようなひげ面男、左武文雄も巻き込まれたのではないかと考えていた。何故なら彼が、一緒に事件を追っていた彼が、突然すがたを消したからである。


 石神井町在住の女子高生、先名かすみの殺害事件や、石神井台在住の心療内科医殺害事件、100kg超えの巨漢弁護士、船場偉月の失踪事件や、こちらも石神井台在住の主婦、戸柱洋子の殺害事件、それに、その息子で容疑者の戸柱恵祐失踪事件等々など。


 もし本当に、これら『緩やかに繋がり合って』いる事件たちと、左武文雄の失踪が同じ流れの中にあるのであれば、いま小張が行った『こころの声をくり返す』も、十分意味ある行為だっただろう。何故なら、それが左武に届いた場合、彼らが左武を探していることを本人に伝えられるからである。


 またそうして、右京の言った『他の候補でも』ももちろん重要な要素であった。何故ならこちらは、その『他の候補』のどこに左武がいるかがまったく分からず、その『他の候補』も――天台グループが所有し、ひとを隠せる、匿えるような建物も、まだまだまだまだまだまだまだまだあったからである。


 そうして――?


     *


「すんません、署長」


 と、そんな彼らのこころの声を聴きながら左武文雄は謝った。もちろんこちらもこころの中で。何故なら左武は、彼らに何も言わずに姿を消していたからだし、そんな自分を心配してくれる彼らの声が痛いほど胸に響いたからである。そうして、


「しかし、これで場所と間取りは大体分かりましたよ」と同時に彼は彼らに感謝してもいた。「これなら逃げ出せるかも」と。「ついでに戸柱のやつも助けられるかも」と。


 問題の戸柱恵祐が同じ建物内にいるらしいこと、そのこころの声を左武が聴いたこと、そのこころの声がいまにも消えてしまいそうなことは、前にも少し書いたとおりである。



(続く)

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