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その3

 扉の向こうは絵画の保管庫、収蔵室だった。


「以前は、他のものも置いていたんだがね」天台烏山は言った。「これらを置くのに移したんだよ」と。「やはり調和を乱すからね」


 それは夥しい数の油彩画だった。


 色彩も信仰も持たぬ男が何かに追い立てられるように殴り描いた、抽象的かつ写実的な、しかし実際、それを見たものにしか描けないであろう切迫感と現実感を持った、そんな風景画、静物画、人物画、等々であった。


「これは?」山岸富士夫は訊いた。「どういう方の? なんの絵なのですか?」


 富士夫に絵の良し悪しは分からなかったが、それでも、とても売れる絵、天台のような男が資産として保有するような絵には見えなかったし、それにたしかに風景画、静物画、人物画、等々であることに間違いはないだろうが、と同時にこれらは、ある種の抽象画、歴史画、宗教画のようにも見えたからである。


「すでにお亡くなりになられたがね」天台烏山は答えた。「段野耕作という優れた先生の作品だよ」そうして、「これらはある意味未来であり過去であり別の宇宙であり、我々の計画がまさに問題なく進むことを示す絵画たちでもあるんだ」


 逃げ出した楽園。希望もない暗闇。光の洪水。ふたりの花嫁。太った看護師。ゆつきの森。痩せぎすの帰還兵に仮初めの平和。聖者は歩く、海の上。彼らはわらう、いっせいに。不幸な星の若人ふたり。壁の上の少女。花盛りの夏。岩吐く化け物。三匹の妖女。そうして、


「『どうか我らの想い出だけは決して怒りに変えぬよう。』?」富士夫はつぶやき振り向いた。「どうしてここだけ?」


 というのも、西側の壁、その中央、壁も床も天井も絵画で埋め尽くされたその部屋のその部分だけが、ポツン。と、まるで複雑なパズルの最後のワンピースを待つかのように、空白で出来ていたからであるし、その空白には一枚のメモが、いま語った言葉のメモが、小さく貼られていたからである。天台烏山は答えた。


「段野先生が亡くなられた際」富士夫の横に立ちながら、「すべての絵画を探し買い取ったはずなんだがね」と続けて右目を手で押さえながら、「先生の遺されたノートと見比べると、どうしてもそこに一枚足りないんだよ」と。「メモは、その絵のタイトルさ」


 行方知らずのこの絵について、富士夫はもちろん天台烏山もそれがどのような絵であるかを知らないが、我々は、わたしと、読者であるあなたは、その絵のことを知っている。


 そう。それは問題の油絵画家、段野耕作が、友人の安堂夏彦に謝罪と友情の証しとして残した、どこか遠くの修道院を描いた、あの絵画のことである。初夏。夜。旅の行商人とその地の老司祭が何ごとかを話しているあの絵画。途方もなく大きな月がのぼっている、あの絵画のことである。


「なるほど?」と、よく分からない頭のまま富士夫は応えたが、そのよく分からない頭は、また別の、新たな疑問を生じさせてもいた。彼は訊いた。


「どうしてここに?」と天台烏山に、「そのノートの? リストの順なのですか?」


 と言うのも、ここに飾られた絵画たちのテーマや色彩、タッチはもちろん、その並びにも一貫性があるようには想われなかったし、また、先ほど天台は、『計画は問題なく進む』と言ってもいたが、これら絵画のひとつひとつからも、その並びからも、そのような何かしらのストーリーを読み取ることは出来なかったからである。天台烏山は答えた。


「預言者がいてね」とあまりに唐突な単語を出して、「彼も、段野先生と同じく、行き当たりばったり、アットランダム的にビジョンを見ているらしいが、そんな彼の預言とこれらの絵画、それに我々の持っている記録や計画を突き合わせると、みごとに平仄が合った」


 それで、この並びにしたのだと。


「なるほど?」と、そんな彼の説明に、ふたたびよく分からない頭のまま富士夫はうなずくと、改めて絵に戻ろうとしたのだが、


「咲子さんはね」と言う天台の声にそれを止められた。彼の方を向いた。「あなたのおばあさまはね、あまりよく理解されていなかった。いや、しようとしなかったんだな」


 話が、適当な接続詞も持たないまま、また、唐突に変わった。


 そうして――、


     *


「そうして異世界――多元宇宙への扉は開かれた」と前を歩くミスターは言った。すると、


「『怒りを謳え、女神よ。』?」と後ろを歩くミスターが訊いた。「彼がこれを言ったときはびっくりしたよ、知らないんだろ?」


「全体の流れや構造までは把握してないと想うけどね」前を歩くミスターが答えた。「ヤスコちゃんのお父さんの資料もそこは曖昧で分かりにくかっただろ?」


「ああ、たしかに」後ろを歩くミスターも応えた。「よく調べられてはいたけど、他の宇宙の状況や『発端』が分からないとあれが限界なんだろうね」


「『発端』は未来だったしね、彼にとっては」


「お父さんの資料じゃないとすると、“あいつら”からの情報?」


「そこは分からないけど――『壁』を見たときの反応は? 驚いてなかったかい?」


「ああ、たしかに――すると、実はなにも知らないってことかな?」


「不思議な能力が存在し、それを奪い取る方法には長けているが、その背景についてはよく分かっていない――けど、やはりそのセリフは気になるな」


「奪い取った人たちの記憶?」


「彼らの以前の宇宙や『窓』を通った時の感触、記憶、表には現れないので理解には及んでいないが、その時のイメージを、身体が脳に先行して受け取っているのかもね。つまり――」


 と言ったところで。


 彼ら、ふたりのミスターは、こんな風に会話を続けていたのだが、やはり同じふたりの人物だからだろうか、彼らだけにしか分からない言葉と文脈でそれは進められ、これをそのまま書き写したとしても、ご覧のとおり、よく分からないままだし、それは、彼らの間をはさまり歩くこの人にとっても同じであって、


「あのー」とここでその人、山岸まひろは訊いた。「これ、いま、どこに向かってるんですか?」


 と言うのも彼女は前回、突っ走り過ぎて灰原神人に捕まったミスター(後ろを歩いている方)を助けるため、ミスター(こっちは前を歩いている方)と一緒に『壁』を使って彼らの下へとジャンプ。なかばなし崩し的に灰原神人とバトルすることになったのだが、それが何故か、その状況を知っているはずのミスター(これも前を歩いている方……で合ってるよね?)をして、


「え? なに? 勝っちゃっていいの?」


 と、異様に彼女優位に進み戸惑っていたところ、


 グゥウゥォオンッ。

 グゥウゥォオンッ。

 グゥウゥォオンッ。


 と今度は突然『壁』が発動、術者兼操縦者である彼女を外に残したまま、急に閉じようとしたのでバトルは中断、急遽『壁』に飛び乗ったわけなのだが、そのせいなのか、


「どうしてこれ、勝手に動いてくれないんですか?」


 とこれまでなら、まひろの意識・無意識を勝手に読んで行き先を示し運んでくれていた『壁』が、何故かいまはその動きを止め、そのため彼らはその中を、徒歩で移動することになっていたのである。果てしなく広がる、真っ白な空間を、とぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼ、とぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼ、と。延々、延々、えーんえんと、ちょっと泣き出したくなる感じで。


「ま、なんとなくの理由なら分かるけどね」うしろを歩くミスターが答えた。「ただ実際、ここが本当は何を考えてるのかは分からない」


「あ、おい」前を歩くミスターが言った。うしろを歩く自分自身に、「ネタバレ禁止だぞ」


「ネタバレにはならないだろ?」


「行った先で気付くじゃないか」


「大丈夫だって。現にいまも気付いていない――だろ? まひろくん」


「は?」と突然振られて戸惑うまひろ。「なにがですか……?」


 場所も場所なら状況も状況で、それだけでも一杯いっぱいなのに、うるさい男がふたりも、しかも同じ顔というか同じひとがふたりもいて、なにかこちらの知らない話を続けている。しかも、


「な? 全然気付けていない」


「行った先で気付くだろう?」


「それならそれで計画どおり」


「まだはやいって」


「だーいじょうぶだって。ほんとなにをそんなに心ぱ――って、あ、嫉妬かい? 実はあんまり会わせたくないとか?」


「なッ、なんでそんなことッ!」


 と、せめて自分内での意見は統一しておいて欲しいのだけど――って、ちょっと待って。


「じゃあ、行き先は分かってるんですね?」まひろが訊いた。


「まあね」と、うしろのミスターが言い、


「こころ当たりはあそこしかないんだけど」と前のミスターは続けた。が、あたりをキョロキョロ、「なんかまだまだかかりそうだね」


 と言って、突然その場にすわり込んだ。


「ちょっと休憩。疲れちゃった」とふたりにも座るよう促しながら、「ついでだから、話せる課題は話しておこうか」と、まひろに向かい微笑みながら、「『転生者たち』と『爆発』――詳しい話はまだだったよね?」


 そうして――、



(続く)

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