その16
不破友介は悪魔なので、この世界でのかたちを自由に変えることが出来た。
とは言っても、生物に限定されてはいたが。
と言うのも、もしも無生物に変身してしまったら、そこで思考が止まり、身動きも取れなくなり、詰んでしまうからである。
と言うか実際、同僚の悪魔が間違えて花崗岩に変身してしまったときは、そいつを探しに紀元前1620年代のエーゲ海まで行かされたこともあるくらいである。
であるが、まあ、自称『第一級の悪魔』である不破本人は、そんなバカなことをするはずもなく、初めて地球の動物に変身したのはヘビだったし、危険から逃れるためにはツバメやハヤブサ、ダチョウやチーターに変身することもよくあった(山岸咲子との初対面で彼は、疲れ果てた黒い馬の姿をしていた)。なのでそのため、
『ああ、いやいや、変身はしなくていいよ、不破さん』
と今回彼は咲子に止められることになる。
と言うのも現在、早合点した彼が、すでに下半身が馬の、ケンタウロス状態になっていたからである。
「しかし咲子さま」彼は応えた。足を人型に戻すかどうか迷いながら、「いくら女とは言え、人間の姿でこのふたりを運ぶのは結構大変なのですが」
こいつらふたり、太ってはいないがどちらも並みの男以上に背が高いし、私は私で、いまの身体は耐用年数が近いのか膝や腰に痛みが出やすい。その上、この公園から花盛りの家まではかなりの距離がある。馬のかたちなら運ぶのも楽なのですが、と。すると、
「白昼堂々、意識のない女の子を馬が運んで町を歩くわけにはいかないだろ」と社の奥からいつもの赤毛が現れた。「こっちにポータル作ったからさ、そこまで運ぶの手伝ってよ」
ここは、先ほどの不破の言葉からも分かるとおり、いつもの石神井公園氷川神社。前回、咲子の魔法『ドリームウォーク』で、八千代とエマの意識を別の宇宙へ飛ばしたその境内で、不破が運ぶよう言われたのは、彼女らふたりの身体である。であるが、
「え?」とここで不破。いぶかるように、「それならあなたひとりでいけるでしょう?」
いくらあなたが貧弱だからと言って、ひとりずつなら背負って行けない距離ではないのでは? と。するとこれには、
『それがさ、不破さん』と彼の代わりに咲子が答えた。『あたしたちこれから、また別々のところへ行かなきゃならないんだよ』と。そのため、『その間のことを、不破さんにいろいろお願いしたくてね』
ドリームウォーク中のふたりの身体の監視とか、目覚めた時の注意事項とか、疲れてるだろうから何か滋養の付くもの作っておいてくれだとか。すると、
「なるほど承知しました」と不破。八千代とエマを肩に乗せつつ、「が実際、大丈夫でしょうか? このふたりで」
『ま、大丈夫なんじゃないかい』咲子は答えた。ふたりの頭を軽くなでつつ、『想った以上に強い子たちだよ、特に一緒にいる時はね』
「ふむ」不破は言った。想った以上に重いなこいつらと、自身の腰を心配しながら、「それで? 咲子さまはこれからどこへ?」
『うん?』咲子は言った。『孫の尻拭いも祖母の務めでね』鼻の頭をカリコリカリコリ。『あのバカ、まあた女の子を泣かせたみたいなんだよ』
そうして――、
*
そう。そうして、深山千島にしてみれば、それは嬉しいことでもあったし、悲しいことでもあったし、また大変腹立たしいことでもあった。
嬉しいことは、ひかりの父親に相応しいのは、やはり、彼女が望んでいたとおり、ひかりの育ての親である祝部優太だとはっきりしたことであり、悲しいことは、そんな彼のことをひかりがすっかり忘れていることであり、大変腹立たしいことは、ひかりの実の父親、山岸ナントカとかいうクソ野郎が、彼女を泣かせたことであった。
そう。いま、ひかりは泣いていた。深山の腕に抱かれ、小さな小さな子どものように、あまりのかなしさに声も出せないほどに。せっかく揃えた髪はみだれ、滅多にしない化粧はながれ、服はぐちゃぐちゃ、ベッドの上のティッシュはいよいよ空になりそうだった。
と言うのも結局、山岸ナントカとかいうクズ野郎は、自身がひかりの父親だと名乗らなかったからである。しかもあのバカ、
「ひかりさん」とか、
「いいお名前ですね」とか、
「どうか、ご両親を大切に」とか、
到底人の血が流れているとは想えないセリフを吐いて面会を終わらせたのだという。
「大丈夫? ひかりちゃん?」
ロビーで固まる彼女を見たとき深山は、自身が捨てられたときのことを想い出していた。捨てられ、裏切られ、また捨てられた子どもだったときのことを。
「ごめんね。無理してでも一緒に行ってあげたほうがよかったかも」
本心からの後悔であった。彼女は、想わずひかりを抱き締めると、そのまま優太のところへ彼女を連れて行きたい衝動に駆られたが、それでも、いま彼女は彼を憶えておらず、彼は彼女のことを憶えていない。仮に再会させたとしても、不幸が積み重なるだけであろうし、それは例の赤毛との計画・約束を破ることにもなった。
「さあ立って」彼女は言った。こんなに明るいロビーでは、ひかりは泣くことさえ出来ないではないか、「帰りましょう、私たちのおうちに」
たとえそこが仮初めの我が家、平和、櫻の園であっても、たとえふたりが仮初めの姉妹であっても、彼女を抱き締め、泣きたいだけ泣かせ、慰めてやるくらいは出来る。
「ごめんね」深山千島は言った。「でも、おねえちゃんが付いてるからね」
そうして――、
*
そう。そうして灰原神人にしてみれば、目の前の男の不思議さは、結局のところ、彼とは無縁の不思議さでしかなかった。
何故なら、目の前の男の不思議さ――それは、彼の中には別に四人の人格の記憶があるだとか、地球人類では考えられないほどに強力な胃袋を持っているだとか、よくよく見ると英国俳優のマーティン・フリーマンに似てなくもないことだとか、そう言うことなのだが――は、いまの彼の目的という名の手段、手段という名の目的になんら資することがない不思議さだったからである。
彼の目的、あるいは手段。
それは、あらゆる転生者たちから生命と能力を奪い取り、自身の血肉とすることであった。
であれば、目の前の男は転生者でもなければ彼が欲する能力、彼が盗み取れる能力を持ってもおらず、利用価値はゼロ。どころか、なんだかんだと、変な道具と無駄にまわる頭と口でこちらの邪魔をしてくる。なので――ああ、そうか、そうだな。
「消せるうちに消しておいた方がいいな、こいつは」
と灰原神人は想うことになるし、実際、消そうと想えば消せる状態に彼らはあった。
男は、彼の力で真っ暗な壁に押し付けられ押さえ付けられ、奇妙な道具もよくまわる口も上手く使えない状態にあった。彼のちからは絶好調。このまま、押しつぶすなり首を折るなりすればいい。
「ああ、そうか、そうだな」
と今度は口に出してそれを理解すると彼は、自身の右手を軽くフイッと回してみせた。目の前の男、赤毛のミスターの周囲の空間位相をねじ曲げ、彼のしろい首を曲げてみようと考えたのである。
ペキ。
と小さな音が、うす暗い部屋のなかで響いた。
そうして――、
(続く)




