その10
銀のようにまばゆいその昼下がり、乱反射をくり返す初夏の日差しはまるで、聖者の行進でも待つかのように、街を人を街路樹を、逃げ出した誰かの仔犬を照らし出していた。
がしかし、これまでの歴史が示すとおり、望まれた約束はその切なさと同様に彼らを裏切り、裏切り続け、聖者たちのパレードが街に到達することもなければ彼らの信じる救い主がその道の先で復活することもなかった。
ひかりは、ただただまぶしく美しく、世界は、彼らを見捨ててふり向かず、ただただ優しく朽ちていくばかりであった。
天台烏山が用意、指定した客室に部屋はふたつとバスルームがひとつ。ひろいガラス戸の向こうには小さなベランダが付いていた。
ベランダからはとおく眼下に街の様子が見下ろされるはずだったが、ブラインドは下ろされ、初夏の日射しはさえぎられていた。
「ふむ」
と山岸富士夫は、ひとり小さなため息を吐くと、腕の時計と壁の装飾を見、足を組み替えすわる位置をすこし変えた。彼が座っているのは壁に備え付けられた灰色のソファだったが、約束の時間はいくらか過ぎていた。
「お相手の方はまた別の者がお連れします」
と金平瑞人――彼をここまで案内した男――は言ったが、それからおおよそ一時間、『お相手の方』はもちろん金平本人が戻って来る様子もなかった。
スマートフォンを取り出し彼に電話を入れようかとも考えたがそれは止めた。改めて室内を見まわした。
天台所有のホテルにしては驚くほどに趣味がよかった。
西洋と東洋の意識が嫌味なく溶け合った室内装飾。金はかけられているが地に足の付いた、ぱっと見のぜいたくさを慎重に排除した壁や床。その壁にかけられた一枚の――あの花はいったいなんの花だっただろう?――一枚の絵画。
「ふむ」
と山岸富士夫は、すこし腰を上げると改めてソファにすわり直した。結局、本日会う相手の名前や素性は知らされないままだった。ただ、女性であるのは確かなようだが、嫌な予感が少しして、と同時に、奇妙な期待と興奮をおぼえている自分を否定することも出来なかった。腕の時計を確認した。
「ふむ」
とつぶやき目をつむり、山岸富士夫は、背筋を伸ばして呼吸を整えた。どうやら先ずは、時が来るのを待とうと覚悟を決めたようだった。
そうして――、
*
そう。そうして彼女はうつくしく、めずらしく静かに押し黙っていた。壁に備え付けられたバラ色のソファにすわり、まるで出番を待つ花嫁か、間違って咲いた一輪の白バラのように。
金平瑞人は、反対側の壁に立ち、そんな彼女を違和感を持って見ていたが、
「ふむ」
と声に出さずにつぶやくと、手もとのスマートフォンで時間を確認した。面会開始のメッセージはまだ届いていなかった。予定が遅れているのだろうか、ベッド脇のスツールをこちらに寄せそれに座ろうかとも想ったが、
「ねえ」
とつぶやく彼女の声に――それはまるで幼い少女のようだった――それをやめると姿勢をもどした。
「なんですか?」と言って応えた。
「まだなの?」彼女が訊いた。「まだ殺しにいかないの?」
ふたたび彼は、そんな彼女に違和感を感じたが、
「ええ、まあ」と再度スマホを確認し、「まだのようですね」と答えて続けた。ついでに、「念のためですが」と恐々しつつも、「殺すかどうかの判断は面会の結果次第だそうですよ」
そう付け加えた。
ぎゅっ。
と彼女の手の握る音が聞こえた気がした。
「相手は?」ふたたび彼女が訊いた。「ふたりの関係は?」
「さあ?」金平は答えた。「聞かされてません」
「面会の目的は?」彼女が訊いた。
「さあ?」金平は答えた。いつもどおりの、おっとりとした声になるよう注意して、「それも、聞かされてません」
ふう。
と彼女が短く息を吐き、しばしの沈黙が流れた。
「会えるのよね?」改めて彼女は訊いた。
「ええ、それはまあ」金平は答えた。「会えないと殺せませんから」
ふーう。
と彼女は、今度は少し長めに、息をはいた。
「さて」声には出さずに思案した。「どうしようかしら?」
そうして――、
*
「さて」とそうして、ここにもひとり、声に出さずに悩んでいるものがいた。「どうしたものかな?」
そこは陰気で、風通しが悪く、窓自体あるのかないのか分からないような部屋だったが、念のため雨戸は下ろしておいた。隣の部屋にはどちらも住人はいなかったが、こちらも念のため、いつものソニック技術で音が漏れないようにしておいた。彼はつぶやいた。
「さて」とふたたび。手もとのレンチを確認しながら、「どうしたものかな?」といらだたし気に。
彼の前には男がひとり、頑丈なパイプ椅子に手足を縛られ括り付けにされていた。目かくしをされ、口もふさがれ、意識はまだ戻っていなかったが、その横顔は復活を望まれる救世主に似ていなくもなかった。
雨戸が下ろされた部屋の中は暑く、呼吸は苦しく、彼は、手もとのレンチと男の横顔を交互に比べた。レンチの数値を彼は信じたくなかった。
「くっそ」声には出さずにつぶやいた。
それは、男が隠し持っている重力歪みの種類・パターンを示しており、それはつまりは、男が持っている能力の数であり、それはつまりは、男が能力を盗んだ相手、彼が殺した転生者たちの数でもあった。彼、ミスターはくり返した。
「くっそ」と今度は小さく声に出して、「くそったれ」と。
予想していたこととは言え、実際数値で見せられると、それがあまりにも残酷な行為であることが肌で分かった。ヤスコと離れたのは失敗だったかも知れない。怒りを止められそうにない自分がいた。他の時間のミスターや修道士たちからは、彼が直接手を下すことは止められていたし、それをしてしまえば、すべてのプランが崩れて行くことも分かっていたが、それでも。
「くっそ」と舌をひとつ打った。目の前の男の首にレンチを当てた。
バヂッ、
バヂヂヂヂ、
バヂッ。
そうして――、
*
そう。そうして、街は炎に包まれ、空はひかりで満たされていた。西の果てから東の果てまで。いや、それらの果ての、その更なる先まで。光の海は続いていた。『壁』を入り口として。宇宙の、時空の、確率の、その涯から涯まで。それは、世界が終わるときの、終わり始めたときの夢であった。
そう。石橋伊礼は夢を見ていた。何度目となるか分からないが、世界が終わるときの夢を。
しかし、それはこれまでとはすこし異なる夢でもあった。
「どうして?」伊礼はつぶやいた。宙を見上げて、「どうしてふたつに?」
何故なら終わりの中心、宙に浮かぶひとの影が、これまでのひとりとは違い、離れたふた――あ、いや、
「あ、いや……三……四人?」
とその数を増やしていたからであるし、
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
と街を襲い、街を覆う炎、爆発は数も勢いも以前よりずっと多く激しくなっていたからでもあった。そうして、
ハッ。
とここで突然場面は変わり、とうとう彼は見てしまった。
「僕か……?」
と、そう。それはいつかの佐倉八千代が視た夢と同じ光景だった。
そこは彼の事務所で、窓の外では世界が終わりを迎えようとしていた。
夢の中の彼は、南側の壁にもたれ、くずおれ、大量の血を流していた。
彼の身体は色あせ閉じられ、ある種の美しさをも示していたが、しかし彼はそれに触れることが出来なかった。何故なら、
「これは……?」と伊礼はくり返したが、「本当に僕なのか……?」
夢のなかの彼はすでに、この世界のものではなくなっていたからである。
(続く)




