その8
承前。
「ひょっとして、先生の預言や未来も変わって来ていないですか?」
石橋伊礼の持つ特殊能力は『預言』であり『予言』ではない――とは、これまでにも何度か書いて来たとおりであるし、『預言』と『予言』のちがいについても、これまで何度か書いて来たとおりではあるものの、ここで改めてくり返させて頂くと、『預言』は神から、あるいは我々が知らないなにか奇妙な存在から『預けられる言葉』であり、『予言』はなにかしらの能力や方法を持つものがそれらを使って『予め語る言葉』のことである。
なので当然、『預言』の中には、未来の予測や実際起こること、また、このまま行けば起こりかねない、避けるべき現実が含まれることも多くあり、それが『預言』と『予言』の線引きを曖昧にしてもいるわけだが、実際、このときの優太や伊礼もこれらを混乱させたまま話をしており、特に優太は『預言=予言』だとある意味素直に捉えていたし、彼が今回連れて来た歴史的平和主義者の牧師も、そこには敢えて触れないようにしていた。なぜなら、今回の彼の任務・目的は、石橋伊礼にまた再び『預言』モードにはいって貰うことだったからである。
「不確定な未来の要素が増えているのではないでしょうか?」
と、優太が続けて伊礼は、彼に伝えていないいくつかの要素――複数いるミスターや佐倉八千代の存在など――を想い出すとしばし黙考、ゆっくり首をたてに振り――そうですね。
「そう……ですね。いちど改めて見なおしてもいいのかも知れません」
そうして――、
*
そうしてそれから、リビングを見て寝室を見て玄関先に彼女の靴がないことに気付いてペトロ・コスタは、甥っ子のドアを叩いた。コンコン、コンコン、コンコンコン。
「なあアーサー」扉を開けて、「おばさんどこ行ったか知らないか?」
アーサー・ウォーカーは机の前でドリルに向かい鉛筆をにぎっていた。珍しく。彼は答えた。
「知らないよー」目の前に置かれた『分数の割り算』なるものと格闘しながら、「お友だちのとこじゃない?」
半分にしたリンゴがどうしてふたつに増えるのだろう?
「友だち?」ペトロが訊き返した。「アメリアさんのところか?」
「知らないよー」続けてアーサーは答えた。この『ひっくり返す』とはいったい何をひっくり返すのだろう。「ただ、『お友だちのところに行く』って言ってただけー」
アーサーには分からなかったし、ペトロは何ひとつとして知らなかった。ただ不思議な、青い空白のようなものが目の前を横切って行った。なぜかマリサの、ウェディングドレス姿を想い出していた。
*
『秘めたる結びに、誓いのことばはなく、
秘めたる結びは、壊されることもない。
秘めたる結びに、誓いのことばはなく、
秘めたる結びは、壊されることもない。』
とおくの何処かで、
おさない少女が歌っていた。
彼女は歌う。
眠りの中で目覚め、
その目覚めを受け入れるべきだと。
姉の結婚を祝して。
彼女は歌う。
おそれから離され、
その運命をこそ感じ取るべきだと。
姉の幸福を祈って。
彼女は歌う。
行くべき所を知り、
そこへこそ向かうべきなのだと。
姉への嫉妬を隠して。
こんな風に。
『祭壇装花も、
マリアヴェールも、
誓願聖書も、
かわりのドレスも、
そこに並べ、
られることはない。』
そう。
それはまるで、五月の白バラを想わせるような彼女の姿だった。夢の断片。永久に凍りついた光の欠けら。いや、もっと端的に、初めての聖体拝領に向かう少女、と言ってもよかったかも知れない。
がしかし、そんな彼女をながめる金平瑞人にしてみれば――彼は花の美しさはおろか、美しい花が存在することすらよく分かっていなかった――そんな彼女の姿はただただ、
「そんなんで大丈夫ですか?」といぶかしく、不安に想わせるだけのものであった。「奥さ――オフェリア? さん?」
ここは、都内某所にあるタワーホテルの一室。先ほどひかりが、実の父・山岸富士夫に会うためロビーで待っていた、あのホテルの別の場所であり、それはつまりは、彼女、オフェリア・モンタルトをここに呼び寄せたのが天台烏山で、彼の目的は、彼女に山岸富士夫を消させることにある――ということでもあった。金平瑞人は訊いた。ふたたび。
「うん」とひとつ咳ばらいをしてから、「それ、大丈夫ですか?」
何故なら彼には、最初の問いが彼女に届いていないように想えたからだし、婚礼衣装のような今日の彼女のドレスでは、人を殺すにはとても動きにくく、また返り血も目立つだろうと考えたからであった。彼女は答えた。
「うるさいね」彼をしずかににらみつけ、「分かってるし、聞こえてるし、仕事はやるよ」
ただし、このドレスには染みひとつ、汚れのひと欠けらでも付けてはやらないとの強い決意とともに、
「あの人――相手の男はまだなの?」
そうして――、
*
そう。
そうして、どうしてそのアパートが選ばれたのかは分からないが、その部屋は陰気で、風通しが悪く、窓からの眺めを楽しもうにも、窓自体あるのかないのか分からないような、そんな部屋だった。家具もなく、そもそも人が住んでいるような気配すらなく、隣の部屋はどちらも同じようにシンと静まり返っていた。
「どういうことでしょうか?」男が訊いた。
彼の手足はながく、猫背で、トレードマークのハンチング帽は被っていなかったが、どこからどう見ても、特にその救世主のような横顔は、亡くなった藤間和雄のようには見えなかった。ふたたび男は訊いた。
「住所はここで合ってるんですよね?」後ろに立つ赤毛の男に、「『リスト』が間違っていたんでしょうか?」
「そうだね」赤毛の男は答えた。いつものレンチを取り出して、「住所はでたらめだし、さっき話した鈴木さんって人も存在しないよ」
「え?」と男は驚きふり向いて、
ビジッ!
ビジジジジッ、
バヂッ!
と、強烈なソニックが男の脳と身体をおそった。ひざから崩れてその場に倒れた。
「ヤスコちゃんが一緒だとどうしても手加減しちゃうからね」赤毛の男は応えた。「ふたりっきりになれたのは正解だったよ」
「お……まえ……」消えて行く意識の中で男、灰原神人は訊いた。「ど……こ……で……」
「最初だよ」赤毛のミスターは答えた。「最初に会った藤間さんの部屋。あの空間歪みは君のせいだろ?」
「くっ……そっ……」
「よっぽど強力な能力なんだろうけど、分からないことばかりだ」ミスターは続けた。男の意識が消えて行くのを確かめながら、「ここでじっくり、調べさせてもらうよ」
(続く)




