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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第十七話「絵葉書のゴールデンレトリバーのように。」
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その16


 彼はひざまずいていた。


 ひざまずき倒れた青年を見おろしていた。息はまだあるようだった。が、きっともう間に合わないだろう。


 カーペットはすっかり焼け焦げていた。


 その下にはっきりとした人型の影が見えた。倒れた青年のかたちをしていた。ソファは溶け、テーブルは傾き、リビングの壁を妻が見たら泣き出すだろうな、そんな風に想った。


 彼はひざまずいていた。


 ひざまずいたまま立ち上がろうとはしなかった。なんだかすっかり疲れ切ってしまったからだし、彼を見上げる青年を、ひとり残してはいけないとも想ったからだった。似たようなことが前にもあったな、そんな風に想った。


 あいつは、あのとき『剪定』したあいつは、あの後どうしてやったんだっけ?


 なんだか記憶が曖昧になっていた。


 きっと残して来たんだな、あの山の奥に、ひとり、さみしく。



 『正しく懸命に生きて来た。

  毎日毎日マジメに働いて。

  しかし瞳は盲目に、

  その血はすっかり凍り付き、

  時には耐えられなくなることも。

  ただただ爆発しそうになることも。』



 あいつがうたった歌の続きをつぶやいてみた。


 彼の手を握ってやろうとしてみたが、それはもう、触れられる熱さではなかった。彼の服は燃え出し、自分の手も焼け焦げだらけだった。



 『爆発と破壊。

  ナイフを手に取り、

  この痛みを取り出したい。

  何かを始めるためには仲間が必要だ。

  爆発と破壊。』



「すまんな、戸柱くん」彼は言った。「だが、せめてそばにはいてやるよ」ひとりで死ぬのは、寂しいだろう。


「***、*」彼は答えた。しかしそれは、声にならない声だった。「***、**、*」


 いや、いまの彼に意識があるかも不明だった。きっと、なにかの風か、炎の燃える音でも聞き間違えたのだろう。爆発は、もう止められなくなっていた。



 『大通りでは犬が吠えてる。

  奴らもきっと分かってる。

  両手にいつか本物を、

  一瞬でもいい本物を、

  掴んでみたい心ってやつを。』



 この時の彼の気持ちをはっきり言葉にすることは難しい。贖罪、懺悔、憐れみ、侠気、あの日の後悔、どれもこれもがウソくさいし、どれもこれもがバカバカしかった。どうしてこのとき彼が、外にいる妻や娘のもとに、この最後の時になっても、戻ろうとしなかったのかは分からないが、それはきっと、滅びる街をひと目見ようとふり返ったロトの妻に似た気持ちだったのかも知れない。塩の柱になった、あの女性と。



 『なあミスター。

  俺はもうガキじゃない。

  一人前の男なんだ。

  一人前の男として、

  約束の地を信じてるんだ。』



「約束の地?」彼はわらった。微笑ではなく、声をあげて、「約束の地?」


「***、*」突然、恵祐がつぶやいた。いや、きっとなにかの風か、炎の燃える音だろう。「***、**、*」


「どうした?」それでも優太は訊き返した。朦朧とする意識のせいか、それともあまりに世界を不憫に想ったのかは知らないが、それでも、「なにか、言いたいことでも?」


 爆発が始まった。この町もいよいよ終わりだろう。


「“祝部さん?”」恵祐――いや、誰かが彼にささやいた。ずうっと遠くを向いたまま、「“娘さんをお大事に”」


 ジリリリリッ。


 突然、リビングの電話が鳴った。安堂夏彦に壊され鳴るはずのない電話が。


 当然、彼はそちらをふり返った。鳴ったことに驚いたからではない。それが、あまりにもあの日の山で聞いたものとそっくり、いやまったく同じだったからである。そうして、


「お父さん!」と彼は、彼を呼ぶ声に気付いた。「立って! 下がって!」


「ひかり?」そうして彼はつぶやいた。「どうしてここへ?」


 そうして――?


     *


「ねー、ねー、おとうさん」


「どうした? ひかり」


「おはなしして」


「お話? どんな?」


「ひかりがうまれたときのおはなし」


「…………」


「おとうさん?」


「あ、ああ、ごめん。どうした? どうしてそんなお話を聞きたいんだい?」


「ようちえんでね、ゆうちゃんがね、おはなししてたの。おとうさんにおしえてもらったって」


「そうか……」


「だからね、ひかりにもね、おはなししてちょうだい」


「あ、ああ、そうか……よし。おいで、だっこしてやる」


「えー」


「ほらほら、おひめさま」


「もー、しかたないわねえ……はい、どうぞ」


「はいはい。これでお話しやすくなった」


「うん。じゃあ、おはなしして」


「あー、なんだけどな、ひかり。わるいんだけど、じつはな、お父さんな、お前が生まれた日のことをよく知らないんだ」


「えー」


「ごめん、ごめん」


「もー、どうせまたおしごとだったんでしょ?」


「うーん? まあ、そんなところだが……でもな、でもな、ひかり。お前にはじめて会った夜、その夜のことならよく覚えてるぞ、うん。すっごくよく覚えてる」


「えー、うまれたときのほうがいい!」


「だからそれは……でもでも、その日のこと、お前にはじめて会った日のことなら、いっぱいお話してやれるぞ、それでどうだ?」


「もう、しかたのないおとうさんだわねえ。それじゃあ、ゆるしてあげますよ」


「うん。ごめんな、ほんと……。うん。それじゃあ、お前とはじめて会った日のこと、その夜のことだけどな」


「うんうん」


「そう。それは、その日はものすごいどしゃ降りの夜だったんだよ、ちょうど、今夜みたいなね」


「ゆうちゃんの日ははれてたって!」


「ああ、ゆうちゃんの日はそうかも知れないな」


「ねー」


「そう。それでお父さんは、急に呼ばれたんだよ、病院に」


「びょういん?」


「そう。病院。だけれど丁度カサがなくてね、ずぶ濡れになってお父さんは病院に向かったんだよ」


「おかあさんは?」


「お母さん? お母さんはね、そこにはいなかったかな、まだね」


「ゆうちゃんちはね、おじいちゃんもおばあちゃんもどっちもきてたんだって!」


「はは、それはにぎやかだったろうなあ」


「ねー」


「でも、でもな、ひかり。お前のところにもたくさん人が来てたぞ。看護師さんにお医者さんに、お前のことを心配してくれているひとが、たくさん」


「おとうさんもね!」


「そうだな、俺もたくさん心配したな」


「へへー」


「だけどな、お前は、そんなひとたちの中でもお前は、ひとりスヤスヤと眠ってたんだ。まるで何かのひかりみたいに」


「ひかりのおなまえだ!」


「そうだな。だからお前の名前を聞いたとき、びっくりしたよ、まったくそのとおりの子だなって」


「でしょー」


「そうそう、それで……、それで、しばらくお前の横で色んな人から話を聞いてたら、突然お前が目を覚ましてな」


「かわいかった?」


「そりゃあ、かわいかったさ、ぜんぜん泣いたりもせずに……、俺のほうを……、俺のほうを……」


「おとうさん……?」


「ごめん、ごめん、お、おまえが、俺の……、俺のほうをむ……向いて……」


「どうしたの? どこかいたいの? おとうさん?」


「ご、ごめ……ごめ……、お、おまえが、お、俺、おれの、おれ、の……」


「どうしたの? おとうさん? だいじょうぶ? どうしてないてるの? なにかあったの? ねえ? だいじょうぶ? ほらほら、いったいのいったいのとんでけー…………って、ねえ、ほら、おとうさん? ねえ、ほら、もう、ないちゃだめでしょ? ねえ、なかないでよお、ひかりがいっしょにいてあげるからさあ、ねえ、ほら、だからあ……、なかないでよ……、なかないでよ……、ねえ……、なかないでよ、おとうさん……」


 そう。


 そうして、しつこいようだがくり返すと、これは、いま話しているこの物語は、祝部優太が、彼の娘を手放し忘れた、忘れようとした、その、顛末である。



(続く)

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