その13
さて。
前回更新分で私は、核分裂反応とそこから引き起こされる核化学的チェーン・リアクションを説明するに当たって、それを引き起こす核分裂性物質の例としてウラン235を使用したワケだが、これはもちろん、こちらの物質が、プルトニウム239と並んで、現在の地球で最もポピュラーな核分裂性物質のひとつであると同時に、あのガンバレル型原子爆弾、人類史上初めて実戦使用され、人類がどれほど未発達で愚かなサルの末裔かを自ら証明して見せた、あのクソったれ兵器、いわゆる『広島型爆弾 (リトルボーイ)』に使用されていた物質だからである。
そう。
あの悪魔の兵器がもたらした被害の甚大さについては、賢明かつ懸命なる読者諸姉諸兄におかれましては先刻ご承知であるでしょうから、あのとき使用されたウラン235の量をお伝えしさえすれば、例えば仮に、戸柱恵祐の身体すべてがウラン235相当の核分裂性物質に変換されたとして、それがどれほどの被害を周囲に与え得るか、そのイメージが想像しやすいだろう、そう考えたからである。
そう。
つまり、例のクソッたれリトルボーイに積載されていたウラン235の量は140ポンド(約63.5kg)。日本の平均的成人男性よりもいくらか軽く、戸柱恵祐と同程度か若干重い程度であり、しかも、このうち実際に核分裂反応を引き起こしたウラン235の量はこの約1.38%、約1.93ポンド(約0.88kg)、1kgにも満たない量なのである。
そう。
そうしてこれが何を意味しているのかと言うと、いま、核化学的連鎖反応を引き起こし始めた戸柱恵祐、彼のその左右の手のひら(左右各々0.7~0.8kg程度)、そのどちらか一方さえあれば、あの夏の日の8月6日、あの美しい町を奪ったのと同じだけの熱と被害を、ここ、石神井台の町にもたらすことが出来る――ということである。
*
「おいおいおいおい、ウソだろ?」と赤毛のエイリアンはあせっていた。いつものレンチをビビビッとしながら、「本当にこの辺一帯を吹き飛ばすつもりか?」
現在、この時間帯にいる彼は三人。氷川神社の境内で佐倉八千代を待っている彼と、森林公園で山岸まひろの特訓を続けている彼、それにこの、樫山ヤスコと別れ、急激に熱をため込んでいる対象――祝部家にいる戸柱恵祐――を探し走っている彼である。
他のふたりがこの状況に気付いているかどうかは不明だし、こちらの彼も、彼らがこの時間帯にいるかどうか、いたかどうかの記憶も曖昧。仮にいたと確信出来ても、彼らを呼び出している時間はないし、呼び出せたところで、結局同じ彼だから、『三人寄れば』的文殊の知恵もあまり期待出来ない。と言うか、持ってる秘密道具も皆いっしょで、しかも、こういう切羽詰まったシーンでの彼のお約束として、
「あーでもない、こーでもない」と四次元ポーチを探っては、
「なんで、こんなときに、丁度いい、秘密道具が、出て来ないんだよ!」とそこら中に秘密道具を投げては捨てて、投げては捨ててをくり返していると、
「やっぱり日頃の整理整頓が大……あっ! …………ちがった。これは『飲むだけで全ての肉体的・精神的苦痛を感じなくなるドリンク』だった」
とテンパった挙句――そのドリンクは大丈夫なやつなの?――、結局これと言った一発大逆転的道具や秘策なんかを出したりはしてくれないので、一人が三人だろうが、三人が十人だろうがあんまり関係ないし、正直書き分けるのも大変なのであった。が、しかし、
「し、しかし、それでも」そうミスターも言うとおり、「僕が気付いたってことは、きっと何かしらの行く意味があるってことだろ」
とたとえ単身でも、たとえ爆発に巻き込まれるのが分かっていても、いるべき時に、いるべき場所に向かうのが、彼の役割でもあった。
「くっそ」と彼は言った。レンチの目盛りを確認しながら、「だからって、どうにかなるのか? これ」
*
「すみ……ま、せん。あ、たし、ミスっ……ちゃいま、したね……」とこれと同じころ、深山千島は謝っていた。朦朧とした意識の中で、「やっぱ、り……、戸、柱くん、を……さ、きに……」
「大丈夫だ、しゃべるな」祝部優太は応えた。抱えていた彼女を道の端に下ろしながら、「あの状況なら仕方ないさ、助かったよ」
彼の首と手首のピアノ線はもう外されていた。彼女が安堂夏彦の能力を無効化してくれたおかげである。彼は叫んだ。
「刑事さん!」と家の中をうかがう左武文雄に向かって、「こいつを頼む!」
家の前には、彼らの他にはふたりだけ。妻の守希と娘のひかり。恵祐を銃撃した相手――彼女を彼は見ていない――は当然おらず、一緒に外に出たはずの安堂もいつの間にやら消えていた。
「部……長?」と深山は訊いたが、優太は答えなかった。
「祝部さん?」左武も訊いたが、これにも優太は答えなかった。
「あなた?」「お父さん?」と守希とひかりが続けて訊いたが、これにも彼は答えなかった。
くり返しになるが、家の前に、この通りに出ているのは彼らだけ。ただ一台、郵便局のバイクが素知らぬ顔で通り過ぎ、向こうの通りでは犬が一匹吠えてはいたが、それでもこの通りの、この町のひと達は、いま自分たちに迫っている危機にまったく気付いていなかった。
「あなた?」と守希がくり返した。
「お父さん?」とひかりも繰り返した。
優太は、これにも黙って答えなかった。が代わりに、少しはにかみ笑顔を見せると、先ずは守希の肩を抱き、それからひかりの頭をなでた。こいつのぬいぐるみを忘れて来たな。そう想った。
『うん』彼は言った。『刑事さん』左武にだけ聞こえる声で、『彼女たちも頼む』と、『俺が中に入ったら、出来るだけはやく、とおくへ逃げてくれ』と。
いまの深山は使えない。守希に力はないし、左武の能力は心を読むだけ。ひかりの力は不安定且つ未知数で……って、いやいや、そういう話じゃなかったな。いつか殺した、青年の声が聞こえた。
『大通りでは犬が吠えてる。
奴らもきっと分かってる。
両手にいつか本物を、
一瞬でもいい本物を、
掴んでみたい心ってやつを。』
「うん」続けて彼は言った。今度は声に出しながら、家族に、「ちょっと」と、いつも家を出る時みたいにちょっと、「ちょっとこれから」そう、ひかりと守希から離れながら、「ちょっとこれから、彼を止めて来るよ」
くり返しになるが、これは、今回語っている物語は、祝部優太が彼の娘を手放し忘れた、その、顛末である。
(続く)




