その12
さて。
例えばここに、一個の原子核があるとする。
とそこに、一個の中性子が飛んで来たとする。
すると、その中性子が原子核に当たり、その原子核がこの中性子を吸収したとする。
するとこのとき、もしこの原子核が分裂しやすい性質のものであれば、この吸収・衝突の影響で、この原子核は分裂することになるのだが、これが所謂『核分裂反応』の「誘導核分裂」と呼ばれる現象である。
で。
この『核分裂反応』を引き起こした原子核はその後、主に、「中性子」と「熱エネルギー(崩壊熱)」と「核分裂生成物」に分裂・生成することになる。
そう。
それは例えば、我々地球のメジャーな核分裂性物質・ウラン235を参考に一例を示すと――、
①:先ず、1個のウラン235がn個の中性子を吸収する。
②:すると、ウラン235の原子核は不安定となり、大量のエネルギーを放出する。
③:そうしてその後、このウラン235は崩壊。代わりに1個のイットリウム95と、1個のヨウ素139、それに2n個の中性子が生成される。
みたいな反応のことである。
で、ここの②で挙げた『大量のエネルギー』は、かの有名な質量とエネルギーに関する方程式(E=mc2)が示すように、その反応前と反応後の質量差から求められることになるわけだが、そこは話し出すと長くなるので今回は割愛することとして、ここで注意して頂きたいのは、その『大量のエネルギー』が放出されるという点と、反応の前後で、中性子の数がn個から2n個へと倍増している点である。
そう。
もしも、倍増したそれぞれの中性子の先にも、同じようなウラン235が用意されていたとしたら?
そう。
それはもちろん、そこでも新たな核分裂反応は発生し、都度新たな、『大量のエネルギー』それに、都度新たな、『2n個の中性子』が生成・放出、またその先にも新たなウラン235があれば……
と、核分裂反応は起き続けるわけなのだが、これが要は、核化学における『連鎖反応 (チェーン・リアクション)』と呼ばれる現象であり、我々もよく知る原子力発電や原子爆弾という代物も、この連鎖反応を応用したものである――と、ここまではよろしいだろうか?
よろしければ、ここで話は本編へと、一発の銃弾を引き金として、これらと同等かそれ以上の連鎖反応を始めた戸柱恵祐へと戻ることになる。
そう。
前にも書いた通り、彼・戸柱恵祐の能力は徐々に進化を遂げており、いま現在の彼は、分子摩擦熱を利用した他者の人体発火どころか、彼自身の細胞・原子の一部を、前述のウラン235にもよく似た核分裂性物質に変換するまでになっていたのである。もちろん、彼本人も気付かない間に、彼本人も気付かない所で。
*
あはっ。
と彼を銃撃した人物――天台烏山の秘書・友枝久香――はわらっていた。ふたたび。少女のように。楽しくて仕方がないとでも言いたげな様子で。
そう。
それは最初、彼、戸柱恵祐の右手中指の先から始まっていた。それは光っていた。少なくとも、光っているように見えた。いや、ひょっとすると、周囲の空間が歪んで、そこだけ光の密度が変わっただけなのかも知れないが、それでも、取り敢えず、右手中指の先から始まったそれは、徐々に、ゆっくりと、しかし着実に、彼の中で広がっているのは分かった。何故ならそれは、前述のように、光っているように見えていたからだし、そこから放出されようとする熱、エネルギーが、彼の身体や、周囲を赤くして行くのが見えたからである。
え?
驚いたのは恵祐本人であった。
突然命を狙われ、その銃弾が目の前で止まり、融け出し、そのことに自身の脳が気付くよりもはやく、自身の身体が反応を、新しい能力を発動させるための反応を、始めていたからである。
右手が、熱を持っていた。
今まで感じたものよりも何倍も、何十倍も、いや、十の十乗倍は熱く、強く、そうして、指数関数的な迷いのなさと素早さで、腕全体へと広がって行こうとしているのが分かった。もちろんこれも、脳が理解するよりも早く、彼の身体が理解していたのだが。
しまった!
後悔したのは深山であった。
彼女は、優太や守希たちを優先し、恵祐ではなく、安堂夏彦にその無効化能力を使っていたからである。彼女は見上げた、安堂夏彦の顔を。恵祐の方を見て茫然としている彼の顔を。彼女は顔を振り、先ずは優太を、それから守希とひかりを見た。安堂の能力が消えたおかげだろうか、優太は首のピアノ線を、守希とひかりは手足の縛りを解かれていた。彼女は叫んだ。「部長!」と。「皆さんを連れて外へ!」
マズい!
と反応が遅れたのは優太であった。
彼は、銃弾の音と恵祐の連鎖反応の開始で判断が鈍っていたとは言え、深山の叫びに、そのまま従い、ひかりと守希の方へ身体を向けてしまったからである。が、そこで彼は気付いた。先に止めるべきは深山ではないか? 彼は振り返り、叫んだ。「深山!」と。「ダメだ! 止めておけ!」
が、しかし、案の定それは遅かった。
彼女はすでに、恵祐のもとへと飛び出し、コントロールを失った彼の身体に、その新しくひかり始めた左手に、行く手を阻まれると同時に、そのまま、その強力な熱とともに、後ろへと弾き飛ばされていたからである。ドンッと数m。服の上から、右胸上部を灼かれながら。
深山さん!
次に叫んだのはひかりであった。
彼女は、解かれたばかりの手足で立ち上がると、そのまま倒れた深山のもとへと駆け寄っていた。いつの間に? それは彼女にも分からない。がしかし、左武や安堂、優太の間を縫って行かなければいけない場所に深山が倒れていたのは確かである。が、それでも。
お父さん!
続けて彼女は叫んだ。深山を抱き起こし、服と皮膚の灼けるにおいに顔をしかめそうになったが、どうやら深山は、呼吸も意識もあるようである。
深山さんを! 運んで!
更に彼女は叫んだ。改めて周囲を見渡した。
リビング中央には未だ身体の暴走に脳が追い付いていない戸柱恵祐が、その向こうには彼の暴走に戸惑っている左武と安堂が、その更に向こうには――あれはきっと、まだこの人を心配している顔ね――母親の守希が、自分はどう動くべきかで立ち止まっていた。例の、恵祐を撃った何者かは、何故かどこにも見当たらなかった。
「大丈夫か?」娘のもとに着くなり優太は訊いた。
「私はいいから、深山さんを」娘は応えた。「あの人、いったいどうしたの?」
「分からんよ」優太は答えた。深山を横抱きに抱え上げながら、「なにかは分からんが、火か炎か、熱に関係するなにかの暴走だ」
リビングのカーペットが、恵祐を中心に、黒く焦げ始めているのが分かった。
「お母さん!」ひかりは叫んだ。ずっと抱いているクマのぬいぐるみが、とおく床に落ちているのが見えた。が、拾っている時間はないだろう。「動いて! 逃げるわよ!」
(続く)




