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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第十七話「絵葉書のゴールデンレトリバーのように。」
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その7


 さて。


 物語を書く上で一番こころを悩まし難しいと感じることのひとつ。それは、それがある種複雑で繊細な織物によく似ているという点である。


 物語、それは、我々の人生や人類の歴史がそうであるように、飴のように伸びた一本の線でもなければ、単純な因果律に支配される空間でもなく、ただただ光が闇に勝ち、夜明けを迎えた世界が新たな一歩を踏み出すような舞台、でもない。


 そう。


 それは、物語は、ありとあらゆる糸が、他のすべての糸となんらかの意味を持って、あるいは意味など持たずに、強く、あるいは弱く、頻繁に、あるいはそれぞれの節度の中で、継ぎ目なく結び付いた一枚の織物によく似ているのである。


 そう。


 そのため物語は、少しでも扱いを間違えると、すぐに破れ、その破れを起点として、すべてが崩壊してしまう危険性を常に孕んでいる。


 そう。


 そのため我々物書き――と言うよりは記録係は、その破れ、崩壊を招かぬよう、こころを悩まし、薄氷を踏む思いで、自身の仕事に当たるのである。


 なぜなら物語を、それが存在する世界を、けっして壊してしまわないように。


 そうして――?


     *


 そう。


 そうして戸柱恵祐は夢を見ていた。深く。どこか真っ暗な場所に浮かんで。その暗闇が光で埋め尽くされていることを不思議に想いながら。


 そう。


 それは何千、何億、何兆もの糸が、光を放ちながら、あるいは吸収しながら、並行し、平行し、互いにすれ違い、あるいはぶつかり合いながら、近付き、離れ、溶け合い、交差し、あるいは分離し、なにか一枚の、とてつもなく大きな布を織ろうとしているかのように見えた。


 そう。


 戸柱恵祐は夢を見ていた。深く。その夢の中で。どこか真っ暗な場所に浮かんだまま。


 そう。


 それはいつか見た、あるいは経験した、あの処刑の、あの一人の魔女が火にかけられた、あの夜の夢であった。魔女は叫んでいた。恵祐にだけ聞こえる声で、


『これはお前の運命にもなるぞ。

 せいぜい焼かれて苦しむがいい。』


 魔女は灼かれていた。永遠に。あの時間の中で。あの時間に囚われたまま。永久に。


 恵祐の身体は熱を発していた。


 彼は、彼女に触れたい、救い出してやりたい、そう考えていた。


 手を伸ばし、彼女の鎖を解き、火刑台から下ろしてやりたい、そう考えていた。


 そのためならば、自分が身代わりになってもよい、とすら彼は考えていた。


 何故なら、彼女に火をかけたのは自分なのだから、と――魔女がくり返した。


『これはお前の運命にもなるぞ。

 せいぜい焼かれて苦しむがいい。』


 恵祐はハッとすると、彼女の足もとに進み出て、膝を突き、彼女に許しを乞うた。燃え盛る炎の中で。彼の身体はひき続き熱を発していた。しかし、彼女は応えないどころか、彼の存在にすら気付いていない様子だった。


 恵祐は立ち上がると、彼女の鎖を解き、抱きしめ、歩かせ、火刑台から下ろそうとした。


 が、しかし、そこは先ほど見た、彼が浮かんでいた、あのどこか真っ黒な空間であった。それが、永遠に続いていた。永遠の暗闇が。光にあふれた漆黒が。火刑台から降りるには、その永遠の先の先まで行かなければならなかった――魔女がささやいた。


『だから言っただろう?』


 この言葉に恵祐は、不意に後ろを振り返ると、そこに見えたのは、先ほどまでのあの織物、光で綾なされたあの織物、ではなかった。いや、同じ織物ではあったが、そいつはいままさに、炎に包まれようとしているところであった。先ほどの宇宙、彼が彼女を火にかけたあの宇宙、あの宇宙で生まれた炎を発端・端緒として――魔女はくり返した。


『だから言っただろう?』


 ふたたび彼はハッとなると、となりに立つ魔女を見た。それは、彼の母親であった。彼が燃やし殺したはずの、あの母親であった――母親は言った。


『これはお前の運命にもなるぞ。

 せいぜい炎に焼かれて苦しむがいい。』


 が、すでにそこに彼女はいなかった。


 炎が勢いを増した。


 光を、宇宙を、全ての宇宙を、飲み込み、燃やし尽くさんとでもいうように。


「母さん!」恵祐は叫んだ。とうとう。「どこに行ったの?!」とまるで子どもに戻ったかのように、「母さん!」


 彼女を支えていた彼の両手は炎に包ま――いや、炎そのものになっていた。


「くっそ!」彼は叫んだ。ふたたび、「母さん!」


 両手の炎は勢いを増し、いまや彼の全てを燃やしながら、飲み込み、取り込み、彼と一緒になろうとしていた。


「ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ」恵祐は叫んだ。みたび、「母さん!」


 そうして――?


     *


 そう。


 そうして祝部守希は叫んでいた。


「ダメよッ! この子は病院に連れて行かなくっちゃッ!」とか、


「こんな状態の子を放っておいていいわけないでしょうッ!」とか、


 彼女は、未だ手足を縛られ、身動きできない状態であったが、にも関わらず、よほど腹が立ったのだろう、自分よりもずっと巨大な、熊のような大男に向かって、こう叫んでいたのである。


「取り返しのつかないことにでもなったらどうするのよッ!」と。


 そう。


 実際問題、戸柱恵祐の現状は、事情を知らない人間が見ても、いや、事情を知らない人間が見ればなおさら、危険な状態にあるように想えた。


 彼はいま、リビングのソファであお向けになり目を閉じていた。身体には、ひかりの寝室から運ばれて来た赤い毛布が掛けられていた。


 眠りに入る前の彼の顔はすでに青白かったが、寝入ってからの彼の顔は、これほど短時間に人の顔から血の気が失われるものなのかと疑うほどに先ずは紫に、次には薄紫へと、急激に生色を欠いていき、いまではほとんど白色に、あのかわいそうなムッシュ・クロード描くところの『死の床のカミーユ』を想い出させるほどの白色へと変わっていた。


「しかし、奥さん」左武文雄が答えた。「いま、彼を動かす、病院に連れて行くのは難しい、無理があります」


 守希のこころの声を聴き、彼女の主張が、例えばこの場から逃げ出すための何かの作戦・方便でないことは彼にも分かっていた――彼女は本気で、恵祐を心配していた――が、それでもいまここで、不安定になっている恵祐を動かすことはあらゆる意味で危険だし、仮に病院に連れて行けたとしても、彼のこの能力がある限り、普通の人間である医師や看護師が、適切な対処を、処置を、取れるかどうかは――たぶん取れないのだろうが――分からない。それに、そうしてなにより、ここで彼を家の外に連れ出せば、戻って来た安堂夏彦がどのような行動に出るか分かったものではない。そのため左武は、


「あなた方に危害が及ぶかも」と彼女を説得、なだめようとしたのだが、


「わかりましたッ!」と彼女はただ返すだけであった。いまだ激昂した様子で、「それではッ! 主人とあのお友だちが戻って来次第、改めてご相談させて頂きますッ!」


 正直、どうして彼女が、血のつながりもない、まったくの赤の他人の恵祐の身をここまで心配しているのかが左武にはよく分からなかった。しかも彼は、突然押し入って来た男たちのひとりである。このまま倒れて、それこそ息でも引き取ってくれた方が、彼女的にもせいせいするだろうに。


 がしかし、にも関わらず、その理由については、いくら彼女のこころの声を聴いてみても、左武にはまったく理解出来なかった。


 何故なら彼女のこころの中は、恵祐への心配と、いまの状況への怒り、それに我々男に対する憤り、それらが言語化されないままに混沌としてあふれていたからである。


「おかあさん?」とここで娘のひかりが、そんな守希を心配するように声をかけた。「そんな怒らないで」と。「すこし落ち着いて」と。「お父さんが戻って来たら、きっとうまく話してくれるわよ」と。


 彼女は彼女で手足を縛られたままだったので、母親の肩を抱くことも、その背中をなでることも出来なかったが、その代わりに自身の額を、柔らかく白いその額を、彼女の背中に、肩甲骨の下あたりに、ゆっくり当ててやった。


「ああ」守希は答えた。「そうね、ごめんなさいね」とつぶやくように、「そうよね、あんまり怒ってちゃだめよね」と――ありがとう、ひかり、と。


 そうして、そんな光景を見ながら左武文雄は、


『ああ』とこころの中でつぶやいていた。『そう言えばこの母娘にも、もともと血のつながりなんかなかったんだよな』



(続く)

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