その3
さて。
それから安堂夏彦は、深山と小紫の番号をメモに取ると、優太のスマートフォンを壊した。床に叩き付けるとか洗面台の角にぶつけるとかではなく、彼の念動力で中の回路だけをつぶす方法で。彼は言った。
「『搾取』」と言って先ずは左の手のひらを、それから、「――と『剪定』」と続けて右の手のひらを、くるっと返して見せながら、「なにが保護で管理だ、くそったれ」
彼の主張――と言うか個人的な調査の結果は、次のようなものだった。
先ず、優太の会社が、『転生者』と呼ばれる人々を探し出し集めているのは確かだし、彼らをスカウトし仕事を与えていることも、確かに『保護』と呼べなくもないのかも知れない。がしかし、
「そのために、彼らの記憶を消したり、改竄したり、生まれたばかりの赤ん坊をその家族から奪ったりもしている」
流石にそれはやり過ぎだろうし、彼らが実社会では生きにくい、溶け込みにくい人々であることに付け込み、
「ほとんど洗脳みたいにして」
彼らにしか出来ないような仕事をさせる。違法な情報収集だとか、ある種の未来予測だとか、会社の都合に合わせて人を動かすだとか、時には、
「邪魔な人間を自殺に見せかけ殺すとか」と安堂。返したままの左手を持ち上げ、「これが、まあ、『搾取』だな」と。
パチン。
と指を鳴らしてから、その手をゆっくり下げて行った。それから、
「が、まあ、それでも」と今度は、残った右手をひらひらさせつつ、「残ったやつらは幸せな方さ」そう続けて右の唇を歪めた。「『剪定』されるよりはな」
前にもどこかで書いたと想うが、『転生者』たちの能力はこの宇宙の『バランスの崩れ』から来ており、その『崩れ方』次第で発現する能力は異なるし、また、どんな能力がどのように発現するかについては、その『崩れ方の可能性』がほぼほぼ無限にあるため、誰にも予測は出来ないし、分からない。正直未知数、発現してみないと何がなにやら不明であり、そのため、発現した能力が、まったく会社の利益にならないどころか、
「会社や世界の不利益――」と安堂は言う。残りの右手をゆっくり上げて、「いや、危険因子になりかねない」そう続けて微苦笑しながら、「もし、そうなった場合は――」
パチン。
とふたたび指を鳴らしてその手を下げた。
「別の能力者にそいつを殺させる」手を変え、品変え、人を変え、「その基準を勝手に決めてな」
俺の友人もそれで消された――という言葉は流石に黙って飲み込んだが、それは、それこそが、自分の弱点、付け込まれる隙になると考えたからであった。
*
さて。
祝部優太にとって、娘が、ひかりが、彼の指をはじめて握った夜のことは、忘れようにも決して忘れられない記憶である――そう彼は想っていた。
正直なところを書くならば、彼は、妻との間に子供は出来ないだろう、とそう医者に言われたとき、その病院の待合室で、泣く彼女の背中を撫でながらも、「ああ、まあ、そういうものかもな」と妙に覚めた想いを抱いていた。
「こればっかりは仕方がない」とか、
「きっと子供がいても煩わしいだけさ」とか、
「これからずっと、彼女とふたり、死ぬまで一緒に暮らして行こう」とか、なんとか。
なので、そのため彼は、そんな感じすら忘れていたある日の午後、突然上司から、
「祝部さんのところは確か、お子さんが出来ないんでしたよね」と言われた時は驚いたし戸惑いもした。「子供をひとり、預り育てて欲しいのだけど」
がしかし、これも正直なところを書くならば、彼はこのとき、この話を、ただただ面倒な、煩わしい話だと想ったし、そのため、「すみません、少し考えさせて頂けますか?」と最初彼はそう応えている。
「彼女はみなし子で」とか、
「実の家族は交通事故で」とか、
「このまま行けば孤児院に」とか、なんとか、
そんな不幸なエピソードを聞かされても、実際問題、彼のこころは動かなかったし、この話を聞いた妻が、
「それは、是非お引き受けしましょう」と使命感と幸福感の入り交じった声で言った時も、
「ああ、まあ、そうだよな」と妙に覚めた感じで聞いていた。「彼女はこういう人だったよな」とか、「でも、彼女が望むなら」とか、そんなこんなを、考えながら。
そう。
そうして彼は父になった。
おむつ替えは大変だった。夜中にミルクを作るのも。妻の興味と関心は全てあの子に奪われた。働いて、疲れて、家に帰って、あの子の世話をする妻を見て、正直むすめに嫉妬した。ベッドで眠るあの子を見て、
「でも、俺たちの子じゃないんだよな」といつも疑問に想っていた。
彼女を腕に抱くとき、俺なんかが抱いて壊れないかな? とそんな風に想っていた。
正直、俺みたいな男には、父親の自覚なんて持てないんだろうな。と、そんな風にも想っていた。
この子を、責任感ではなく、愛情をもって抱ける日が来るのだろうか? と、そんな風に考えていた。
「能力の徴候が見えたら、すぐに教えて下さい」上司の言った言葉が頭から離れることはなかった。「そこから先どうするかは、我々の方で決めます」
ある時、彼女が熱を出した。夜遅くに。荷物を持って、タクシーを呼んで、病院に向かった。とても苦しそうだった。
「大丈夫よ、大丈夫だからね、ひかり」と妻は彼女にずっと話しかけていた。
深夜の病院は明るかったが、明る過ぎるライトは優太を妙に不安にさせた。診察には異様に時間がかかった。
「お父さま?」と看護師に呼ばれ、一瞬自分のことだと分からなかった。
病院のベッドに寝かされた彼女は大分落ち着いているようだった。早口の医者が、寝不足の顔で薬やなんかの説明をしてくれた。優太は、
「大丈夫かい?」と小さな声で彼女に訊いた。彼女の胸の辺りに、人差し指を出しながら、
ぎゅっ。
それが、はじめて彼女に指を握られた夜のことだった。涙が出た。声には出さなかったが、妻が心配するほど泣いていた。きっと、よほど不細工な顔になっていたのだろう、妻も彼女も、彼の顔を見て笑っていた。大きく。いまも我が家で笑っているような、そんな大きな声で。
「大丈夫だ」彼は言った。彼女にだけ聞こえる声で、「お父さんがついてる」
彼女の壁の向こうに、小さな、まぶしくひかる窓のようなものが見えたが、きっとそれは涙のせいだろう。そんなものは見えなかった、と彼は考えることにした。
「大丈夫だよ」優太はくり返した。彼女にだけ聞こえる声で、「いつでも、お父さんがついてる」
*
『どうするつもりだ?』優太は訊いた。ただし心のなかだけで、『この子が暴走したら、この家どころじゃすまないぞ』
安堂夏彦の説明――と言うか演説は続いていた。復讐で心が満たされているのがよく分かった。彼の前に立つ戸柱恵祐の息はひき続き荒く、細切れで、洗面室内の温度は、先ほどよりもコンマ数度、あがっているように想えた。優太は続けた。
『聞こえてるんだろ? 刑事さん』と、もちろん心のなかだけで。左武文雄にだけ聞こえる声で、『要望があるんなら聞く。あんたが間に入ってくれ』
何故なら彼は、左武の『他人のこころが聴ける能力』のことを知っていたし、ここでは一番彼が、まだ冷静に物事を見ているように想えたからである。
『戸柱くんを見てくれ』優太は言った。安堂の方を向いたまま、『彼のこころに彼の力は強すぎる。これ以上緊張させない方がいい』石橋伊礼の預言が想い出された。『たのむよ、刑事さん。聞こえてたら鼻の頭を掻いてくれ』左の目だけで左武を見た。
もちろん声は届いていた。がしかし、左武はすぐには応えなかった。何故なら、これまでの経緯と安堂から聞いた話、それらを勘案した場合、どこまで優太を信用してよいものか、正直、なにも聞かない方がよいのではないか、と彼は考えていたからである。がしかし、
『たのむよ、刑事さん』とそれでも優太はくり返した。『戸柱くんのお母さんのことは知っているんだろ?』
そう。
左武文雄がここに来た理由。
それはもちろん、このふざけた状況の背景を知り、可能ならば、能力そのものを消す、捨て去る方法を知りたいということもあったが、それより何より、この不安定な青年――自らの手で母親を殺してしまったこの青年――をほうってはおけない、そばにいてやらなければいけない、そういう想いからであった。
ふー、
ふー、
ふー、
ふー、
ふー、
荒くなる呼吸を、恵祐がどうにかして抑えようとしているのが分かった。痛々しかった。
「安堂さん」とうとう左武は言った。しばらくの沈黙と逡巡の後、「むかしの話はもういいだろ」額の汗を拭きながら、「祝部さんも分かってはいるようだ」とそのまま手早く、鼻の頭を掻いた。「そろそろ本題、俺たちの要望ってやつを彼に伝えようぜ」
(続く)




