シュレディンガーのネコ(1/2)
「なあんだ、やっぱりお父さんか。
相変わらず暗い顔してるけど安心して。
助けに来ましたから」
さて。
この宇宙には様々な『行方不明物質』があるが、これは、財布の奥の小銭とか、立てかけておいたビニール傘とか、ふらっと出て行ったうちのネコとか、そういう、ある日突然消えたと想ったら、またある日突然もどって来たり、逆にそのままもどって来なかったりする、例のあれらのことを指す場合もあれば、もっと大きな、魔の三角海域で姿を消した貨物船とか、南太平洋で消息を絶った双発民間旅客機とか、産卵期を迎えて湿地でゲコゲコ大合唱中に忽然と姿を消したトノサマガエルの群れとか、カンザスの片田舎で暮らす女の子とその飼い犬を乗せた木のお家とか、そういうものを示す場合もあったりする。
そうして、この、『行方不明物質の行方は一体どこなのだ問題』については、古来より様々な議論・推論がなされて来たし、また例えば、西銀河帝国帝国大学名誉顧問アンファンドラス・アーンタ・ダーレエ教授が呼びかけ、東西南北各銀河の主だった大学・研究機関らで結成された『行方不明物質の行方を探そうチーム』などは、ちょっとここには書けないほどの予算を東西両銀河帝国からぶんどって来ては、大変高度な機器をいくつも購入&製作、彼らの住む宇宙の中心の中心から東西南北各方面の辺境の辺境の辺境までをもくまなく調査、観測したりもしたのだが、結局のところ、これらの調査、観測、推論の結果分かったことは、
「行方不明物質の行方はやっぱりなんだか分からない」
ということであった。が、しかし、それでも、先述のような大量の予算をぶんどっておいて、そんな結論をそのまま帝国議会にでも出そうものなら、よくて公職追放、場合によっては、“ムスタング・シャーリー”こと、西銀河帝国帝国騎士団左翼騎士団団長シャーリー・グラウピコス・ウェイワード女史のギンギンに唸るソニック・ブレードをチーム全員で受けさせられるかも知れない。(当時の西銀河帝国皇帝はそういう茶目っ気を大層喜ばれる方であった)
なのでそのため、ダーレエ教授並びに彼の『行方不明物質の行方を探そうチーム』は、取り敢えず得られた調査結果・観測結果を基にいくつかの仮説をでっち上げては報告、提唱、帝国議会のお偉方を煙に巻き、どうにかこうにか露命を繋ぐことに成功したわけであるが、ここで興味深いのは、そこで提唱された仮説のいくつかは中々に芯を喰っており、もう少し見方を変えるか、あるいはワーク・ライフ・バランスに注意して、十分な睡眠や人生のパートナーとの良好な関係を維持しておけば、ひょっとしたら真実にたどり着けていたかも知れないのに惜しかったね、という点であった。
そう。その仮説とは例えば、これら行方不明物質は、我々もよく目にする靴の消臭剤、あの炭の表面の多孔質構造内に凝縮されて詰め込まれているだとか、また例えば、通販で物を買うと一緒にたくさん付いて来るあの緩衝材、丸くて白くて小さくて柔らかいあの無数のペレットに姿を変えているだとか、更に例えば、それらは実は、シュレディンガーのネコよろしく、観測者側の状態により見えたり見えなかったりしているだけで、実はずっとそこに存在しているのだよ――というような仮説たちであり、特に最後のものなんかは、後世の研究者たちから、
「うーむ。流石はダーレエ教授だ」
と称賛と感嘆の言葉と共に伝えられるほどであった――特にネコの部分で。
*
と言ったところで。
いつにも増して訳の分からないお喋りが長くなってしまったが、そんな作者のお喋り・横道はさておいて、山岸ナオは困っていた。前回にひき続き。不思議な衛星『ディオーネ』で。次のジャンプポータルへと向かう途中で。彼の地のエッチな三妖女に付け狙われたり、凄まじい勢いでうごめく岩の群れを目の当たりにしたり、と同時に、六つの頭と燃えさかる十二本の足を持ったナニカに出くわしながら、
「あ、あれ、あれ、あれ、あれ、あんなのいるなんてッ! 聞いてないわよッ!」
と彼女が気絶させた連れのエイリアンのホッペを叩いたり、肩を揺さぶったりしながら、
「ちょ、ちょっ、起きて! 起きなさいよッ! ミスターッ!」
とかなんとか叫んだりしながら。
がしかし、このエイリアン、問題の妖女たちに脳をやられたのが悪かったのか、それともナオにおっきな木の棒で頭を殴られたのが悪かったのか(たぶん後者)、
「うっうーん♡……だめだよヤスコちゃん……これ以上は……これ以上は……これ以上は、もう食べられないよ~」と幸せそうな寝言を続けるばかりであった。「あ……でも……いちごパフェなら……別腹かも~♡」
そのため、
「あー! もうっ!」
ナオは叫ぶと、改めて前を、彼女が向かうべき方角を見た。くり返しになるが、ここは巨大なガス惑星を親に持つ不思議な衛星『ディオーネ』で、ナオとミスターは、彼らが目的とする宇宙へ向かうため、いくつもの宇宙をジャンプ中、その通過点のひとつとして、この衛星へと降り立っており、そのため、更なるジャンプを行なうために、この衛星の別の場所にある、次のジャンプポータルへと向かう必要があったのである。
ピーーーー、コン。
ピーーーーーーーー、コン。
ピーーーーーーーーーーーー、コン。
と、ミスターから借りたレンチの音を確かめるナオ。うん。やはり次に向かう先、次のジャンプポータルの位置は、目の前の砂地、左右を濃い黒と灰色の巨大な岩崖ではさまれた、その峡間の向こうであることに変わりはない。が、しかし――、
「しかし」と言って、先ずは空を見上げる彼女。
するとそこには、隙あらばミスターの魂を吸い取り糧にしようと待ち構えるこの衛星の三妖女が、ツグミかオウギワシのような格好で円を描いて飛んでいる。それに――、
「それに」と続けて、今度は前を見る彼女。
するとそこには、問題の岩崖、その左側に群れなしている奇妙な岩たち――これはこの地の言葉で『カルヘドセ』と呼ばれている――が、凄まじい勢いで周囲の石や岩や白い砂を吸い込み、そうしてそれらを、まるでぐらぐらと煮えたぎる大鍋から吹き上げられる泡しぶきのように吐き出しては、左右の岩崖へと降り下ろされたそれらは激しくぶつかり、まるで雷の夜のような凄まじい音を周囲に響かせていた。が、それでも――、
「それでも」と次には、その両目を右へと向けるナオ。恐るおそる。ひとりの夜に見る悪夢でも想い出し覗き見るかのように。
するとそこには、岩崖の右側には、三列に並んだ大きな歯を持つナニカ――こちらはこの地の言葉で『シカール』と呼ばれていた――が、降りかかる大量の石や岩や白い砂など気にも止めない様子で、燃えさかる十二本の足を曲げ、オオカミにも似た巨大な胴体を岩崖の上に乗せ、六つの頭にある計十七個の瞳で、ナオやミスター、それに上空を旋回する三妖女たちを、こちらもまるで、隙あらば彼らの肉や魂を取り込んでやろうとでもいう雰囲気で、ジイ。と音も発さず、ただただ眺めているのであった。
真昼の光は高く熱く、『シカール』の背後では、この衛星の母である巨大なガス惑星が、その帯縞模様も鮮やかに無言で浮かんでいる。
うしろの赤毛は当てにならない。いや、下手に目覚めさせると、妖女たちに連れ去らわれたり操られたりするかも知れない。
別の道を行くか? いや、岩の崖は左右に果てしなく続いている。この峡間以外に進めるルートがあるのかどうか、仮にあったとして、目的のポータルにたどり着けるのかどうかも分からない。
走って突っ切る? いや、私ひとりならまだしも、ミスターを引きずっ――いや、やはりひとりでも到底不可能だろう。
「もうっ」とナオはつぶやき、周囲の状況の非常識さ加減に絶望しそうになった。がそのとき、
ピーーーー、コン。
ピーーーーーーーー、コン。
ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、コン?
と手もとのラチェットレンチが奇妙な疑問符を発した。そうして、
「コン?」とそれにナオが気付いたとき、突然、空から、
ひゅーーーーーーーーーーーーー、
と小さなナニカ、きらっとひかるナニカが、微かな風切り音とともに落ちて来て、
こんっ。
と彼女の頭に当たった。
「なに?」と言いつつそれを見た。「お金?」
そう。それは、我々もよく知る、あの、穴の開いた黄色のコイン。黄銅製の硬貨。この物語の舞台であるとある宇宙、その宇宙のある人物のある財布の奥にあったはずの、小さな、一枚の、少し汚れた五円玉であった。そうして――、
ぽとっ。
と更に今度は、彼女の後ろ、丁度寝ているミスターの顔の横辺りに、紺色の、濡れた、きっとこれから干すところだったのだろう、洗い立てのソックスは落ちて来た。
「なに?」と驚き空を見た。「なんなの?」
するとそこには、すっかりと晴れわたった『ディオーネ』の空一杯に、いくつもの――と言うか無数の――黒い点が現れては落ちて来るのが見えた。
(続く)




