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その18


「今度はいったい、どこに行ったんだ?」


 と優太が首をひねっている頃、彼の家からそれほど離れていないとある路上では、彼らが探している問題の赤毛男が、


 ぐっ、ぎゅるるるるるるるる、

 ごっ、ごぎゅるるるるるるるる。


 と、平たいお腹を豪快に鳴らしていた。


「ウソだろ?」と地面に突っ伏し、「いまのタイミングなら開いてると想ったのに――」とそのままその場にくずれ落ちながら。


 そう。そこは、小さいが清潔な印象を与えるイタリア料理のレストランの前であった。であったが、しかし、


「『臨時休業』……ってなってますね」と同行者の山岸まひろは言った。ドアの窓から中を覗いて、「と言うか、しばらく開けてもいない感じじゃないですか? ここ」


 彼らはいま、仙豆もどきでは耐えられないとゴネだしたミスターの食欲を抑えるべく、修行を中断、まひろの能力を使い、このレストランまで来ていたのだが、


「来たことあるんですよね?」続けてまひろが訊いた。「ここのレストラン」


「ううん」赤毛は答えた。やる気のない声で、「『いつか来てくれ』って、ここの奥さんとオーナーさんに言われてたんだけど……」とまるでそのまま、道に寝転びそうな雰囲気だった。


「連絡先とかは?」ふたたびまひろが訊いた。彼の方をふり返り、「相手の携帯とか知らな……」と言いかけギョッとした。彼が実際、道に寝転んでいたからである。「ちょっと、だめだめ、そんなところで寝ちゃ」


「えー?」と赤毛。なんかもう色々イヤになったのだろうか、「電話はー、なんだかんだでー、バタバタしてたしー」とまひろに起こして貰いつつ、「それでもー、お店の場所は聞いてたからー、それでー、来れるとー、想ってたんだもーん」


 もーん。じゃねえよ、このバカ。


「はあ」とまひろ。色々言いたいことはあるものの、それでも一応彼を立たせ、土ぼこりなんかも払ってやると、「あれ?」となってこう訊ねた。「それって、いつ頃の話ですか?」


「いつ頃?」


「実は結構むかしの話とかなら、相手の事情も変わっているでしょう?」――そう言えばあなた、タイムトラベラーでしたよね?


「全然、ぜーんぜん」ミスターは応えた。右手をふりふり、「そんな昔の話とかじゃぜーんぜんないよ」とため息、「つい最近。ほんっとーについ最近。数ヶ月も経たない未来の話だよ」と自信を持って。そのためまひろも、


「うーん?」とついつい彼と同じ感覚になるのだが、「でもだったら、それこそ余計に、何か特別な事情が……って、はい?」


「なに?」


「未来?」


「そうだよ」


「数ヶ月も経たない未来?」


「だから、そうだって言ってるじゃないか。もう少し先の未来で僕とここのご夫婦は……ってなに? どしたの? まひろくん。突然そこにしゃがみ込んだりなんかして。大丈夫?」


 と言ったところで。


 すでに皆さまお気づきのとおり、こちらのお店、清潔そうなイタリアンは、あちらはあちらで、現在大変ばたばたされている、ペトロ&マリサの営むお店で、


「じゃ、じゃあ、相手のご夫婦は、あなたのことをまだ知らないってことじゃないですか?」


 そうまひろ君も言うとおり、いまの彼らにして見れば、彼女もミスターも、まったくの他人であるわけで、突然彼らが来たとして、


「え……? あの……どちら様ですか?」


 と問われるのが関の山だし、例えばミスターが、いつもの調子で、馴れ馴れしく、マリサさんにセクハラまがいのボディタッチでもかまそうものなら、


「なにしやがる! この赤毛野郎!」


 とペトロさんの鉄拳制裁が飛んで来るのは火を見るより明らかで、


「はあー」とただただまひろ君。言葉にならないため息を吐くのでありました。「分かりました、分かりました」と改めて、タイムトラベラーとの付き合いの難しさを感じつつ、「この近くに安くて美味しい中華料理屋さんがありますんで、今日はそこにしましょうよ」


 と呆れた様子で彼の手を取り、その場を立ち去るのでありました。


 そうして――?


     *


 そう。


 そうして、なんだかんだと夜は更け、ふたたび明けて日は変わり、樫山ヤスコは驚きの声を上げることになった。彼女の家の台所で、


「え?」と小さく。「吉野さん?」と昨日会った男性の名を、「あれって、あの吉野さん?」と。


 それから彼女は、朝食作りの手を止めると、点けっぱなしにしていたテレビの音量を上げ、ニュースを聞き直し、スマートフォンで同じニュースを改めて検索、しばらく色々確かめてから、


「ミスター!」と昨晩二階に泊めた赤毛宇宙人の名前を呼んだ。「降りて来て! はやく!」


 彼女が確認したニュースとは、昨日会ったあの男性――『水使い』の吉野浩治――が昨夜おそく、自宅店舗の倉庫で何者かに殺された、というものであった。


 そうして――?


     *


 そう。


 そうして、なんだかんだと場面は変わり、この日の朝、祝部守希は、自分と家族のために焼いた目玉焼きを、なぜだかすっかり、すべてしっかり、まるっと焦がしてしまっていた。一緒に焼いたベーコンも、こちらもなぜか、すべてがすべて、真っ黒こげになっていた。彼女は言った。


「おっかしいわねえ」とフライパンに手をかざし、「うーん?」と続けて少ししゃがんだ。


 炎の様子も確かめて、すこし考え、首も傾げてみたものの、これと言って変なところは見付からなかった。そのため彼女は、


「まいっか」と言って火を消すと、「きっと気のせいね」そう続けて家族を呼んだ。「あなたー、ひかりー、ごはんよー」


 そうして――?


     *


「はーい」とこの呼びかけに娘のひかりはすぐに答えた。階段の上から、「すぐ行くねー」と元気そうに。


 昨日の彼女は、お腹の痛みと偏頭痛、それに、「実の父親に会いたくないか?」という謎の女性の誘惑のせいで随分おかしな調子になってはいたが、それもひと晩ゆっくり寝たら、お腹の痛みも偏頭痛も軽くなり、問題の女性の発言についても、それほど深刻に受け止めなくてよいだろう、そう考えられるようになっていた。結局、いまの父や母と離れたりも出来ないわけだし、実の父と会ったところで、いまの父との関係が消えてしまうわけでもない。と言うかそれよりも、


「と言うかそれよりも、昨夜つめたくしたのを謝らなくちゃね」


 そう彼女は考えた。それこそ昨夜、寂しげに階段を下りて行った父・優太のことを考えながら、


「私がお父さんの娘ってことに変わりはないもんね」


 と階段の手すりに手をかけた。瞬間、彼女は、


「熱っ!」


 とその手を咄嗟にそこから離した。


「な、なに? いまの?」と。


 なぜなら、階段の手すりが、まるで強力なバーナーで焙られでもしたかのような熱を持っていたからである。


 そうして――?


     *


 そう。そうして問題の父親・祝部優太は、手にひげ剃りを持ったまま、顔の半分に髭剃り用のジェルを残したまま、洗面台の前で動けなくなっていた。


 左の中指と薬指が、今ごろじわじわと痛んで来た。


 先ほど、焼けるほど熱くなっていた蛇口を、不用意にも触ってしまったからである。


「なるほど、君か」どうにかやっと言葉に出来た。あまりのことに上手く発音出来なかったが、「ただ、深山が言ってたのとは、ずいぶん感じが違うようだね」


 洗面所全体が、なんだか熱を持っているような匂いがした。ふと横を見ると、顔拭き用のタオルに小さな焦げ目がいくつも付いていた。彼のシャツやネクタイにも。


 コホッ。


 と小さく咳ばらいをした。声の調子を整えようというのである。であるが、きっと熱のせいだろう、


「戸柱……恵祐くんだね」


 となんだかその声は、途切れたラジオのようになっていた。



(続く)

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