その9
「考えてみればおかしな話だね」赤毛のエイリアンが言った。口もとにはマヨネーズが付いていた。「みんな彼女を心配する。彼女は最強の能力を持っていて、僕たちみんなでかかっても勝てるかどうか分からないくらいに強いのに、みんな彼女を心配する」
ここは、石神井公園氷川神社の境内で、彼の話し相手は木花エマだった。彼女は応えた。
「そりゃあ友だちですもん」口もとのマヨネーズをジェスチャーで彼に教えながら、「友だちのことは心配するもんでしょ」
彼らはいま、ここの裏の林で特訓中の佐倉八千代や、ミスターと一緒にこの時間帯にやって来ている高嶺ゆき子らと離れて、この会話を行っていた。特訓用のピッチングマシンが壊れ、いきおい休憩時間になったところを、エマが彼を引っ張って来たかたちである。
「うん?」ミスターは訊いた。声を落として。口もとのマヨネーズを指でぬぐいながら、「なにが心配? なにをそんなに心配してるの?」
「なにって」エマは応えた。彼のトーンが変わったことに若干戸惑いながら、「あんなの、なんか、ヤッチっぽくない」
彼女と八千代は中学時代からの親友で、彼女は、八千代の能力を知る数少ない友人のひとりであり、また最も、その能力を間近で見て来た人物でもあった。
八千代の能力をめぐる彼女たちの物語については、話せばとても長くなるので、また別の機会に譲ることとして、たしかに今回、『特訓』と称して、彼や山岸の祖母が育てようとしている八千代の能力は、これまでエマが見て来た彼女の能力や、その能力を使い、あるいは使われ、彼女たちが解決して来た数々の事件とは明らかに様子というか色合いが異なっていた。
「ふむ」ふたたびミスターは訊いた。「どこが? どこがどんな風に違うの?」手にしたハムサンドイッチをひと口かじった。このハムサンドは、エマが彼らのお弁当用にと作って来たものであり、先ほどミスターの口もとに付いていたマヨネーズは、このハムサンドのマヨネーズである。
「どこがって」ふたたびエマは応えた。「ミスターさんも分かってるんじゃないですか?」
たしかに。八千代の力は強大で、その力を使えば、飛んで来るボールを止めることはもちろん、ピッチングマシンを壊すことだって朝飯前、使い方によっては、この辺一帯の電気を止めたり、彼女の意のままに他人を操ったり、ひょっとしたら、もっとすごいなにか、それこそ現実を少し歪めることだって可能なのかも知れない。
「でも、それはあの子の本当の力じゃないでしょ?」エマは続ける。「あの子の本当の力って、もうちょっと、こう、やわらかいというか――」
必要な時に、必要な場所で、必要な相手にコーヒーのお替わりをあげられるような、そんな能力であるはずだ、と。がしかし、
「でも、それじゃあ」とここでミスターは口をはさむ。「でも、それじゃあ、森永くんの仇は取れないかもしれないよ?」声のトーンが更に変わった。低く。「未来も、守れないかも知れない」
ゾクッ。
エマの背中に、なにか冷たい、氷の柱のようなものが押し付けられた――そんな気がした。
「たしかに」彼は続けた。氷よりも冷たい声で、「たしかに佐倉くんの能力は、本来、いま君が言ったような、他者の善意を引き出すことに特化している能力なのかも知れない。彼らの中にある善性を活性化させ、事態をよりよい方向に向けたこともあったんだろうね、君たちの記憶と記録を見るかぎりはね」
とそれから彼は、残りのサンドイッチを口に入れようとしてそれを止めると、ふるふるふる。と頭をふった。ゆっくり。ちいさく。残ったサンドイッチは包んで上着のポケットに入れた。彼は続けた――いいかい、木花くん。
「いいかい、木花くん。それでも世界には、そんな善意のない人間、仮にあっても、それを無視したり、隠したり、なかったことにしたり、もっと言うと、打ちのめして立ち上がれなくしてしまった人間、そういう術を身に付けた、身に付けざるを得なかった、そんなクソ野郎どももたくさんいるんだよ」と。
君も、地球人なら知っているはずだろ?
「僕は、そういうクソ野郎どもから世界を、宇宙を、守って来たし、これからも守らなければいけないんだ」
その為には、なりふりなんて構っていられない場合もあるが、今回がそれだ。
「君が考えている佐倉くんの力の使い方、それはもちろん尊重するし、どうぞ、今回の危機が去ってから、またそういう使い方をしてくれればいいさ。でも、いまは違う。いまは、彼女の力を最大限に引き出し、攻撃にも防御にも使えるように強化、訓練しなくちゃあならない」
そうしなければ、今回の危機は乗り切れないだろうし、それに、
「それに、そう。それにそこで一番厄介なのは、いま君が語ったようなお子さま的センチメンタリズムさ。いいかい? これは言ってみれば戦争だ。敵がいて、そいつがこちらを脅かしている。男も女も関係ない。老人だろうが子どもだろうが、使えるものならなんでも使って、相手を倒して、そいつらの侵入を阻止する。僕はミスターだ。ただのミスター。医者でも、賢者でもない、ただのミスター。善人だとでも想っていたかい? それこそお子さま的センチメンタリズムの極みさ。いいかい? 木花くん。必要があるなら、僕はどんな悪人にだってなれるし、なって来た。君たちが想像も出来ないくらいのね。この両手がきれいだって? いいかい? 木花くん。ここではっきり言っておくけどね、僕は、必要性さえあれば、佐倉くんに相手の男を殺さ――」
パッシーン!
ふたり切りの境内に、静かな、だけれど有無を言わせぬ音がひびいた。エマの平手が、このバカの左頬を、その長広舌をとがめ切るために、叩いた音であった。
「あの子に!」エマは応えた。足はふるえ、肩はおびえ、手も声もそのかたちを保つのに必死であったが、それでも、「あ、あ、あの子に!」と。
彼女の友人として、そうしてまた、地球人類の代表として、
「も、もし、あの子に」ふるえる右手のひと指し指を彼に向けながら、「そ、そんな、ひとを、ひとに、そんなこと、させてみなさい!」
あなたが宇宙人だろうがタイムトラベラーだろうがそんなことは関係ない、
「き、き、きっと、きっと、あ、あなたを! 宇宙の! 時空の! ど、どんな涯へだろうと追いつめて!」そのふざけたケツの穴に、「け、けりを入れてやりますからね!」
前にも書いたと想うが、彼女、木花エマに特別な能力はまったくない。まったく。全然。なーんにも。
たしかに料理は上手だし、絵の才能も、まあ少しくらいならあるかも知れないが、しかし、それでも、およそ地球人類を代表して、齢500才を超える摩訶不思議エイリアンに説教&平手打ちをかませられるような特殊ななにかを彼女が持っているかと問われれば、残念ながら答えはノーだ。まったく、全然、これっぽっちも、彼女はなにも持っていない。
が、それでも、だからこそ、このお間抜け赤毛エイリアンは、地球人類のことが大好きなのである。愛していると言ってもいいかも知れない。
何故なら彼らは、とっても低い知能と、短い命と、どう転んでも高級とは言えない倫理・道徳感、それから、なけなしの勇気と、ポケット一杯の希望を持っているからである。
「あーっはっはっはっはっは!」
彼はわらった。大きく。笑いすぎて涙が出るほどに。空は青く、太陽は晴れやかだった。ポケットにしまっていたサンドイッチを取り出した。食べようとして、また笑った。涙が止まらなかった。
「いいねえ、エマちゃん」ようやく彼は応えた。いつもの、情けない、浮わついているけれど、とてもやさしい口調にもどって、「だから僕は、君たち人類が大好きなんだよ」
(続く)




