その4
ノートの文字は読みやすく、それを書いた人物の誠実な人柄が伝わって来るようだった。がしかし、その中身と言えば、その読みやすく誠実な文字に反抗するかのように、混乱として、混沌として、結局優太は、そのノートの持ち主・石橋伊礼から直接、そのノートの内容――彼が様々な存在・不存在から聴き取り見せられた『預言』の内容――を聞かなければならなかった。もちろん、その全てを語ることは不可能なので、あくまで彼らが重要と考えているパート、『世界の終わり』、そのあらまし部分だけであるが。
「うーん?」優太はうなった。ここは伊礼の行政書士事務所。部屋はうす暗く、そこにいるのは彼らふたりだけだった。優太は訊き返した。確認の意味で、「世界の終わり?」と。
先名かすみが殺害されて以降、灰原神人の捕獲や逃走、小紫かおるの死亡やその他、様々な厄介ごとが立て続けに起きていたため、伊礼の話を聞く機会を逸していた彼であったが、本日どうにか時間を合わせると、ひとりこの事務所へやって来たのであった。
「最後までは見られませんでしたが」伊礼は応えた。「それでも、それが始まるところまでは、少なくとも」
彼の預言の確からしさについては、先述の先名かすみ殺害を言い当てたことからも、もろ手を挙げて、とは行かないまでも、相当な信頼を置いてよいだろう。そう優太は考えていたのだが――、
「『ひかる壁』? ですか?」とか、
「それに、『燃えさかる人々』?」とか、
流石に、この世界の終わりの預言については、にわかには信じられない、どころか、ついつい苦笑を漏らしてしまいそうになるのもまた事実であった。がしかし――、
「『ひかる壁』?」とか、
「『燃えさかる人々』?」とか、
そうつぶやきくり返しているうちに、ふっと優太は立ち止まる。頭の中で首を振りながらも。何故なら彼は、その『ひかる壁』からは、彼の娘・ひかりが話した彼女の『窓』を、その『燃えさかる人々』からは、彼の部下・深山千島から聞いた戸柱恵祐なる青年の能力を、想い出していたからである。
「すみません、石橋先生」と、そうして彼はまた訊き返す。「その現象? の中心にいる人物にこころ当たりは?」
何故ならこちらは、石橋伊礼の語る問題の人物――『ひかる壁』の中心にいた人物――その様子、雰囲気が、どこか彼の娘に似ているように感じたからでもあった。が、しかし、
「ああ」と伊礼は答えようとし、しばし口をつぐむと、それからやはり、「いえ、いまのところは、こころ当たりはありません」
このとき伊礼は、預言の中で見た風景から、山岸まひろの名を出し掛けたのだが、未だ優太を信じ切ってはいないこと、優太の心配が彼の娘にあるだろうこと、それに、ジュリエットでの失敗――結局、ひとりの少女を犠牲にしてしまったこと――などが頭を過ぎり、言葉を変えたのである。
「うん?」優太は続けた。伊礼の様子に違和感を覚え、「実は先生」と、こちらから少し、自己開示をした方がよいとでも考えたのだろう、「私、先生の言われた描写から、この人物が実は――」そう言いかけたところで、
ブー、ブー、ブー、ブー、
ブー、ブー、ブー、
「っと、失礼」優太のスマートフォンは鳴った。「どうやら、家内からのようなんですが――」
「あ、どうぞ、ご遠慮なく」
「すみません」と優太は立ち上がり、「もしもし? どうした? いまお客さまのところな……、それはいつから? ……学校やお友だち、朱央くんには? ……そうか、うん。いや、とにかく君は家にいてくれ。私もすぐに帰るし、深山にも連絡を入れる」
「どうかされましたか?」伊礼が訊いた。
「すみません、先生」優太は答えた。「ちょっと急用が出来ました。お話は、また後日」
守希からの電話は、ひかりの帰りが遅く、また連絡も取れなくなっているという内容だった。
*
「樫山先生?」とこれと時間を前後して、左武文雄は訊き返していた。いまだ病院ベッドの上で、「ってあのヒョロッとした女の先生か? 物書きとかなんとか」
と言うのも、オフィリア・モンタルトとの格闘で傷ついた彼の身体は、普通の人なら意識があるのもおかしなくらいで、いくら本人が、
「いやあ、全然平気ですよ。寝ている方がしんどいくらいで」
と脳ミソ筋肉的自己評価を下したところで、医師も看護師も、院内清掃のおじさんですら、
「バカ言ってんじゃありませんよ、左武さん」
と絶対安静、現場復帰はもちろん、署に戻ることも、なんなら病院から外に出ることも止められていたため、
「署に電話があったんだと」と彼の相方・右京が、仕事の合間に、見舞いがてら、彼への伝言や捜査の進展なんかを伝えに来ているからであった。「小説の取材で色々聞きたいんだとさ」
「なんで俺に?」左武は答えた。この『樫山先生』とは、もちろん我々のよく知るあの貧乳小説家・樫山ヤスコのことである。「お前や、それこそ署長でもいいだろうに」
彼ら石神井三人組――左武に右京に、いまはここにいない小張千秋の三人組――は、とある事件でヤスコと知り合い、ときどき連絡を取り合っては、たまに協力し合う仲なのだが、
「まあ、署長とだと話がそれちゃうだろうし」
信じられないことに、小張千秋は、ヤスコの小説の愛読者、ヘビーリーダーらしく、お仕事・取材そっちのけで何の実りもない会話を三時間でも三十時間でも、延々延々続けてしまえる関係性だし、右京は右京で、
「俺は……、その……、ほら……」
と、彼女の友人(バツあり・子持ち)にひとめ惚れ、ナンヤカンヤのテンヤワンヤのスタコラサッサがあってのち、ヤスコ当人とも少々会いづらくなっていたのである(このお話も書ける機会があったらいつか書きます)。そのため、
「なので、まあ」と右京は続ける。「お前が一番、話やすいっちゃ話やすいよな」
が、もちろん、彼の推理は間違いで、彼女が左武と連絡を取りたがっている理由、それは、例の『リスト』に、左武らしい人物の名前が載って来たからである。
そう。話があちこち飛び回っているせいでついつい忘れそうになってしまうが、ヤスコの探検――『リスト』に掲載された人々に会いに行く作業――も、こちらはこちらで、地道に、細々と、続いていたのである。
(続く)




