その1
ふたりのうちどちらが先に燃えたのか、戸柱恵祐にはよく分からなかった。
ひとりが燃えているのに気付いたときには、彼の肩をつかんでいたもうひとりの手も燃え上がり、彼の肩を離れていたからである。
戸柱恵祐は理解した。彼らの命もきっともうないのだろう、と。
彼らは若く、いきっていて、酒と自分に酔っていた。だらしのない服を着て、少しでも年上に見せようとしていたが、薄い胸板と髭のない赤い顔は、中学生と言われてもおかしくなかった。学校に行けてるとは到底想えなかったが。
「き、きみ!」戸柱恵祐は叫んだ。離れた場所に立つ、彼らの連れに向かって、「に、逃げて! すぐに!」
見張り役を頼まれていたその少年は、友人ふたりの手や背中が突然燃え出したことについて意識が追い付いていない様子だった。目を見開いたままに固まり、左手のスマートフォンは、すでに地面に落ちていた。彼のひざと肩は震えていたが、そのことに彼自身気付けていない様子だった。
「な、なにを!」恵祐は続けた。彼ももう間に合わないなと想いつつ、それでも、「は、はやく! ぼ、僕から! 離れて!」
深夜の公園は暗く、恵祐の寝ていたベンチには上からのライトがあった。が、しかし、そこからどちらに向かえばよいのか、それを示すための光を、見張り役の少年は見付けられない様子であった。
「く、くそッ!」恵祐は叫んだ。「くそッ、くそッ、くそッ」ベンチから離れ走り出した。
見張り役の少年に当たらないよう十分注意していたはずだったが、
「お、おい、ど、どこに」うろたえた少年が彼の肩を取ろうとし、その背中に触れた。
「くそッ!」恵祐は叫んだ。こんどはこころの中だけで、「ああ、もう、この子もだ」
彼は走った。走って、走って、走って、走って、走り続けた。暗闇の中を、林や、森の中を、どこに向かえばよいのかも分からないまま、ただただ、少年たちの叫び声から、彼らの燃える身体の匂いから、その現実から逃げ出すように。
母を殺し、警察に自首し、事情聴取を受けている最中に奇妙な現象――自分以外のひとが意識を失くし動かなくなる現象――に遭遇した彼は、気付くとこの不可思議な逃亡生活に入り込んでいた。
逃亡? なにから? 警察から?
いや、出来れば彼は誰かに捕まえて欲しかった。捕まえて、この能力の暴走を止めて欲しかった。
しかし、出来なかった。
何故なら、彼が逃げているのは彼自身、彼が持ってしまったこの特殊な能力であったから。
そう。先ほど書いた『奇妙な現象』――これが佐倉八千代の怒りと悲しみが起こした強力な精神感応波であったことは、皆さまご記憶のことかと想うが――その波を受け、周囲の者たちが意識を失くし動きを止めていたあの49.57秒間、戸柱恵祐もまた、あの波に飲み込まれ取り込まれていた。ただし、意識は失わずに。それとは別のやり方で。
そう。八千代の精神感応波を、特にその怒りのエネルギーを受け彼の能力は変化した。どんな風に? その変化は大きく分けてふたつあった。
ひとつ目。それは能力の強化であった。
以前の彼ならば、その能力が文字通り『発火』するまでには、『きっかけ』があってから、短くても数十秒、長ければ数分から十数分ほどの時間を要していたのだが、先ほど見て頂いたとおり、『きっかけ』――彼に掛かる精神的ストレス――から『発火』までは数秒足らず、更に『きっかけ』そのものも、以前より遥かに軽いもので済むようになっていた。例えば突然起こされたりだとか、例えば肩をぶつけられたりだとか、例えば「死ねばいいのに、このクソ虫野郎」と囁かれたりだとか。しかも、それは日に日に強力に、そうして簡単に『発火』しやすくなっていたのである。恵祐本人にも制御し切れないほどに。
そう。そうしてふたつ目。それはランダム的な空間ジャンプであった。
以前の彼にこんな能力はなかったし、このジャンプは、祝部ひかりや山岸まひろ、それにマリサ・コスタ等が行っているのとはまた別のかたちのジャンプであり、もっと言うと、例の赤毛エイリアンが行なっている時空間ジャンプともかなり様子が違っていた。
そう。それは、『発火』の別形態のようにこの作者には想えた。
恵祐の『発火』は、彼が「消し去りたい」と想った人や現実を消し去るために発現しているように見えるのだが、今回のこの『ジャンプ』は、彼がその場から自身を「消し去りたい」と想ったときに発現し、また――別のシークエンスでもお見せしたとおり――その『ジャンプ』の後には、まるでその『ジャンプ』の残り火のようなものが残り、周囲を燃やしていたからである。
そう。そのためここでも彼は『ジャンプ』する。自分でも意識しないまま。逃げ出した暗闇から逃げ出すように。一瞬、炎に包まれて、
ボッ。
とそこに炎の痕跡だけを残して。また別の暗闇へと。
*
そう。そうしてそれは、本当にただの偶然であった。あるいは、前世や前々々世からの因縁なのかも知れないが。いずれにせよ、安堂夏彦本人にとっては、それは紛れもないただの偶然であった。
そう。それは彼が警察無線および消防無線を傍受していた時のことなのだが――何故彼がそんなものを傍受していたのかは後ほど分かる――ある倉庫火災について、ひとりの刑事が、「これも彼、戸柱のせいですかね?」と上司に向かい話すのが聞こえたからであるし、直後上司が――その上司は女性だったが――不自然にならない口調で、誰かがその無線を聴いているかも知れないとの慎重さでもって、言葉を選び、部下の刑事にその話題と名前は出さないようそれとなく注意していたからである。
「とばしら……?」
そうして、その口調と、不自然に話題を変えた部下の態度が安堂の興味を引くことになった。
「まさか……?」
不審に想った彼は、過去の通信傍受記録(気になったやり取りをA4ノートに記録したもの)を読み返し、その後、ここ数週間に発生した火災を練馬区周辺に絞り込んでは地図にプロット、そこから、その現場のひとつに、『戸柱』という名の家があったことに気付いた。彼は呟いた。
「この……青年か?」
とこの時点では首を傾げるだけであったが、その後、以前にも紹介したとある防犯カメラの映像――どこからともなく落ちて来た恵祐が部屋を出、その後火災が起こるあの映像――を見るに至って、彼の不審は確信へと変わった。
「うん」ふたたび彼は呟いた。離れた場所にあるペンと手帳を、触らず、そちらに引き寄せながら、「この子も私と同じだな」
(続く)




