シカールとカルヘドセ
『よお、カウボーイ。
ひさしぶりじゃねえか。』
その惑星には七つの衛星があり、その最大のものが『ディオーネ』だった。
『ディオーネ』のサイズは、我々の太陽系で言えば金星、それより少し小さいくらいであった。
ただ、『ディオーネ』の気圧は金星のそれに比べれば大変低く、どちらかと言えば地球のそれによく似ていた。大気の構成成分も、地球とそっくりであった。本当にごくわずか、酸素濃度が高い点を除けば。
そう。『ディオーネ』の大気は、日本で言うと、雨上がりの庭で、くちなしの香りの、やさしさに包まれた感じの空気によく似ていた。本当にごくわずか、酸素濃度が高い点を除けば。
そのため、この衛星に降り立った冒険者や漂流者や迷える子羊たちは、小さい頃は神さまがいたような気持ちになると、なんだかすべてが許された、ウルトラベリーチェーンソーハッピー的な、目にうつる全てのものはメッセージ的な、眩暈や視野狭窄、それに溢れんばかりの多幸感に苛まれると、巨大な母惑星が浮かぶ、果てしない大空と広い大地のその中に自身のからだを放り出しては、
「なーんか、もう、どうでもいいさあ」
とばかりにそのまま、その身が朽ちて行くのに任せるようになる――と伝えられていた。
この伝承については、例えば、わずかに高い酸素濃度が、彼らの自律神経を狂わしているのだという科学的説明がなされることもあれば、『巨大で大いなる大虚脱』と呼ばれるカルト的救い主の御業だとする説、または『ディオーネの三妖女』と呼ばれる波動現象が彼らの精神を犯しているのだとする説――等々が唱えられていた。
が、まあ、それでも、そんな奇妙な衛星に行く者――冒険者や漂流者や迷える子羊など――は、所詮は超マイノリティ、社会のはぐれ者たちばかりであり、そんな奴らのことなど知ったことか、こちとらもっとやらなければいけないことがあるのだと、結局、その衛星の詳しい調査・分析などはされることがなかった。何故なら、ここ失われた三百年ほど、皆さん自身の生活で一杯いっぱいだったからである。
であるからして、先述の三妖女も、その存在・不存在を確かめられることもなく、伝承・伝説の中で手を変え品を変え、ある時は海に住む人魚のように、ある時は湖底に沈む石像のように、またある時はツグミあるいはナイチンゲールを擬人化したような存在として夢物語的に伝えられて行くことになり、その時代の流行りに合わせ、セクシーだったり、キュートだったり、どっちが好きなの? 的に容姿その他も変容させる、させられることになるのであった。
そう。
であるからして今回、例の多世界ポータル『異界の書』を通ってこの衛星に降り立った山岸ナオ(9才)は、何故かその辺に落ちていたおっきな木の棒を拾い上げると、
ボッカン!!
と彼女の同行者、赤毛丸顔エイリアン・ミスターの空っぽの頭をぶん殴ることになる。何故なら、
「そんなッ! 女どもにッ! ヘッラヘラ! してんじゃないわよッ! ミスターッ!」
そう彼女も叫ぶ通り、前回のラストで問題の三妖女に取り囲まれたミスターは――彼はその時、目かくし・耳栓をし、ロープで身体をぐるぐる巻きにされていたが――、彼女たちのおっきなオッパイやキュートなヒップ、それにえっろい歌声やとろけるような甘い香りに、メッロメロのくっにゃくにゃの腰砕け半歩手前状態で、その身体も魂も彼女たちの糧・エネルギーにされ掛けていたからである。
「次のッ! ポータルにッ! 着くまでッ! そのまま寝てなさいッ!」
と、9才の割にはなかなかの姉さん女房的ふるまいを見せるナオだが、このため彼女は、ひとり気絶したミスターを引き摺り、緑豊かな『ディオーネ』の草原を横断することになった――のは、こちらも前回の途中でお見せした通りである。ミスターのラチェットレンチに導かれる形で。それが発するソニック音に合わせて、
『レンテッド、ア・テント。
ア・テント、ア・テント。
レンテッド、ア・テント。
ア・テント、ア・テント。
レンテッド、ア・テント。
レンテッド、ア・テント。
レンテッド、アレンテッド、
アレンテッド、ア・テント!』
みたいな歌を口ずさみながら。
空を見上げれば、先ほどの三妖女が、ツグミかオウギワシのような格好になって飛び回り、こちらを静かに見下ろしている。子供で女の子であるナオに彼女たちの妖力は効かず、彼女の魂を糧にする気はないようで、ただただ、ミスターが目覚めるのを待っている様子であった。
『レンテッド、ア・テント。
ア・テント、ア・テント。
レンテッド、ア・テント。
ア・テント、ア・テント。
レンテッド、ア・テント。
レンテッド、ア・テント。
レンテッド、アレンテッド、
アレンテッド、ア・テント!』
それから、しばらく行くとナオは、奇妙な場所へと出た。そこは、左右を巨大な岩崖にはさまれた砂地であった。
崖は、濃い黒と灰色で、砂は、サラサラと驚くほどに白かった。三妖女は引き続きナオたちの上空を飛んでいたが、気が付くと、その高度をぐい、と上にあげていた。
「ふぅ」
近くの岩に腰を掛け、ナオはレンチとミスターを見た。よほど強く殴ったせいだろうか、それとも妖女のちからのせいだろうか、彼が目覚める様子はなかった。
「まったく、使いものにならないんだから」
レンチからのビーコン音を注意深く聴く。どうやら目指すポータルは、この岩崖の峡間の先にある様子だった。
「ふんすっ!」
彼女は立ち上がると、大きく伸びをし、改めてミスターのロープをつかもうとしたのだが、そんな彼女の目の端に、なにか巨大な、うごめく物が見えた。
「え?」
と彼女は目をこすり、改めてそのなにか、巨大な、うごく物の方を見た。一瞬、自分の目がおかしくなったのでは、と想ったからだった。
「ウソでしょ?」
しかしそれはウソでも冗談でもなかった。それはまるで、狭小な海峡で起こる激しい渦潮にも似た、うごめく、岩の群れであった。
「ちょ、ちょっとッ! ミスターッ!」
ナオは叫んだ。妖女たちのことも忘れミスターを起こそうとしたのだが、それも無理はなかった。何故ならその岩群は、これから向かう峡間の左の崖に群れを成し、凄まじい勢いで周囲の岩や石や砂を飲み込んでは、またそれらを凄まじい勢いで吐き出し続けていたからである。あれらがまだしも海水ならば――いや、たとえ海水でも巻き込まれてはひとたまりもないほどの勢いであった。
「ね、ねえ、あれ、あれ、あれ、あれ、あれ」
ミスターの縄を解き、彼の目かくしや耳絆創膏も取ろうとするナオだが、
「あ、あんな、あんな、あ……んな……?」
彼女は更に、不吉なものを目にすることになる。
「な、なによ、あれ! ミスター!!」
それは、問題の峡間の右の崖、その上をのそりのそりと動くナニカであった。
「ちょ、ちょっ、起きて! 起きなさいよッ! ミスターッ!」
そのナニカは三列に並んだ大きな歯を持つ六つの頭と、オオカミに似た巨大な胴体、それに炎のように燃えさかる十二本の足を持ったナニカであった。
「あ、あれ、あれ、あれ、あれ、あんなのいるなんてッ! 聞いてないわよッ! ミスターッ!!」
(続く)




