その15
夕方近く、右京がわざわざ病院までやって来て捜査の進展を話した。その報告を、左武はベッドで、小張は病室の隅に座って訊いていた。が、ただしそれらは、すでにスマホ経由で見聞きしているものばかりであり、そのため、右京の本来の目的は、左武の身を案じ彼を元気付けることにあると、すぐにふたりも気付いたので、彼らはその報告を、時おり混ざる親父ギャグも含めて、静かにほほ笑み聞いていた。
「うん?」右京が訊いた。ギャグのネタも尽きたころ、「なんかおかしいっすね」と先ずは左武を、次に小張の方を見て、「なにか隠してますか? 俺に」
長年の付き合いだから分かるのだろうが、確かにふたりには、彼に伝えるべきかどうか決めかねている事柄がひとつあった。
「署長?」左武が訊いた。「いいんじゃないスか? こいつになら」
それは、彼らが目撃した犯人――巨漢弁護士・船場偉月を襲い、恐らく殺し、痕跡ひとつ残さず消し去ったあの犯人――の正体についてであった。
「マリサ・コスタ?」右京が訊き返した。「ってあの、うちの奴らをボコボコにした?」
「うーん?」小張は答えた。それでもなにやら切れ味悪く、「たしかに、その、見た目なんかはまったくもってあの方なんですけれども」
そうしてこれが、彼らが右京にそれを伝えるべきかどうか決めかねていた理由であった。
船場偉月を襲ったあの女は、たしかに、髪の色こそ違っていたものの――そんなものはウィッグやなんかでいくらでも変えられる――小張が取り調べたあの女性、可憐なるマリサ・コスタそのもののかたちをしていたのだが、
「なんか、やっぱり、違うんですよね」と小張。刑事としての彼女の直感は、その結論に飛び付くのを止めるよう彼女に命じていた。「演技や二重人格というのともまた違う、まったくの別人のようにしか見えなかったんですよね、私には」
「うーん?」右京はうなった。左武の方を見ると、彼も同じだという顔をしていた。右京は続けた。「私はどちらも直接は見ていないのであれですが、左武はさておき、署長がそこまで言われるのであれば、やはりそこにはなにかしらあると想った方が良さそうですね」
これも長い付き合いだから分かるのだが、小張の本当の怖さと云うのは、スパスパスパスパと、快刀乱麻を断つが如く謎を解明している時ではなく、どちらかと言えば、いまのような、彼女の身体が、彼女の頭では理解し切れない状況に直面した際の彼女の身体が、安易な解答に飛び付くのではなく、その場で一歩以上を踏み止まり、本当の真実が現われ来るのを待とうとする、その時間と忍耐にこそある――と、そう右京は考えていたのである。
「分かりましたよ、署長」右京は言った。「いまの話は取り敢えず我々三人の中だけで止めておきましょう」ただしもちろん、「もちろん、そのマリサさんにも話くらいは訊きに行きますけどね。ただ――」
左武はしばらく安静だし、三人の中だけで止めるのなら、他の奴らは連れて行きにくい。行くなら署長と俺のふたりだけ。少々こころもとない気もするが――まあ、いざとなったら俺が守るか。
「で?」素知らぬ顔で彼は続けた。「肝心の彼女は、いまどこに?」
*
「なんだい? どっかで見た顔だね」
うす暗い路地裏でそう声を掛けられたとき男は、内心おどろき、と同時に、生物的な恐怖をも感じ取っていた。がしかし、それでも、外見的にはいつもの、あのおっとりしながら邪悪な感じをもあわせ持ったような表情を崩したりはしなかった。少しも。ただ、代わりに、
「本当に?」と隣にいる牧師に訊いた。女から一瞬だけ目を逸らし、小声で。牧師は応えた。
「はい」と無言で、「あの方が船場さんを」と。
「ふーん」とそれから男は視線を戻し、「ご無沙汰してます、奥さん」といつもよりおっとりした口調で続けた。「金平です。金平瑞人。天台さんのところの」
ご記憶の方も多いと想うが彼は、天台烏山の部下のひとりで、失踪中だったペトロ・コスタの後を追ったり、その過程で目の前の女性――と言うか、彼女が乗っ取っている身体の持ち主――とは何度も会って会話をしている、要は、天台烏山の暴力装置のひとりである。女性は応えた。
「あー、あの借金取りか」と顔を少し歪ませながら、「お仲間には悪いことをしたね」
「はい?」と金平は訊き返そうとしたが、すこし考え結局、「あ、まあ、お仲間ってほどじゃないですがね、一応の面識はありましたが」とだけ言って返した。
「え?」と女性も訊き返しかけたが、こちらも少し考え結局、「あー、あのブタ弁護士」と言って苦笑した。「なにかい? あんたがあの後釜?」
「まさか」金平は言った。「法律関係はまったくですから。今回はたまたま、他に人がいないとかで、連絡役だけですよ」
「ふーん」女性は応えた。「連絡役ねえ」とつぶやき、ふたたび顔を少し歪ませたが、その表情は金平までは届かなかった。「じゃあ、次の相手が決まったのかい?」
「ええ、今日はそれをお伝えに」
ちなみに。先ほど彼らは、『お仲間』に関するやり取りの中で微妙なすれ違いを見せていたが、これは、女性が言った『お仲間』とは、彼女が殺し、その身体ごと(今回の巨漢弁護士のように)消してしまった、金平の元相棒、ハダカデバネズミのような石田森夫のことだったのだが、正直金平は、石田の件は半ば忘れ掛けており、そのため、彼の失踪と今回の件がうまく繋がらなかったためであった。
「うん」女性は続けた。少し、歌うような感じで、「今度は? どこの誰だい? 報酬は?」
「今回の二倍」金平は答えた。
「二倍?」女性は笑った。「そりゃ、よっぽど消したい相手なんだね」
「さあ? 私にはよく分かりませんが」
「で? 相手は? 与党の政治家かい? それとも新しい総理大臣かい?」
「あ、いえ」金平は言った。ぶっきらぼうに。政治には興味がないし、政治家になろうなんて奴らは大抵がろくでなしだと想っていたから、「以前、一度お会いした方ですよ」とだけ続けて、スマートフォンの画像を探した。
「え?」彼女、オフェリア・モンタルトは訊き返した。「“一度お会いした”?」
「えーっと? ああ、あった、あった、あった」彼、金平瑞人は答えた。更に調子をおっとりとさせ、「この写真の方なんですがね」と。「ご存知ですよね? 奥さん」
それは、その画像は、我々もよく知る、ある男性の写真であった。
「富士夫さん……?」女性は応えた。つぶやくように。
「ええ、山岸富士夫さん」男は続けた。「数ヶ月前にお父さまを亡くされ事業を継承、それに続く形で、つい先日、お祖母さまも亡くされたのですが、このお宅と天台さんとはかなり以前からの因――」
「あたしに?」オフェリアは訊いた。彼の言葉を遮るように、「天台が?」
「ええ、はい」金平は答えた。背中に少し、冷たいものを感じた。「今回の船場の件を受け、こちらも是非奥さんにと」
「へえ」
「奥さん……?」
すこし長い、沈黙があった。
コホッ。
とちいさな、咳払いが聞こえた。
存在を忘れ掛けている、牧師のものだった。
「オフェリア……」突然、彼女が言った。
「はい?」金平は訊き返した。
「奥さんじゃないし、マリサ・コスタでもない」彼女は続けた。はっきりと、「うん。いいわよ♡」とすこし笑いながら、「受けてあげるわ、この依頼」ただし、もう二度と、「私を『奥さん』なんて呼ばないこと」それから、「『マリサ』なんて呼んでごらん、その場でその首へし折ってやるわ」
(続く)




