その11
左武文雄は呆けた顔で彼女――いや、彼女たちを見ていた。
「『なにしてんの!』」ふたりの中のひとりが叫び、「『はやく! 逃げて!』」
「邪魔を!」とふたりの中のもうひとりも叫んだ。「するんじゃないよ!」と口を半分歪ませながら、「マリサ!」と。
それは、ある種大変滑稽な光景であり、と同時に、それはある種大変不気味な風景でもあった。
と言うのも彼女――いや、彼女たち――は、どうやらどちらも、同じ一つの身体にいて、その主導権争いを行っているようだったから。
彼女の髪は美しいシルバーブロンドとブルネットの間を行き来し、サングラスのすき間からのぞく瞳も、赤や碧、時には黄色へと目まぐるしく変化しているようだった。
「くっそ!」彼女のひとりが左武の方へ向きを変えると、
「『だめっ!』」と残るひとりがそれを阻止する。踊り場の手すりにつかまったりしながら。
床に落ちた拳銃を探してはそれから目を逸らし、伸ばそうとした手は反対の手でひねり上げられる。イエスはノーで、止まれは進め。「跳べ」と言えば「かがめ」と言われる。ふたつのこころに引き裂かれ、彼女たちの身体も、まるで半分ずつに切り分けられて行こうとするかのようだった。
「どうして?!」女は叫び、
「『分からないわよ!』」女も叫んだ。
彼女たちは混乱し、左武も混乱した。何故なら彼は、彼女たちのこころの声が聞こえたからである。それは、混乱と同時に、なにかの痛みや悲しみのようものも抱えている様子だった。そのため左武は――いつかの看護師の声と言葉を想い出したのだろう――、背中の痛みに耐えつつ立ち上がり、
「お、おい」そう彼女たちに訊いた。「大丈夫か?」と、そのひとりに殺されかけていたこともすっかり忘れ、「よければ、俺が話を」――が、これがいけなかった。
「っざけん」彼女のひとりが彼をにらみ、立ち上がりかけたその顎を、そのまま膝で、「な!」と蹴り上げたのある。
「『オフェーリア!』」別の彼女は叫んだが、「『やめなさい!』」その叫びはすでに、左武の耳にすら届かない微弱なものへ変わっていた。
どうやら、正確な理由は不明だが、多分に、左武の言葉がきっかけとなり、彼を殺そうとした女のこころ――オフェリア・モンタルトのこころ――がふたたび、身体の主導権を取り返した様子であった。彼女は叫んだ。
「この!」と先ずは左武のわき腹に。
「この!」と今度は同じく彼の右顎に、固めた拳を入れながら、
「この! この! この! この!」
と彼の額やこめかみ、鳩尾や心臓、それに大きな鼻のまん中辺りを、拳や膝の赴くままに、なにがそこまで彼女を怒らせたのかは分からないが、それでもくり返し、くり返し、くり返し、くり返し、彼女は叫び、左武への攻撃を続けたのである。
であるが、しかし、このとき幸いだったのは、左武にとって幸運だったのは、オフェリアの身体の光は、このとき既に消えており――きっとマリサが出て来たせいだろう――その蹴りも拳も、彼に致命傷を負わせるほどではなかったことであった。
そのため彼は、左武文雄は、朦朧とする意識の中でも、どうにかひざつき屈することなく、よろよろよろと、手すりを、背後の階段のその手すりを、つかむことが出来たのである。そうして、
「あの!」と叫ぶオフェリアが、「くそ女が!」とその視線を、床に落ちたままの彼の拳銃に向けたのをきっかけに、彼は、左武文雄は、
ドンッ!
と最後の力で自身を立たせると、その勢いのまま彼女を蹴り――無論、反撃などは考慮せずに――そのまま、その反動、勢いを使い、
「なにを!」
と叫ぶ彼女も無視して、手すりを乗り越え、階下へと、どこまで堕ちられるか、どこまで逃げられるかも分からない階下へと、長いながい折り返し階段へと、ゆっくり、静かに、ある意味厳粛な殉教者のように、飛び降りて行ったのである。
『やっとかよ』堕ち続けながら彼は想った。
『くそっ』と船場を置いて来たことを後悔しつつ、
『くそっ』とそれをはっきり意識しながら、
『くそっ』ときっと小張が呼んだのだろう、パトカーの音を遠くに聞きながら、
『くそっ』きっと船場は、もう間に合わないだろう、そう理解しながら。
そうして――?
*
「すると、そのリストに僕の名も?」と藤間和雄――に扮した灰原神人は訊いた。彼とヤスコたちの会話は続いていた。
ただ、とは言っても、彼の、灰原神人が藤間和雄から引き継いだ能力については、ヤスコもミスターも十分に驚き感心し、能力に関する質疑応答も、「気が付いたら出来ていた」とか「理由も理屈も分からない」とかの応答ばかりだったこともあり、そちらはほぼほぼ既に完了。いまは藤間 (灰原)の質問に彼女たちが答えるターンに入っていた。続けて彼は訊いた。
「しかもリストはいまも増えている?」と。
一応補足しておくと、これまで灰原が襲い、能力を奪って来た人たち、彼らはそもそも、ヤスコの父・昭仁のリストに載っていた人々ばかりであったが、これは灰原が、昭仁を殺すまでの間に、彼の本や手帳を盗み見たり、または彼から聞いた名前を記憶し、自分用のリストを――能力を奪い殺すためのリストを――作成していたから出来たことであった。彼は続ける。素知らぬ顔で、
「なるほど、それはすごいですね」と。
と言うのも、彼が作ったリストには当然漏れがあり、且つ、問題のアルゴリズム――いまも能力者を探し続けているあのプログラム――について彼は、その存在自体を知らなかったからである。彼は続ける。更に。ひき続き。素知らぬ顔で、
「よほど聡明な方だったのでしょうね、そのお父さまは」と。
実際問題、灰原は昭仁の娘・ヤスコに会うつもりはなかったし、本日ここで出会ったのもまさに偶然であり、どうにかこの場を切り抜け、二度と会わないようにしなければ、と考えていたくらいなのだが、リストの中身――能力を奪い殺す人々の名前――が増えるとなると話は別である。彼は訊いた。
「僕以外の方は?」麦茶をひと口含みつつ、「いま、どのくらい会われたんですか?」
すると、この質問にヤスコは、一瞬固まったのだが、ミスターが肩をすくめるのが見えたので、
「それが――」と苦笑まじりにそれに答えた。「藤間さんが初めてでして――」
大半の方については、住所や電話番号、場合によってはメールアドレスなんかも調べてリストに追加しているのだが、
「やはり皆さん、隠しておきたいのか、それともまだ気付いておられないのか――」
電話に出ない、メールに返事をしないのはまあまだ良い方で、
「中には怒ったり、警察に通報しようとしたり、中には脅迫めいたことを言われる方も――」
と今回の藤間からの承諾メールが来なかったら、調査自体諦めよう、そう考えていたところなのだと。
「ふーん?」と藤間和雄に扮した灰原は応えた。少しの間、考えるふりをしてから、「それなら、こういうのはどうでしょうか?」と。「僕も一緒に皆さんの所に行くというのは」
「え?」とヤスコは固まり訊き返したが、彼の理屈はこうだった。
「メールや電話に返事がないのは、もちろん何かの勧誘だとか、あるいはただのいたずらだと想ったのかも知れませんが、それとは別に、今回の僕みたいに、ただただ能力を他人に知られたくない、隠しておきたいと云う方もも、少なからずいると想うんですよね」
「なるほど?」
「だけど、そんな彼らにも、これも今回の僕みたいに、能力を持ってしまったことに悩み、それを誰かに打ち明けたい、共有したい、そういう気持ちを持たれているひとも、必ずいらっしゃると想うんですよね」
「ああ、まあ……それはたしかに」
「で、そんな状況の方に、能力を持っていない先生たちだけで会いに行くよりは、同じ境遇にあって、同じ悩みを持つ僕のような人間も同行した方が、彼らもこころを開きやすい。そう想うんですよね――たとえ信じてくれなくても、僕の力を見せれば一発でしょうし」
「なるほど、なるほど」
と、こんな彼の話に感心し、関心を示すヤスコだが、たしかに。リスト先への訪問に行き詰まりを感じていたのは事実だし、事情を理解し協力してくれる当事者がいるというのは大変こころ強い。彼女は訊いた。「どう想う? ミスター」
「うん?」ミスターは答えた。いまだ彼らの横で腕を組み、考えを巡らせているところではあったが、「あ、うん、いいんじゃないかな」とそれでも、ずっと抱えている疑問符はポッケにしまったまま、「もちろん、藤間さんの負担にならなければだけど」
「ええ、それはもちろん」藤間 (灰原)は応えた。「いまは仕事もやっていませんし、それに何より、同じ悩みを、こんな特殊な悩みを、持つ人の力になれるのなら、こんなよいことはありませんよ」
が、もちろん、くり返しになるが、彼・灰原神人の目的は、他の能力者の悩みを聞くことでも、その悩みに寄り添うことでもなく、その悩みを元から絶ち、彼のものにすることにあった。彼らの生命と一緒に。
(続く)




