その7
「結局今日は、ヤスコ先生と一緒じゃないんですか?」
と、佐倉八千代が赤毛のエイリアンに質問していたころ、その赤毛のエイリアン・ミスターは、樫山ヤスコと一緒に、とあるアパートの前に立っていた。
がもちろん、皆さま既にお気づきのとおり、八千代が質問をしたミスターと、ヤスコと一緒にいるミスターは違うミスターである。
あ、いや、もちろん、同じと言えば同じミスターではあるのだけれど、それでも彼らは、それぞれ違う時間帯のミスターであり、前者のミスターは、後者のミスターがヤスコと一緒にこのアパートへ来ることが決まったため、その後者のミスターが、昨日急遽、ぴゅーッと数日後? 数週間後? の未来へジャンプ、
「ごめん、ちょっと手伝ってよ」
と言って呼び出して来た方のミスターであり、昨日ヤスコに正座させられていたのはもちろん後者のミスターで――って、あ、いや、そう言う意味だとどちらのミスターもヤスコに正座させられた経験はあるのだから、正確な区別にはならないのだけれど、あ、でも、それでも、ここで言う『昨日』ってのは、それぞれのミスターの主観による『昨日』であるからして、『昨日ヤスコに』と書いておけば、後者のミスターが、丁度昨日ヤスコに正座させられていた方のミスターであることは読者の方々にも分かっ――あ、でも、ここで言う『昨日』が、物語上の『昨日』であることは明白なわけだし、そこはわざわざ書かなくても、読者の方には伝わるだろうから、こんな風に書いておきさえすれば、それだけでどっちのミスターがどっちのミスターか皆さんにもご理解頂けるわけであるから、正直、こんな長ったらしい言い訳・注釈は入れなくても…………よかったですよねえ?(知らねえよ)
*
と言ったところで。
なにやら作者本人が一番混乱しているようではありますが、そこはそれ、読者の皆さまのSF小説リテラシーにおんぶにだっこ、あんまり気にせず、このままお話は進めさせて頂きたいと想うわけであります。が、要は現在、ヤスコと赤毛のミスターは、彼女の父親が遺したリストーー『転生者』たちのリスト――に載っていた人物のひとり、藤間和雄が暮らすアパートの前に立っていたわけであります――と言ったところで。(二回目)
「ここ?」とミスターは訊いた。そんな作者の気苦労なんか知りもせず、「なんで自宅に? 君が女の子だってのは伝えてあるんだろ?」と問題のアパートを見上げながら。
「ここの303号室ね」ヤスコは答えた。「『能力』のせいで外に出るのが怖いんですって」と言ってアパートの階段を上り始める。「だから二人きりにならないようあなたが付いて来ることも言ってあるし、OKも貰っているから、失礼のないようにだけね」
「『能力』ってのは?」ミスターが訊いた。
「メールじゃ言いたくないって」ヤスコは答えた。「いままで誰にも信じて貰えなかったし」三階に着き部屋番号を確認しつつ、「それで傷付けちゃった人も――って、あ、303。ここね」
ピンポーン。
とそうして彼女はチャイムを押したが、
…………。
「あれ?」
ピンポーン。
………………。
と二度鳴らしても返事はなかった。
「アポは取れてるんだよね?」ミスターが訊いた。
「うん」ヤスコは答えた。スマホのメールを再度確認、「今日のこの時間で合っているはずだけど――」
ピンポーン。
……………………。
がしかし、それでもチャイムに返事はなく、
「……あれ?」とその不愛想な扉に、彼女がミスターの方をふり返ろうとした瞬間、
『……はい?』とようやく誰かがそれに答えた。『どちら様ですか?』
「あ、すみません」ヤスコは応えた。声を整え、「こちら、藤間和雄さんのお宅でよろしかったでしょうか?」それでも何か、ちょっとした違和感のようなものを感じながら、「私、今日の14時にお約束している樫山ヤスコというものですが――」
何故なら、ドアホン越しに聞こえた声が、メールの文面から彼女が想像していたよりもずっと若い、どこか健康な印象すら受けるものであったからである。
「ちょっと早いのですが、よければ開けて頂けますか?」
*
件の巨漢弁護士・船場偉月の狭隘な世界観、人間観、いわゆる『金は金、ビジネスはビジネス』でしか人は動かないとする考え方が、彼の顧客に対する選球眼を鈍らせ、今回の悲劇を避け切れなかったことは前にも書いたとおりだし、また、それとは別に、それとは別の心の論理により、彼が家で飼っている三匹の猫のことを心から愛していたのも、これもまた以前に書いた通りであった。彼は言った。大きな身体を壁に預けて、
「す、すまない、刑事さん」とまっ赤な、泣き出しそうな顔で、「ね、ネコ、い、家に」と息を切らせながら、「か、かの、彼女たち、に、エ、エサを、俺が死んだら」
ここは、彼の事務所がある雑居ビルの裏階段。その五階と六階の丁度中間地点で、頼まれた側の刑事・左武文雄は、両手に拳銃を構え、耳を、こころの声を聴く方の耳を、澄ませながら、上に向かうか下に戻るかを思案していた。彼は応えた。
「うるせえ」とドスの利いた声で、「静かにしてろ」
何故なら彼は、船場偉月を殺しに来たであろう人物――あれは女で、たぶん外国人。細身で、全身黒ずくめで、これも多分だが、武器は持っていなかった――その彼女が、こころの声の聞こえる範囲にいるかいないかを注意深く確かめようとしていたからである。
「くっそ」彼はつぶやいた。「ありゃあ、やっべえぞ」
確かに。その人物はかなりやばかった。
エレベーターに乗っている時点ですでに、軽く、悪意のない、しかし確かな殺意を発していたし、そこには迷えるなんちゃらみたいなものの立ち入る隙もない様子であった。
正直、偶然左武が『声』を聴き、そのまま船場を彼女から引き離せたのも、ただただ幸運と呼ぶしかなかった。なかったのだが、
「ね、ねこ、」と続けて偉月は弱音を吐いて、「た、たのむ、刑事さん」とそのままそこに座ろうとした。
イラついたのは左武である。彼は、
「おい、こら、死にてえのか」と偉月の襟首を掴むとその巨体を立たせようとした。「まずは生きろ、話はそれからだ」
が、しかし彼は、問題の人物、女性が、先ほど事務所のドアを蹴破ったときの音や、その後、逃げる彼の背中に向け、持ち上げた事務机をまるでドッヂボールでも投げるかのように投げ付けて来た時の非現実感、いや、彼がこれまで見過ごして来た、見ないふりをして来た、様々な『善くないこと』が傲然と彼めがけて投げ付けられてくる現実感のようなものを想い出したのだろうか、自身の死期の近いこと、また仮に、この窮地を乗り切ったとしても、その死神の鎌はほどなく自分の首もとに届くであろうことを悟った様子でもあった。
「だ、ど、どうせ」彼は続けた。左武の腕をつかんでほどき、「む、む、むり、むり、むり、むだだ」とふたたび、その場に座り込みながら、「だ、だから、だからね、ねこ、ねこを、刑事さん」
が、しかし、だからと言って、言われるがままに彼を見殺しにすることは、左武の職業倫理、いや、持って生まれた根拠のない有責感が許さなかった。彼は言った。
「やってみなきゃ分からねえだろうが」と再び偉月を引き上げながら、しかし、
「わ、わか、わかる、分かる。む、無理なんだ」と偉月はくり返し、二人はいわば、静かに揺れ動く平衡物質のような格好になっていた。
「どうして分かるんだよ?」左武が訊いた。
「あ、あ、あれ、」弁護士は応えた。「あ、あ、あの女。き、き、きっときっと、て、て、天台さん、の指示だ」
そうして――?
*
「はい。すみません、小張です。至急応援をお願い致します」
そうそうして、これと時間を前後して、同じビルの船場偉月法律事務所では、その部屋の惨状に――扉は破られ、壁に机は叩き付けられ、硝煙の匂いも微かに残るその部屋の状況に――事態の異常さ深刻さを理解した小張千秋が、右京海都に連絡を取っているところであった。
「いえ、左武さんは船場さんと一緒にいます」小張は続け、「問題の――」と言い掛け少し考え、「殺し屋? から船場さんを守ろうとしてくれています」
彼女は、先ほどのエレベーター前で、異変を感じた左武から、「署長は隠れていて下さい」と状況も飲み込めぬまま避難させられると、そのまま物陰から、彼が船場の事務所に戻るところ、その後ひとりの女性がエレベーターから下りて来るところを見、それからすぐに、船場の事務所から彼の叫びや物の飛び交う音、それにきっと左武のものであろう銃声、そんなようなものを聞き、物陰から出ようとしたところで、裏階段へと逃げ込んで行く左武と船場、それに、それを追いかけるように続く女性の姿を確認、そこからひとりで、この事務所へと戻って中を見ると――いまの状況になっていたわけである。
「いえ、発砲は左武さんだけです」と小張。引き続き右京に電話で状況を説明しようとするが、「相手は女性がひとり。武器等の携帯はなく……あ、いえ、スラリとした、どちらかと言うと細身の方で――」
と、言葉で説明すればするほど、どうして応援が必要なのか? の説明が難しくなるように感じてもいた――が、とにかく、
「とにかく、現場を見て頂ければ分かると想いますので、大至急応援をお願いします――左武さんになにかある前に」
それから彼女は、右京の了解を待って、電話を切った。電話の間中、問題の女性の正体について、右京に話すかどうか悩んでいたのも、現状の説明を難しくしている原因のひとつであった。
そう。それはあくまで遠目から見ただけのものであるし、彼女の服装も、まとっている雰囲気も、まったく別人のそれのように見えたが、それでもやはりあれは、あの女性は、先日署で会ったばかりの、マリサ・コスタその人であった。
(続く)




