その6
「それでは失敬して」
そう言うと船場偉月は煙草に火を点けた。紫煙をくゆらせ、それを吐き、それこそ本当に、目の前のふたりを煙に巻こうとでもしているかのように。
今日ここに彼ら――小張千秋と左武文雄――が来た理由、それは、例の心療内科医殺しの容疑者・黒鉄有実の国選弁護人となる人物――それは船場偉月に負けず劣らずの守銭奴であったが――と彼の関係、もっと言えば、誰の指示で、その人物に黒鉄の弁護人になるよう船場が依頼をかけたのか? それを探るためであった。であったが、
「私も彼には」船場は続けた。言葉を煙で隠しつつ、「私も彼には、国選弁護なんて金にならないもの、やるだけ無駄だと、ずっと、それこそ十年以上、言って来ているつもりなんですけどね」と少しわらって、「なのにあいつ、『弁護士としての責務が』とか、『名前を売るには持ってこいだ』とか、そんなよく分からん理由で続けてましてねえ」それから僅かな怒りを込めて。
一応補足しておくと、『国選弁護人』とは、貧困等の経済的理由から個人で弁護士を雇えない被疑者・被告人のために国が代わりに用意してくれる弁護人のことで、被疑者・被告人の請求を受けた裁判所が、法律相談支援センター(法テラス)に依頼、法テラスが候補者を指名し裁判所がそれを選任し決定されるものなのだが、これら費用は国の負担となるわけで、弁護士視点からすると、先ほど船場も言ったとおり、『金にならないもの』であり、場合によっては実費負担が報酬を上回るケースも少なくなく、それにそもそも、法テラスと契約しておかなければならないし、『誰のどんな事件に当たるのか?』は、弁護士本人にもほとんど選べる余地はないのである。
「ほんとに、バカバカしい制度だ」と船場は続けるが、ここで奇妙な点がみっつ。
ひとつは、今回黒鉄有実の国選弁護人となる予定の人物――特に名前を憶える必要もないが、上岡太一――は、先にも書いた通り、船場に負けず劣らずの守銭奴であり、こんな国選弁護をする理由がよく分からないこと。
ひとつは、この上岡がこれまで実際に国選弁護人に選ばれたケースは、他の法テラス契約の弁護士と比べて極端に少ないこと。
そうして最後のひとつは、このような状況にある守銭奴的弁護士が、船場偉月のまわりには他にも数名いたこと、である。
そう。
つまり今回小張が推理したのは、表立って頼めない仕事(殺人等の何らかの犯罪)を依頼し実行してくれた相手、私選弁護人を付けることで関係を周囲にバラされたくない相手に対し、例えば裁判所や法テラスに手をまわすことで、腕利きの弁護士を付けてやるスキームが何処かにあり、船場偉月がそのハブに、そうして、その依頼元・資金の出どころが、最近ちらほら見え隠れする天台烏山、あるいは彼のグループなのでは? というものであった。が、しかし、もちろん、
「ほんとうに、バカバカしい制度だ」と船場はにやけてくり返し、そんなスキームがあることなどはおくびにも出さない様子であった。そうして、
「っと、そろそろ仕事に戻らないと」とある意味唐突に彼が言って、「他になにか訊きたいことは?」
と、彼らの話はここで強制的に終了された――が、しかし、そんな『おくびにも出さない』であろうことは、小張も左武も十分に分かっていたので、
「で? どうでした?」と小張は訊いた。小声で。事務所の扉が閉まるのを待ってから、「船場さんのこころの声は?」
「小張さんの推理どおりでしたね」左武は答えた。こちらも小声で。彼女の後をエレベーターホールへと向かいながら、「ただ依頼者、金の出どころまでは言っていない、考えないようにしていました。そこまで来ると変な歌とかうたう感じで」
「ふーん?」小張はうなった。左武に船場の心の声を盗んで聞かせ、出来れば『天台』の名前が出て来るところまで行ければと想っていたのだが――、
「まあ、でも」とここで左武。「そう言ったスキームがあることは分かりましたし」小張のセリフを先取りするように、「右京の調査で金の流れが分かって来れば、この件への天台の関与もいずれ見えて来ますよ」
「そうですね」とここで小張。左武の言葉に応えつつ、そのまま会話を続けようとしたのだが、『うん?』と一瞬顔を歪ませ、エレベーターのボタンを押しつつ、「ひょっとして聞きました? 私の声?」
と言うのも、この頃になると左武は、他人の心を聴くためのスイッチを、ほぼほぼ自由に、自分の意思で、切り替えられるようになっていたのだが、
「あ、す、すみません」と、いまのような切り忘れや、「切ります、切ります、いま切ります」といった、彼の意思とはちがった不用意な起動もまだまだ時折り見られるからであった。
「まったく」小張は続け、「左武さんのことだから変な使い方はしないと想いますけど、注意だけはして下さいよね」
「は、はあ」左武は恐縮した――が、今回はこれがよかった。と言うのも、
『まずは肺を叩いて呼吸を止めて、倒れたところで首の骨……、いや、あんまり簡単なのも芸がないから、足を折って、床に座らせ、色々言葉でなぶってから……』
と何処からともなく――いや、上がって来るエレベーターの中から、また別の女の声、こころの声が聴こえて来たからである。軽く、悪意のない、しかし確かな殺意を帯びた女の声が。
『あのブタ野郎、最初っから気に食わなかったのよね』
と、左武はまだ聞いたことがなかったが、それは、天台からの依頼で船場偉月を殺しに来た、オフェリア・モンタルトのこころの声であった。
『ひとのからだ変な目で見てやがったしさあ――サービス過剰に殺してあげましょ♡』
そうして――?
*
「あれ?」
とそうして同じころ、佐倉八千代もまた、奇妙な状況に対応、頭を整理しなければならなくなっていた。
まあ、とは言っても、ここ数日の彼女は、最近死んだばかりのどこかのおばあさん(霊体)に師事することになったり、そのおばあさんから自身の能力について、『ああ、こりゃ魔女の血だね』と軽い感じで突き付けられたり、その能力を訓練するとの名目で、(多分に作者の想い付きで)最高時速360kmのピッチングマシンの前に立たされていたりしたので、奇妙な状況にはいよいよ慣れていたのだが、今回のこれは、そういうのとはまた違った奇妙さであった。彼女は訊いた。
「今日はヤスコ先生と一緒じゃないんですか?」といつものエイリアンに向かって。それから、「あと、そちらの子は?」と。
ここは、最近ずっと特訓用に使っている石神井公園氷川神社裏手の林で、午前の講義を終えた彼女が来てみたら、その問題のエイリアンが、若い、高校生くらいの女の子に、例のピッチングマシンの操作と調整方法を教えているところであった。エイリアンは応えた。
「え? あれ? まだ会ってなかったんだっけ?」と先ずは八千代を、次に女の子の方を見て、「ゆき子ちゃんは? はじめましてだっけ?」
すると、その女の子――彼女はすこしぽっちゃりしていて、どこかリンゴのような雰囲気を持っていた――は、つくづく呆れたという顔で彼を見返し、
「あのですね、ミスターさん」とため息まじりにそれに応えた。「私の方は、それこそこのまえ八千代さんに初めてお会いしましたけれど、ここってあれからまた更に何日前? 何週間前? の石神井公園なんですよね? だったら、八千代さんの方はまだ私を知らなくてもおかしくないんじゃないですか?」
「あれ?」ミスターは言った。「そうだっけ?」と続けて色々想い出そうとするが、
「そうですよ」とリンゴのような女の子――清水朱央の同級生・高嶺ゆき子も言うとおり、「ほんと、タイムラインぐちゃぐちゃなんですから、あなた」
と周囲はおろか、本人すらあまりの“くんにゃらがりのくんにゃらがり”に、自分がいつどこのどんな時点のミスターなのかからあやふやになっている様子であった。そのため、
「まったく」彼女は言うと、くんにゃらがったままのミスターはさておいて、「はじめまして、高嶺ゆき子です」
と丁寧なお辞儀と笑顔で八千代に自分を紹介した。おかげで八千代も、ついついつられて、彼女に自分を紹介したのだが、それからふたたび改めて、
「あれ?」となってミスターに訊いた。「結局今日は、ヤスコ先生と一緒じゃないんですか?」
(続く)




