その4
《前回までのあらすじ》
貧乏小説家・樫山ヤスコは、銀行の預金残高が(ちょっとかなり引くぐらい)厳しいにも関わらず、色んな仕事の締め切りスケジュールを(こちらはドン引きするくらい)忘れ、無視していた。果たして彼女は、無事原稿を間に合わせることが出来るのだろうか……?
*
「ヤスコちゃんのことだからどうせ誰とも会えていないだろ?」と赤毛のエイリアンは言った。「それきっと、僕も手伝う流れだよ」
ここは、練馬区石神井公園氷川神社――の裏の林。
このときヤスコは、問題のリスト――彼女の父・昭仁が遺したある人たちに関するリスト――に載っていた山岸まひろに出会うため、失踪中の彼女を捜していたのだが、その途上、こちらの赤毛が、山岸まひろ失踪に何かしらの関与をしていること、また、それとは別に、こちらの赤毛が、可憐な女子大生・佐倉八千代に、いらんお節介をかけているらしいことを認識、ナンヤカンヤの捜索の末、どうにかその現場を押さえたのだが、そしたらこれがまたあなた、このバカ、嫁入り前の娘さんに時速360kmのボールをぶっつけてたわけですよ、しかも、自作の改造ピッチングマシンで。何度も何度も何度も。こんなの、いくら天が許そうと、このヤスコ先生が許さないわよ――、
ってんで、八千代ちゃんを助けようとしたヤスコ先生でしたが、どうやらこれは八千代ちゃんご本人も納得づくの訓練だったらしく、要は、正体不明の殺人鬼に殺された彼女の友人・森永久美子さんの仇を討つため、彼女の能力を高めようとしている訓練だってことがヤスコにも分かり――、
って、ちょい待ち。なんかこっちの方が、さっきの締め切り云々より『あらすじ』っぽくない? 前回までの――ってなに? え?
『それ以前の問題として、一文がやたらと長くて読みづらい』?
あーねー、それはねー、私自身が情報整理のために書いている部分だからなんですけどね――って、じゃあ、ここまでの流れはそろそろいいかな? え? なに? なんですか?
『そもそもこんなの要らなかった』?
って、うるさいなあ。で、まあ、要は、ここで更にお話は――と言うか、ミスターのタイムラインは分岐するってことなんだけれども――、
*
「手伝う? あなたが?」ヤスコは訊き返した。「それはまあ……その方が」毒を以て毒を制する感じで心強い気はしますけれど、「いいの? あなた八千代ちゃんの特訓があるんじゃない?」
「まあ、そこは僕、タイムトラベラーだからさ」
「はあ?」
「じゃあ、どうしよう? たしか締め切りが詰まっているんだよね?」
「え?……そんな話したっけ?」
「そこはほら」とここでミスター、何やら言おうと口を開けるが、「あ、待って待って待って」と突然左手首のデジタル時計を見る。「そろそろなんじゃない?」
「は?」と訊き返すヤスコ。「なにが?」
すると、こちらも突然、
ブブッ、
ブブッ、
ブブブブブッ。
と彼女のスマートフォンは鳴り、
「あ、ほら、やっぱり」とミスターは続けた。「たぶん、『リスト』の誰かだよ」
*
その青年は若く、大陸と日本との混血で、酒もタバコも薬もやらず、健康そうな目と肌の色をしていたが、この取調室に来たことを明らかに後悔していた。
もちろん。彼に拒否権はなかったが、彼が犯してしまった(と証言している)罪よりも後悔しているように見えた。
彼は、必要以上によそよそしく、疑い深い態度で、いまにも意識が途切れそうなほどに眠そうな目をしていた。小張千秋が言った。
「それでは、すでに何度も話した、くり返された内容かも知れませんが、まずは調書を読み上げ、確認させて頂きますね」
室内のエアコンは調整が効かないのか異様に寒く、大柄な左武や右京、担当刑事の瀧口はさておき、小柄な小張はカーディガンを羽織っていたし、細身の彼――問題の心療内科医殺しの容疑者・黒鉄有実は、白のTシャツ姿で肩をぶるぶる震わせていた。
「すまない、刑事さん」彼は言った。目の前の小張ではなく、彼の担当刑事と部屋の反対側に立つ左武と右京に、「この……この人も刑事なの?」
少年のような顔と身体の小張にどう接したらよいか分からない様子であった。がしかし、
「おい、黒鉄」と担当刑事は慣れたもので、「失礼なことを言うな」小張にひとつ目配せしつつ、「うちの署長で、たいそう立派な刑事だ」
「え?」青年は訊き返した。半分おどろき、半分わらって、「こんな若い子が?」
それから彼は、左武と右京の方にも目をやったが、彼らは彼らで黙って静かにうなずいていた。
「へー」彼は続けた。改めて小張の顔や身体をじろじろ眺め、「それは分からないよねえ」ヘラヘラヘラヘラ笑いながら。すると、
「おい」と突然左武が、「いいからマジメに調べを受けろ」とドスの利いた声で彼に注意をうながした。
何故なら彼は、この時すでに、『こころの声を聴く』モードに入っており、青年が小張に対して始めた卑猥な妄想を聴き取ってしまったからである。
「そのツラはったおすぞ、くそガキ」
*
「それで? どうでした?」
それから三十分ほどがして取り調べは終わった。小張も右京も、左武がなににあれほど怒っていたのか分からなかったが、
「なにかおかしな声は聴こえましたか?」続けて小張が訊いた。
「え? ああ、まあ」左武は答えた。「白って言うか黒ですね、調書どおりですよ」と小張の方には目を向けず、「あの医者を殺したのは間違いなくアイツのようです――まあ、少なくとも、あいつの声を聴く限りはですが」
「ふーん?」小張が訊いた。左武の言葉を聞きとがめて、「その“少なくとも”と言うのは?」
黒鉄有実との問答で小張が気付いたのは、彼の言葉には典型的な二つの特徴があるということだった。ひとつは、自分を大きく見せたがるという見栄(これは小張への態度からでも分かった)、それともうひとつは、どんなことでもよいから人に認めて貰おうという虚栄心(こちらは、担当の刑事や怒りを見せた後の左武への態度などから分かった)であった。
彼、黒鉄有実は、それら二つの特徴を、どうにか隠して誤魔化そうと、首をかいたり顎をなでたりしていたのだが、それは小張ら刑事に取っては逆効果だし、また、今回の場合は、より奇妙な違和感を小張に与えた。左武が答えた。
「調書通りなんですよ、あいつ」と。「もちろん言葉づかいなんかは微妙に違いますけどね」それでも、普通の人間がするような記憶や言葉のブレがなく、「三文役者が決められたセリフをそのまま演じてる感じだったんですよ、こころの中でもね」
「なるほど」とここで小張。左武の言葉に、我が意を得たりとにんまり笑うと、「やっぱり、左武さんもそう感じてたんですね」
彼女の感じた違和感。それはもちろん、左武のように直接こころの声を聴いたわけではないが、それでも、あの容疑者の言葉のトーンが――前述の見栄や虚栄心を刺激してやっても――調書の核心部分に近付けば近付くほど、まったく変化しない点にあった。小張は続ける。自分でもおかしな推理だなとは理解しつつ、
「偽物の記憶、殺人の記憶を植え付けられているんじゃないでしょうか? 彼」
と、まあ、それでも、目の前のこの人も、『こころの声が聴こえる刑事』だしなあ、とちょっとおかしく想いつつ。
「あり得ますね」左武は答えた。答えた後で自分の答えに首を傾げ、「もう、『あり得ないことはあり得ない』くらいの気分ですよ、私は」
と同時に、ここ最近連続している奇妙な事件や容疑者たちを想い出しながら。
「うん」と小張はつぶやいた。「すると、彼の証言は一旦なかったことにして、とは言っても釈放は難しいのでこのまま勾留、釈放出来れば泳がして、その記憶を植え付けた人? 集団? が彼に接触するところを――って違いますね」
と続けて今度は押し黙った。急に。廊下の天井灯を見上げて立ち止まった。腰に手を当て、口を半開きにして、上下にゆっくり揺れながら。
「署長?」先ずは左武が声を掛け、
「大丈夫ですか?」と右京がそれに続いて彼女に訊いた。「なにか、気になる点でも?」
「弁護士は?」小張はつぶやいた。誰に問うでもなく。そうして、すこし傾いてから、誰かに訊いた方が早いことに気付いたのだろう、
「弁護士さんは?」そう右京に訊いた。口は半開きのままだった。「黒鉄さんの」
「え?」右京は答えた。左武と顔を見合わせてから、「それは多分、国選の弁護士が付くのでしょうけれど――」
黒鉄有実の生活状態では、私選弁護人を雇うお金も伝手もなく、そもそも考えすら出ないはずだ。
「すぐに調べて下さい」小張が言った。
「調べる?」右京は訊き返した。「って、誰があいつの弁護士になるかをですか?」
「ええ、はい、もちろん」
「でも、国選ですよ?」
「ええ、でも、きっと、天台――いや、例の巨漢弁護――いや、あの方の知人か関係者が、黒鉄さんの弁護人になるはずです、たぶん」
(続く)




