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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第十五話「正義と自由と公正と平等」
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その3


 その夜、同じベッドのペトロが深い眠りに付いているのを確認するとオフェリアは、そっと静かに部屋を出た。音を立てないよう、裸足で。


 彼女がベッドを脱け出した理由はふたつあった。


 ひとつは、例の牧師が掛けた魔法――じゃないんでしょうけど、その手のなにか――が効果切れしていないか、妹のマリサがこちらに出ようとしていないかを確認するためであり、ひとつは、先ほどの迷惑メール――を装った天台烏山の秘書からのメール――に承諾の電話を返すためだった。


 うす暗がりの洗面台に立つと彼女は、小さなライトを点け、鏡に映った自分を見詰めた。


 マルーン寄りのきれいなブルネットに彼女本来のシルバーブロンドが数筋見えた。妹のブルネットでそれを隠す。鏡に顔を近づけ、瞳の奥を確かめる。


「マリサ?」


 試しに小さく声に出してみたが、妹からの返事はなかった。きれいな顔してるわね、あんた。


「私もだけどさ」


 と声には出さずに苦笑した。洗面所の扉を閉め、スマートフォンを取り出し、音量を絞って、教えてもらった番号に電話をかけた。


 プルルルルルルルル。

 プルルルルルルルル。

 プルルルルルルルル――カチャ。


『もしもし?』女の声がした。『それで?』天台烏山の秘書・友枝久香だった。『あの段取りでよかったかしら?』


「ええ、まあ」彼女は答えた。手短に。「明日、午後、殺りに行けばいいのよね」


 そうして――?


     *


 そう。そうして、この同じ夜、山岸富士夫も洗面台の前に立っていた。もちろん彼女とは違う洗面台の前にだが。


 その十分ほど前、彼は寝付けず、寝室の天井を眺めていた。すると突然、その天井が白く溶け出しこちらに落ちて来るような錯覚に襲われた。そのため彼は、枕もとのスマートフォンに手を伸ばすと、ニュースかSNSで気を紛らわせようとしたのだが、そこに書かれた全ての文字が、過去の自分を責め立て、煽り、嘲り、罵倒するような気がして来たので、すぐにその手をひっこめた。妻の寝息が聞こえた。そのため彼は、身体の欲望とはまた別の欲望、その枯渇により、彼女を抱きしめ、覆い被さり、その温かさに救いを――いや、救いなんてきれいな言葉で自分を誤魔化すな、山岸富士夫――求めようとしたのだが、彼女の病気や、過去の自分の不甲斐なさに想い至ると、なんとかそこに踏み止まり、ベッドを脱け出し、それからこちらも裸足で、そっと、静かに、部屋を出た。


 洗面台の小さな灯かりの下で彼は、ゆるみ始めた腰回りに苦笑し、しわの増えた顔に苦笑し、苦笑の下にひた隠しに隠している自身の弱さに苦笑した。


『驚かないでね、富士夫さん』昔の恋人の――彼女の声は変わらず美しかった――が想い出された。『ひかりが生きてたわ』


 そう。彼女の声は変わらず美しく、優しく、その電話が、自分を責めるためでも咎めるためでもなく、ただただ、『伝えておくべきことだと想ったの』というそれだけの理由であることは分かった。彼を責め立て、咎め立て、あざ笑っているのは彼自身だったし、彼は、彼自身の想いに羞恥し、狼狽し、言葉を失い、彼女に言葉を返せなかったのである。


『富士夫さん?』昔の恋人――山賀理主――は言った。まさかここまで、彼が狼狽えるとは想っていなかった。『ごめんなさいね、別に困らせるつもりはなかったんだけど』それでも、自分ひとりで抱え切れるものでもなかったのだ、と。


「あ、ああ」ようやく彼は応えた。がしかし、それ以上の言葉を彼は見付けられなかった。


『ごめんなさい』ふたたび理主は言った。『一応、私の番号だけ教えておくわね』――もし話せるようになったら、掛けて頂戴。


 プツ。


 そうして会話は終わった。が、しかし富士夫は、まだ、彼のひとり目の娘が生きていた、という事実しか知らなかった、分からなかった。彼女がいまいるその場所も、その見た目も、どんなアイスが好きなのかとか、自分と一緒で冬は苦手なのかとか、あるいは、いま幸福に暮らせているのかとか、そういうことを、なんにも。


 ふたたび彼は鏡を見つめ、出ていた鼻毛を数本抜いた。白いものが一本、まじっていた。涙のにじんだ瞳をのぞき、まだ見ぬ“ひかり”の姿を想像した。理主に似たなら、さぞかしかわいい女の子だろう。自分に似たなら、少しかわいそうかも知れない。


「うん?」


 とここで彼は、なぜだか、妹・まひろの顔を想い出してしまった。ふたたび苦笑した。なるほど。なにかの遺伝の具合で、あいつに似ててもおかしくない。と言うか、女の子なら、俺に似るよりあいつに似た方が――、


「って、そうか、そうか、そうだった」とここで彼はつぶやいた。小さな舌打ちひとつして、「あのバカ、まだ見つかっていないんだった」


 洗面台のスマートフォンを見る。彼の妹・まひろは、昨日(一昨日か?)、体調不良で寝込んでいたはずの祖母の家から突然姿を消し連絡も取れなくなっていたのだった。そう。そのため彼は、昨日本日と、事情を知っていそうな行政書士に小説家、赤毛の外国人や、こちらも赤毛の女子学生などに話を聞いて回っていたわけだが、彼らの話は、妙な説得力はあるものの、聞けば聞くほど意味不明、時間だ、空間だ、魔法だ、幽霊だのと言った単語さえ飛び出す始末で、取り敢えず連絡先だけは交換しておいたのだが――ああ、そう言えば去り際、


     *


 ビジ、ジジジジジ、ジージ、ジジジジジッ。


 と赤毛の外国人が奇妙なレンチをこちらに向けて来ていたな。


「なんですか? それは?」彼が聞くと、


「あ、いや、なんでもないですよ」と外国人は答えていた。「おまじない? あいさつ代わり? みたいなもんです、お兄さん。気にしないで」


「はあ?」


     *


 とここで彼は、ふたたび洗面台横のスマートフォンを見た。それに手を伸ばし、電話やメッセージが来ていないかを確認した。がもちろん、まひろからも彼らからも連絡は入っていなかった。朝まで待ってやはりなにもないようなら、まひろの件は警察に捜索願いを――と考えかけたところで、理主から聞いた、彼女の電話番号が目の端に入った。自宅と携帯。洗面所の壁に身を預け、そのまましゃがみ込み、まだ見ぬ“ひかり”と、行方不明中のまひろ、妻の美紀、それから昔の恋人、理主をそれぞれ想い出してから彼は、


「むーん」という軽いうなりとともにその番号に電話した。自宅の方に。


 プルルルルルルルル。

 プルルルルルルルル。

 プルルルルルルルル――カチャ。


『はい。どちらさま?』電話に出たのは寝ぼけた声の老婆だった。『少々、お待ちください』


 数分後理主が出た。どうやら彼女も起きていたようだ。


「夜分にすまない」彼は言った。開口一番、「いちど、会って話せないかな?」


 そうして――?


     *


 そう。そうして、この夜、樫山ヤスコも洗面台の前に立っていた。もちろん彼らとは違う洗面台の前にだし、彼らとちがい彼女は、これから更にいくつかの仕事をこなさなければいけないのだけれど。


 そう。彼女は仕事を溜めていた。溜めにためていた。と言うのも、ここ数日の彼女は、締め切り間際&オーバーの書評やエッセイや別名義の女性向け小説なんかを半分無視したまま、父親の遺した奇妙なリストの解読や、そこに出て来る人々の特定~接触その他を試みたり、それから派生した山岸まひろの捜索お手伝い――からの、いつもの赤毛エイリアンへの説教・注意喚起等々などで、テンヤワンヤにくんにゃらがっていたため、そろそろ本気で、本業=飯のタネへの影響が出そうだったからである。しかもあの宇宙人、どうやって八千代ちゃんをだまくらかしたかしらないけれど――、


     *


「信じて下さい、ヤスコ先生。これは、私からお願いしたことなんです」


 と彼女本人に言わせてたんだけどさあ、だからって時速360kmの野球ボールよ? 八千代ちゃんの身体になにかあったら、彼女のファン(≒『シグナレス』の常連たち)が暴徒と化すんじゃない?


「でも……、こうでもしないと……、私……」


 うーん? まあ、森永さんの件は私も聞いて驚いてるし、憤りを感じてもいるけど、だからと言って八千代ちゃんがそこまでする必要も……、


「でも、でも、私がきちんと力を使えていたら、ひょっとしたら森永さんだって」


 と、まあ、いまにも泣き出しそうな彼女を見ると――くっそかわいいなあ、この子――何も言えなくなってしまったので、


「分かったわよ」とせめてもの妥協案をふたりに伝えた。「そしたらせめて、プロテクター的なものくらい着けてよ。八千代ちゃんの青アザとか、これ以上見たくないもの」


 すると、


「ありがとうございます! ヤスコ先生」


 と犬みたいに抱きついて来る八千代ちゃんなんだけど――ほんとかわいいな、この子――その様子を横で見ていた宇宙人が、何を想ったのか突然、


「あ!」と言って叫び、「リストだ!」


「え?」と私も想い出したように声に出した。「あ、リスト?」


 私たちの話の長さに富士夫さんはもう帰っていたけれど、そもそも彼に出会ったきっかけは、例のリストに彼とまひろさんの名前が載っていたからだった。続けて彼は言った。


「ヤスコちゃんのことだからどうせ誰とも会えていないだろ?」と。「それきっと、僕も手伝う流れだよ」



(続く)

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