その2
実際のところ、会社の連中は、きりきり舞いに駆けずり回り、祝部家の中を整理し、整頓し、外れたドアを元に戻し、割れたガラスを片付け取り換え、壁の穴を埋めてはそこが不自然に見えないよう軽く汚し、床や廊下やソファに付いた血の痕は丁寧に丁寧に丁寧に消し去ってくれていた。そのため、この家の娘が大量の手土産と共に帰宅するころには、そこはまったくいつもと変わらない状――あ、いや、ちょっと張り切り過ぎたため、
「あれ? なんか掃除した?」と娘が母親に確認するほどであった。「なんか、いい香りもするし」
「なに言ってんのよ」母親は答えた。「お客さまの前で人聞きの悪い」土産を受け取り、「いつもきちんとお掃除してます」
すでに夜は遅く、会社の連中はもちろん、母親の危機を救った女性・深山千島もこの家から離れていた――家からは見えない場所に、監視用の人員を数名残して。
「ごはんは?」母親は続けた。「そちらの――」娘のうしろの少年に向かって、「えーっと? 清水さん? でしたっけ?」
母親・祝部守希の記憶を再び消すかどうか? 彼女の夫・優太と、その部下・深山はしばらく話し合っていたが、度重なる記憶消去がもたらす彼女への負担を考え、また、
「なに? 要はひかりに気付かれなきゃいいんでしょ?」
という彼女の言葉を信じ、記憶の消去は一旦見送ることにした。
「私の演技がアカデミー賞クラスだってのは、優太くんが一番分かってるでしょ?」
そのため、彼女が先ほど、朱央に向かい、まるで他人のような口ぶりで声を掛けたのも、これももちろん演技であった。彼女は続ける。
「よかったらどう? 夕食? うちで一緒に」と見事な名女優っぷりで、「ひかり待ってて私もまだだし、お父さんもさっき帰って来たばかりだし」
がしかし、この提案に当の朱央は、「あ、いえ、そんな厚かましい」と両手を前に断わる姿勢を見せたのだが、「ただ、ひかりさんをお送りしただ――」
くっぅうぅう~。
と彼のお腹は正直で、更にはそれに合わせるように、
「どちら様だい?」と優太が二階から降りて来た。「そんな大きなお腹の音、久々に聞いたぞ」そう言って笑いながら。
そのため結局、この日の夕食は図らず――いや、祝部優太が図ったとおりに――朱央も含めた四人で取ることになった。
優太としては、彼らが千葉で、山賀理主と出会ってどのような会話を交わしたのか? また、千島が消した彼らの記憶がどうして、そうしてどの程度まで復活しているのか? いつまで、どの程度隠すつもりなのか? を探るつもりであった。
であったがもちろん、ひかり達からして見れば、彼らの記憶を消すよう指示したのは優太であろうと考えていたし、であれば、彼からの質問には注意し警戒、余計なことは話さないようにしよう。そう考えるのが自然であり、その方向で食卓に着くのであるからして、いきおい彼らの会話は不自然なものとなり、食事も盛り上がるはずがない――と、この作者なんかは想っていたのだが、
「でもよかったわ。ごはんもおかずもちょっと作り過ぎちゃって――遠慮せずにどんどん食べてね、清水さん」
「あ、はい、ありがとうございます。守――祝部さん。どれも美味しいです」
「やっぱり男の子は違うわね。食べっぷりが。見ていて気持ちいいもの」
「無理して食べなくてもいいからね、朱――清水くん」
「いや、でも、本当に美味しいですよ、お母さんのごはん。ひ――祝部さん」
「あ、そう言えばひかり。あの赤と白の袋って、例の和菓子屋さん?」
「そうそう。やっぱりどれもこれも美味しそうでさあ、結局お店のひとに選んでもらったのよね、季節の羊羹とどら焼き」
「あら、いいわね。だったらデザートはそれにしましょうよ。季節の羊羹ってどんな――どうしたの? あなた。変な顔して」
「あ、いや、なんだか――」
「なに?」
「あ、いや、なんだか。まるで、ひかりが彼氏でも連れて来たみたいだなって想って」
「ねー、私もさっきからなんだかそんな気が――」
「え? ちょ、やだ、お父さんもお母さんもなに言い出すのよ、突然――ごめん、朱央。気にしなくていいからね」
「う、うん、ごめん、ひかりちゃん」
「あ、ほら、いまもお互い名前で呼び合っ――」
「だから! そんなんじゃないって!」
みたいな? 前述の各人の思惑など関係ないかのように会話と食事は楽しく、本当に楽しく進み、夜は更けていくのでありました。そうして――?
*
「おいこら、アーサー、寝るならベッドで寝ろ」
とそうして、祝部家の一同がデザートを楽しもうとしている頃、こちらコスタ家のリビングでは、食事もデザートもお風呂も済ませたアーサー・ウォーカーが、幸せそうな表情のまま、ソファの上で眠りに落ちようとしているところでありました。となりに座る女性に寄りかかったまま。
「うーん?」彼は言った。半分寝ぼけて、「だっこー」と女性のわき腹に顔をうずめながら、「だっこがいーい」
「おいこら、アーサー」ペトロがくり返した。彼を女性から引き離し、「おまえ、いくつだ」と自分の方に引き寄せながら、「ベッドにはひとりで行け」
「えー」閉じた目のまま甥は言い、
「マリサも疲れてるんだ、あんまり甘えるな」と伯父は返した。彼への嫉妬は隠しながら、「ほらほら、立った、立った」
「うーん?」とアーサー。「だったらー、おじさんでもー、いーよー」
「はあ? おいこら、いい加減に――」
がしかし、結局この問答は、ペトロが折れるかたちで終わった。何故なら直後、そのままアーサーが本当に眠ってしまったからであるし、その様子を見ていた女性が彼を抱き上げ部屋に連れて行こうとしたからである。
「ああ、いい、いい、俺が連れてくよ」ペトロは言った。「こいつも結構、重たくなったしな」
「いいの?」女性はほほ笑み、「ありがと、助かるわ」と彼の頬に小さくキスした。
すると、そんな彼女の態度と仕草に不意を突かれたのか彼は、顔を赤くし立ち上がると、
「ま、まあ」甥を抱き上げ、「お、俺にとっては、まだまだ軽いもんだけどな」と続けてアピールしたのだが、「ど、どうだ? アーサーを寝かし付けたら俺たちも――」
ブブッ、ブブッ、ブブブブブ。
とここで女性のスマートフォンが鳴り、彼の言葉は遮られた。
「なんだ?」ペトロは訊いた。
「うーん?」彼女、オフェリア・モンタルトは答えた。「ただの迷惑メールよ」彼女の妹、マリサ・コスタの声音と仕草を真似たまま、「ほんと、うっとうしいわよね、これ」
そうして――?
*
「うーーーーーーーーー――――ん?」
とそうしてこれと同じころ、小張千秋は首を傾けていた。右に、小さく。首を傾けることでフル回転中の頭のアラインメントを微調整しようと考えたからである。
彼女の前には、今日も今日とてコンビニおにぎりとペットボトルのお茶が並んでいたが、おにぎりはひと口食べてそれっきり、ペットボトルはキャップを開いてもいなかった。
「うーーーーーーーーー――――ん?」
ふたたび彼女はうなると、今度は左側に小さな頭を傾けた。梅おかかおにぎりの向こう側には、例の巨漢弁護士とガリガリ牧師の写真が置かれていた。
「うーーーーーーーーー――――――――――――――――――ん?」
みたび彼女はうなった。ふたたび頭を右に傾け、その回転速度を更に上げつつ。そうすることでアラインメントの最終調整を行おうとするかのように。
「うーーーーーーーーー――――――――――――――――――ん?」
彼女の部下、右京海都の報告によれば、こちらの巨漢弁護士は、彼女の読みどおり、天台グループと繋がっていた。
「ま、豪腕そうだし、お金のためならなんでもしそうな顔してますもんね」
が、もう片方のガリガリ牧師については、永久に凍り付いた万年雪のように真っ白も真っ白、今回の巨漢弁護士の件がなければ、天台烏山やその周辺とは文字通り『住む世界がちがう』、そんな人物であった。
「ま、取り敢えず、経歴上は」
そうしてまた、これも小張の読みどおりと言うか予測が当たったと言うか、マリサ・コスタの公務執行妨害罪――二十人ちかい警察官をメッタメタのボッコボコにしたあの案件――の不起訴も、つい先ほど決まったところだった。
「うーーーーーーーーー――――――――――――――――――ん?」
とここで彼女は、頭の回転を上げるのをやめた。ゆっくり首を元に戻して、梅おかかおにぎりの続きをかじった。誰にどこから、どんな圧力がかかったのかは分からないが、我々現場の刑事にそんなことはほとんど関係がない。ペットボトルの蓋を開けつつ、右京海都に電話を入れた。
『もしもし?』右京が出た。すぐに。気持ちイヤそうな声だったが、『どうしました? 署長』
「左武さん」それには構わず小張は言った。「いらっしゃいますよね? 一緒に」
『え?』驚いた声で右京が訊き返し、『どうしてそれを?』
「ええ、はい」と小張も一瞬、いまの推理の流れを説明しそうになったが、「まあ、それはさておき」ペットボトルのお茶をひと口、「明日、朝一で面会の手はずを整えて下さい」
『面会?』
「行くのは私と右京さん、それに左武さんの三人です」
『はあ……まあそれは構いませんが、相手は?』
「例の容疑者、心療内科医殺し。マリサ・コスタさんの身代わりになったかも知れない、あの男性です」
(続く)




