その17
さて。
これまでにも何度か書いて来たことだが、このお話の登場人物のひとり、例の赤毛エイリアン・ミスターは、あちらこちらの宇宙で人や未来や世界や木に登って降りられなくなったネコちゃんなんかを救って来たヒーローであり、彼の名前『ミスター』は、ある宇宙では偉人や賢人を、またある宇宙では医者や教育者を示し、そうしてまた別の宇宙では、主に彼の敵対者や、敵対者でなくとも彼の凄まじいまでの戦闘力や策士ぶり、口の悪さや食い意地の汚さなどを目撃した人々によって(注1)、憧れと同時に畏怖や恐怖の念を抱かせ戦慄させ、英雄あるいは戦士、あるいは指揮官、あるいは破壊者を示す名前にもなるのであった。
そう。
なのでただいま、ここ石神井公園氷川神社の裏手で展開されている光景を彼の信奉者や敵対者、あるいは数少ないファンクラブ会員等々が見たとしたら大変おどろき『このミスターは偽者なのでは?』と疑ったかも知れない。
何故ならいま彼は正座をさせられていたから。砂利が敷き詰められた地面の上で。ちょっと泣きそうな顔になって。貧相なスタイルの女性からキッツイお叱りの言葉を受けながら、
「ちょ、ちょっと待ってよ、ヤスコちゃん。すこしは僕の話も――」そう弁解しようにも、
「いいから! まずは私の話を聞きなさい!」とリビングを泥まみれにした犬か五歳児のように叱られながら。
そう。
いま彼は、とてもとてもとてもとてもとてもとても怒鳴られ叱られていた。
何故なら彼が、若くて、可愛くて、天然っぽさが魅力のキュートな女の子を、こんな公園の端っこにある神社の裏に呼び出したかと想えば、軟球とは言え時速360kmものボールを彼女にぶつけ続けていたからである。何度も、何度も、何度も。しかも、彼が魔改造したピッチングマシーンなんかを使って。だもんだから、
「あ、あの、ヤスコ先生、これには事情が――」
と言うボールをぶつけられたご本人、天然キュートな女子大生、佐倉八千代ちゃんのフォローも、
「いいのよ、いいのよ、八千代ちゃん。こんなバカのことなんかかばわなくても。私もこいつには深海とか密林とかスペイン異端審問とかに連れて行かれては置き去りにされたりしたんだから」
という過去の大冒険(トラウマ体験)を通じて彼のサイコパスっぷりを熟知しているおばさ――お姉さまの樫山ヤスコさんには届かないらしく、しかも、
「あーあ、こことかアザになってんじゃない? 大丈夫? 痛くない?」
とまあ、八千代ちゃんの手や足に出来たボール痕なんかも見付けちゃったりしたもんだから、
「おい! こら! ボンクラ! 嫁入り前の娘さんの身体に傷なぞ付けて、おどりゃあこれ、どう落とし前付けるつもりじゃ!」
と、最近見た『仁義なき戦い』シリーズで覚えたというエセ広島弁で更に彼を詰問することになるわけである。が、でもね、ヤスコ先生。別に僕も彼の肩を持つわけじゃないですけどね、これは元々おばあさんの発案でして、ミスターは彼女に頼まれたとおりに――、
「おばあさん? おばあさんってどこの?」
とヤスコ先生は訊くが――いや、だから、いまもそこ……って、あれ?
「なに?」
いや、さっきまでそこにいたはずなんですけど――とここで突然、
「ああ、やっと見つけましたよ、樫山先生」とまるでおばあさんと入れ替わるように、ひとりの男性が彼女に声をかけて来た。「神社だと書かれていたので、てっきり境内かと」
サマースーツ姿の山岸富士夫だった。
彼は彼で、石橋伊礼の預言から、この宇宙人が彼の妹・まひろを(文字通り)エイリアン・アブダクションしていると聞いてヤスコと連携、連絡を取り合うようにしていたのだが、
「あ、ひょっとして、そちらの彼が?」そんなヤスコにメールで呼び出され来てみれば、たしかに石橋さんが言っていた見た目の男がそこに正座で座っている。「まひろの居場所を知っている?」
が、もちろんそこにまひろはおらず、しかも男は、想像とはまったく違う、なんだかイギリスの片田舎にでもいるような、気の弱い、間の抜けたような顔と雰囲気をしていた。別に宇宙人だのタイムトラベラーだのを信じる積もりもないが、こんな男がまひろを?――と彼が首をかたむけ次の言葉を探すが早いか、
「そうよ、そうよ、そうだったわよ」と続けて叫ぶヤスコ先生。「あなた! こちらの妹さんまでたらし込もうとしているそうじゃない!」そう続けて彼の首を締め上げる。「いったい! 今度は! なにを考えてんのよ!」
*
「いったい、なにを考えてたんだよ! おばさん!」
とそうして、これと時間を前後して、アーサー・ウォーカーは泣き出していた。彼らのマンションの玄関先で。おいおいおいおい、おいおいおいと。何故なら、突然消えた彼の伯母、マリサ・コスタがまた突然、彼の前に現われたからである。「どうして! 勝手にいなくなっちゃったんだよお!」
と彼女の腰に抱きつき、力いっぱい抱きしめるアーサー。すると、それに応えるように、
「アーサー、ごめんね、アーサー」と強く彼を抱き返す彼女。こちらも大粒の涙を流しながら、「おばさんが間違っていたわ」
すると今度はそこに、この騒ぎを聞きつけたアーサーの伯父・ペトロも部屋の奥から出て来て、
「マリサか?」と言って彼女を強く抱きしめた。「お前、いったい、いままでどこへ――」
すると、この言葉に彼女はいよいよ泣き出すと、その場にくずおれそうになり、それをペトロとアーサーが抱き止めた。
「お、おい、大丈夫か?」と優しく言うペトロ。「まずは中に入ろう。話はそれから聞くさ」
「ご、ごめんなさい、ペトロ」としなだれ応える彼女。「わたし、わたし、わたし……」
といよいよ彼を強く抱きしめ涙を流すのだが、もちろん、今も例の牧師の呪文は効いていて、いま外に現われている人格はマリサではなく――彼女はいまも意識の奥のふかい扉の向こうに閉じ込められている――オフェリア・モンタルトのものであった。
「ごめんなさい」彼女は言った。妹の真似なら得意だった。「ほんとにごめん。ありがとう」
そうして――?
*
「ほんとにごめんね、今日は。遅くまで付き合わせちゃって」
とそうしてようやく、時間と空間はひかりと朱央のところへ戻る。彼らはあの後、例の和菓子店で優太と守希用のお土産を買い、駅へと向かい、そこでひかりの祖父・山賀理と別れていた。理はハグが苦手なようだったので、ひかりの方からいっぱい彼を抱きしめてあげた。
「な、なにかあれば、すぐに連絡しなさい」祖父は言った。「私は絶対、ひかりちゃんの味方だから」失くした十六年間をどうにか取り戻そうとする男の言葉だった。
そうして――。
そう。そうして彼らは電車に乗った。夕暮れはとうに過ぎていたが、この辺りでは電車の窓に星が見えた。
「ごめんね、朱央。今日は付き合ってくれて」ふたたび彼女はそう言った。しかし、
「で、でも」と彼は少しためらい、自嘲気味にこう応えた。「ぼ、ぼく、あまり役に立っていなかったような……」
「え?」彼女がこちらを向いた。「なに言ってんのよ」ずっとそばにいて、待っててくれたじゃない、と。「とっても、こころ強かったのよ」
チュッ。
とあちらを向く彼の横顔にやさしくキスをした。彼はおどろき固まっていた。彼女は続けた。みたび、
「ありがとね、朱央」と。「今日は付き合ってくれて本当にうれしかったわ」と。
そうして――?
*
「うーん?」とそうして富士夫はひとり黙考していた。彼の会社の社長室で、「うん? いーやいやいやいや」と。
机に座って考えを整理しようとしては首をふり、また別のルートから考えを整理しようとしては苦笑する。みたいなことを彼は延々くり返していたのである。何故なら、この日の昼間、あまりにもバカバカしいやり取りを聞かされたからであるし、その割にはそれらの中身を一笑に付すことも出来ず、また、それらと同じくらいに奇妙というか素っ頓狂な事柄が彼の回りで続いていたからでもあった。
たしかに。あの行政書士の『預言』については、要はそれぞれの人間関係から、誰が何を起こすかとか、誰と誰が一緒にいる可能性が高いかとか、そういう予測を彼が立て、その的中率が高いのだろう――くらいのことは分かったので、その『預言』とやらでまひろにたどり着ければよいと話を合わせていたのだが、そこに加えて出て来たのが宇宙人だのエイリアンだのタイムトラベルだの魔女の力だの、そんなバカなSFドラマみたいなことを彼らが言い出す段になっては流石に怒って帰ろうかと想うほどであった。が、それでもしかし、そこで帰ってもまひろにたどり着くとは想えないし、そもそも彼らはまったく真剣に――「あ、いや、ちがうな」
とここで彼は立ち止まる。と言うのも、彼が怒って帰らなかった理由がそもそも、彼らの話が、最近彼のまわりで起こっている奇妙で素っ頓狂な出来事――突然『窓』が現われたり、夜の町をあちこち『ジャンプ』させられたりといった一連の出来事――とどこかでつながるような感じがしたからだし、また彼らの誰かが言った『幽霊状態のおばあさん』という言葉に、何故か彼の亡くなった祖母を想い出してしまったからでもあった。
「うーん?」ふたたび彼はうなり、「ダメだ、頭で考えていてもらちが明かん」
と机の端のペンとノートに手を伸ばしかけたところで、彼は更なる混乱に落とされることになる。何故なら、
ジリリリリリリ。
と固定電話のベルが鳴ったからである。
「どうした?」すこし間を置き、電話に出た。
『社長にお電話が』事務の女性は応えた。『プライベートなお話ということなのですが』
それから彼は、それに続いた相手の名前に、一瞬おどろきたじろぐと、すこし考え姿勢を正し、
「分かった」そう答えて彼女に言った。「つないでくれ」
電話の相手は女性だった。
彼は、その声に嬉しさや懐かしさなんかを感じると同時に、怒りや後悔なんかも一緒に感じていた。小さなため息を漏らした。そうして――どうした?
「どうした? 急に。ひさしぶりじゃないか」彼は訊いた。
『驚かないでね、富士夫さん』女性は答えた。『ひかりが生きてたわ』
(続く)
(注1)彼ら《時主族》の生まれ変わりについては前にも書いた通りだが、この生まれ変わりにおいて彼らは、見た目以外にも性格も結構変わるらしく、中には、信じられないほど好戦的だったり厭味ったらしかったり、うつ傾向だったりする発言を行なうミスターもいたらしい。




