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欠損世界の記録士 ― 追放された俺だけが、消された真実を覚えている  作者: 橘秀斗


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第6話 白紙の明日


 翌朝、レインはいつもとほとんど同じ時刻に目を覚まし、まだ完全には明るくなっていない部屋の中で起き上がると、考えるより先に前日の装備や食料の残りを確認しようとして、そこで手を止めた。これまでなら目が覚めた時点で、その日の予定に合わせて《蒼天の剣》の人数分の水と保存食を頭の中で数え、バルクの剣をもう一度見た方がいいか、エリナの治癒に余裕を残すならどの経路を避けるべきか、レオンハルトが前へ出すぎる場所はどこだったかと順番に考えていたため、その癖だけが身体に残っていた。


 しかし、今日は誰かの剣を確認する必要も、四人分の物資を揃える必要もなく、昨夜まで白紙だった手帳の次の頁にも、出発時刻も目的地も書かれていなかった。追放されたこと自体はすでに理解しているつもりだったが、朝になっても何も準備する必要がないという事実の方が、昨日の言葉よりも現実的に、これまでの日常が終わったことを示していた。


 レインはしばらく手帳を開いたまま座っていたものの、何もしないまま一日を終えるという選択肢を考えると、かえって落ち着かなかった。誰かに命じられた仕事がないだけで、冒険者として動けなくなったわけではなく、《蒼天の剣》に所属していなければ遺層へ関われないという理由もないため、まずは自分一人でできることを整理する方がいいと考え直した。


 そこで初めて、レインは自分自身の装備を机の上へ並べた。これまでも自分の荷物を確認していなかったわけではないが、優先するのはいつも前へ出る二人の武器や防具であり、次にエリナの荷物や消耗品を見てから、最後に自分の分を確認することが多かったため、自分だけのために最初から装備を点検するのは妙な感覚があった。靴底の減り、鞄の留め具、灯りの残量、筆記具と予備の紙、手帳を濡らさないための包みまで一つずつ確認していくうちに、必要なものが四人分ではなく一人分しかないことへ改めて気づき、準備は思っていたより早く終わった。


 必要なものが一人分しかないため荷物も自然に軽くなり、少しだけ身動きが楽になったが、その感覚に気づいた瞬間、レインは自分が何か悪いことを考えたような気がして、すぐに理由を探した。これまで仲間の分まで準備していたことを嫌だと思ったことはなく、必要とされていると感じられる仕事でもあったのだから、そこから解放されたことを喜ぶのは違うように思えたが、一人分だけを考えればいい状態が楽なのも事実だった。


 結局、その感覚へ名前を付けることはせず、レインは荷物を持って冒険者ギルドへ向かった。


     ◇


 朝のギルドは、遺層へ向かう者と依頼を探す者が入れ替わる時間帯で、昨日の酒場ほど騒がしくはなかったものの、掲示板の前にはすでに何人かの冒険者が集まっていた。レインはいつものように《蒼天の剣》の卓へ向かいそうになって足を止め、そのまま進路を変えると、これまでほとんど真正面から見ることのなかった依頼の一覧へ視線を向けた。


 パーティに所属していたころは、受ける依頼や向かう遺層を最終的に決めるのはレオンハルトであり、レインは決まった目的地に対して必要な情報を集めることが多かったため、自分で最初から選ぶ機会はそれほど多くなかった。掲示されている内容を一つずつ読んでいくと、討伐を前提にしたもの、護衛を求めるもの、採取を目的にするもの、周辺の状況確認や経路記録を求めるものまで種類は分かれていたが、戦闘能力のない自分が単独で受けられるものを考えれば、選択肢は自然と狭くなる。


 レインは討伐を必要とするものを最初から外し、危険な地域を長く移動するものも除きながら、目的地、必要な作業、撤退条件を頭の中で並べていった。その作業をしているうちに、誰かの強さに合わせて経路を選ぶのではなく、自分が無理なく戻れる範囲から目的を選ぶ必要があることに気づき、これまでと順番が逆になっていることが少し面白く感じられた。


「今日は一人ですか?」


 背後から声をかけられて振り返ると、以前にも記録の確認で話したことのある受付の職員が、掲示板の前に立つレインを見ていた。


「昨日、《蒼天の剣》を抜けた」


「そうだったんですね。では、今日は新しいパーティを探しに?」


 そう聞かれたレインは、すぐには答えられなかった。昨日までは、自分がパーティから外れたなら別の誰かに必要とされる場所を探すのが当然だと思っていたはずなのに、朝から一人分の準備をして、依頼を自分で選んでいるうちに、最初から次の所属先を決めなければならない理由もないように思えてきたからだった。


「まだ決めていない。まず、一人でできる仕事があるか見ている」


「戦闘が前提の依頼は避けた方がいいと思います。記録や調査の経験があるなら、状況確認や経路整理の方が向いているかもしれませんが、遺層に入るなら浅い場所でも危険はありますから、無理だと思ったら戻ってください」


 職員の言い方には特別な期待も軽蔑もなく、単独で動く冒険者に必要な注意を伝えているだけだったため、レインも「分かった」と答えた。記録の経験があることは事実でも、それだけで魔物を倒せるようになるわけではなく、むしろ昨日レオンハルトに言われた通り、自分には戦闘中に直接できることが少ないという弱点を無視する方が危険だった。


 それでも、戦えないなら何もできないという意味ではないと、掲示板を見ながらレインは考えた。これまでの攻略でも、魔物と出会わない経路を選び、崩れそうな場所を先に避け、足跡や傷から進行方向を読み、戦闘になる前に危険を減らすことは何度もしてきた。その結果として最後に剣を振るっていたのが別の人間だっただけで、自分がしていたことまで消えるわけではない。


 ただし、その考えを「自分は一人でも十分に戦える」という結論へ変えるつもりもなく、単独で動くなら、戦闘を避けることそのものを前提にする必要があると整理した。


 しばらく掲示を見た末に、レインは小規模な遺層の外縁部について、通行できる経路と周辺の状態を確認する仕事へ目を留めた。奥へ踏み込んで魔物を討伐することが目的ではなく、危険を感じた時点で戻れる内容なら、自分がこれまでしてきた記録と観察を使いながら、一人で動くときに何が足りないのかも確かめられる。


「これを確認したい」


 依頼票を受付へ持っていくと、職員は内容へ目を通したあと、レインが一人で向かうつもりだと分かると、念を押すように目的地と注意点を説明した。レインは聞いた内容を手帳へ書き込みながら、必要以上に奥へ進まないこと、魔物との戦闘を目的にしないこと、自分が事前に決めた地点を越えないことを、その場で自分自身の条件として追加した。


 これまでなら、そうした撤退基準は仲間全員の体力や装備、エリナの治癒回数、レオンハルトとバルクがどこまで戦えるかを見ながら決めていたが、今回は基準になるのが自分一人しかいないため、判断そのものは単純なはずなのに、どこか落ち着かなかった。


 誰かのために危険を減らすことには慣れているのに、自分自身を無事に戻すためだけに計画を作ることには慣れていないらしいと気づき、レインは手帳の余白へ、いつもなら書かない『予定外の危険があれば、記録より撤退を優先する』という一文を加えた。文字にしてみれば当たり前の内容だったが、自分の記録より自分が戻ることを先に置いたその一行を、レインは消さずに残した。


     ◇


 ギルドを出たあと、レインはすぐに遺層へ向かわず、一度必要なものを揃え直すことにした。四人で行動していたころに比べれば持てる道具は少なくなるため、何を持っていくかより、何を置いていくかを決める必要があり、戦闘が始まったときに仲間が時間を稼いでくれることもない以上、荷物が重くて逃げ遅れるような準備には意味がない。


 地図を書く紙、筆記具、灯り、水、最低限の食料を残し、予備を増やしすぎないようにしたあと、レインは最後に自分の手帳を鞄へ入れた。その瞬間、昨日の夜には何も書かれていなかった次の頁を思い出し、いったん手帳を取り出して開いた。


 白紙だった頁には、すでに朝から書き足した文字が並んでおり、依頼の内容、目的地、持ち物、撤退の基準、確認したい経路、そのどれも《蒼天の剣》の誰かに言われて書いたものではなく、レイン自身が必要だと考えて選んだものだったため、内容そのものはこれまで何度も書いてきた攻略準備と大きく変わらないのに、頁の意味だけが違って見えた。


 レインは最後の行へ、明日の出発予定を書き込み、少し考えたあと、その横へ『単独』と付け加えた。


 その二文字を見ても、不安がなくなるわけではなく、戦闘能力がないという評価が消えたわけでも、次の攻略が成功すると保証されたわけでもなかったが、少なくとも昨日まで空白だった明日の欄には、自分で選んだ予定が一つ残っていた。それだけで十分だとまでは思えなかったものの、何を書けばいいのか分からなかった白紙を自分の意思で一行ずつ埋められたことだけは、レインにも確かに分かっており、翌朝には《蒼天の剣》の記録士としてではなく、一人の冒険者として、初めて自分で選んだ遺層へ向かうことになる。



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